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第4話  理解と受容

朝の光が、レースのカーテン越しに差し込む。


美咲はその日、いつもより早く目を覚ました。

前の晩、祖母に宛てた手紙を投函したあと、なぜだか眠りが浅かった。けれど、胸の内には静かな満足感が残っている。


いつも通りに支度を済ませ、出勤前のわずかな時間、美咲はキッチンの椅子に腰かけてコーヒーを飲みながら、ふと机の上の一角に目をやった。そこには、花子からの手紙を入れた白い箱が置かれている。


(おばあちゃん、今日も書いてるかな……)


あの手紙を書いて以来、美咲の心に少しずつ変化が生まれていた。


会社の休憩中には、祖母の言葉を思い出して自然と微笑んでしまうようになり、週末になると「今度は何の話を聞こう」と楽しみにさえなるようになっていた。


そして、手紙のやりとりは、次第に“日課”から“対話”へと変わっていった。





「今日は美咲ちゃんからの手紙、楽しみにしてたのよ」


そう言って花子は、受け取った封筒を丁寧に開け、ゆっくりと目を通した。

文字をたどるように読みながら、時折くすっと笑ったり、頷いたりしている。


「あなたの字、先生してた頃に見ていた作文の文字みたい。どこか似てるわね」


「ほんと?あんまり自信ないんだけど……でも、おばあちゃんが喜んでくれるから、続けようかなって思ってる」


「うれしいわぁ。……あのね、美咲ちゃん」


「うん?」


「おばあちゃんね、最近少しずつ、いろんなことがうまく思い出せなくなってきてるの。冷蔵庫の場所を忘れちゃったり、お味噌汁にお砂糖を入れちゃったりね。自分でもちょっと不思議な気持ちなの」


花子は、少し笑ってそう言ったが、美咲は言葉に詰まった。

「大丈夫」だとも、「頑張って」だとも言えなかった。


ただ、そっと花子の手に自分の手を重ねた。


「……うん。でも、忘れてもいいよ。わたしが覚えてるから」


その言葉に、花子ははにかむような笑みを浮かべた。





それから数週間、美咲は手紙を定期的に書き続けた。

やりとりは少しずつ深まり、花子の手紙には、かつて担任をしていた生徒たちの話や、母・恵子が小学生だった頃のエピソードも織り込まれるようになっていた。


だが、ある日届いた手紙を読んで、美咲は胸の奥が締めつけられるような感覚を覚えた。


便箋には、いつもより震えた文字が並んでいた。

その中には、意味がつながらない一文や、途中で筆が止まったような箇所もあった。





> 今日は……あの子が来てくれたような気がします。

名前が……ええと……あの、ほら、あの……。

ごめんなさいね。ちゃんと書きたかったのに。







思わず、美咲は机の端をぎゅっと握った。

(名前……私のこと、忘れかけてる?)


でも、次の文を読んで、涙が静かに頬を伝った。





> でも、声を聞いて、うれしくなりました。

あなたが誰でも、私はうれしかった。

きっと、大切な人なんでしょう。

……ありがとう。いつもありがとうね。







美咲は手紙を胸に抱えたまま、しばらく動けなかった。


名前を忘れても、言葉がつながらなくても、祖母の中に「愛」は、確かに生きている。

そう感じた瞬間だった。





その夜、美咲は祖母にこんな返事を書いた。





> おばあちゃんへ

おばあちゃんが誰かわからなくなっても、わたしはおばあちゃんのこと、ちゃんとわかるよ。

名前を忘れても、気持ちは伝わってるから。

だから、これからも手紙、続けてね。

わたしも書き続けるから。


大好きなおばあちゃんへ

美咲より






祖母の記憶は少しずつ薄れていくかもしれない。

けれど、手紙のやりとりは、二人の間に確かな「今」を刻み続けていた。


そして美咲は、手紙を書くたびに、ただ“孫”としてではなく、一人の人間として、祖母とつながっているのだと実感していく。


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