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第二話

午前八時、アラームが鳴り、小早川遥はゆっくりと目を開けた。

隣のベッドはすでに空いている。


人目を避けるため、高島光とは深夜に会い、夜明け前には別れる――そんな密やかな関係が、もう五年も続いている。

けれども、もうすぐ“兄妹”という名目だけの関係になるのだ。あんなに忍び足で過ごす日々も、もう終わる。


制服に着替えて階下へ降りると、リビングのソファに見知らぬ女性が座っていた。

小早川洋子が明るく手を振る。「遥、こっちいらっしゃい。この方は光の彼女、白河夕さんよ。お茶をいれてあげて。」


白河夕が微笑みながら立ち上がり、手を差し出す。「あなたが光くんの妹さんね?初めまして、よろしくお願いします。」


遥の掌にはじんわりと汗が滲み、視線の端で光の顔をうかがいながら、黙ってキッチンへ向かった。


お盆にお茶を載せてキッチンを出ようとしたその瞬間、光がドアの前に立ちはだかる。

彼は遥の腰を抱き寄せ、顔を近づけてキスしようとした。遥はそっと顔をそむけて小声でささやく。「やめて、彼女がいるでしょ。」


光は少し眉を上げて、遥の唇に軽く口づける。「妬いてるのか?紹介してなかったな。彼女は幼なじみの白河夕。子どもの頃に海外に引っ越して、昨日帰国したばかりだ。親父が結婚しろってうるさいから、恋人役を頼んだだけさ。」


「本当に愛してる相手が誰か、分かってるだろ?」


遥は黙ってその言葉を聞き、表情を変えずに小さく頷いた。

その無表情さに、光は思わず驚いたような目をした。

これまでなら、遥はもう泣き出していたはずだ――かつて女子から告白の手紙をもらっただけで、遥は布団にこもって泣き腫らしたこともある。どんなに慰めても、何も言ってくれなかった。


この禁じられた関係は決して公にできない。遥はいつも耐えて飲み込んできた。

今日も同じような場面なのに、彼女はまるで他人事のように淡々としている。


光の胸に、言い知れぬ不安が広がった。


問いかける間もなく、遥はお茶を運び、そのまま静かにリビングへ戻っていった。


朝食の席で、白河夕は自然と光の隣に座った。

二人は昔話に花を咲かせ、親しげな雰囲気を隠そうともしない。


「夕は海外にいる間ずっと、月見オムライスが恋しかったんだよな」と光が言い、自分の皿のオムレツを夕に差し出す。

夕は頬を赤らめ、ひと口食べたオムレツを今度は光の皿に戻した。


光はふと遥の方を見やった。

遥はうつむいて味噌汁をすするばかりで、その様子にはまったく気づいていないかのようだ。


しかし、遥が口元を拭こうと紙ナプキンに手を伸ばした瞬間、光は突然、夕が食べかけたオムレツを口に運んだ。

遥はちょうどその場面を見てしまい、そっとスプーンを碗に戻すと、無言で席を立った。


玄関へ向かおうとする遥に、白河夕が声を掛ける。

「遥ちゃん、出かけるの?ちょうど私たちも銀座に行くから、よかったら一緒に乗っていかない?」


遥が断ろうとした矢先、高島宏一郎が新聞を置いて口を開いた。

「雨で足元が悪いから、光に送ってもらいなさい。母さんも心配するからな。」


社長の言葉には逆らえず、遥は先に駐車場へ向かった。


――一緒に入国管理局へ行けば、留学のことがバレてしまう。

胸の中がざわついたが、すぐに諦めの色が浮かんだ。知られてしまっても構わない。もう決まったことだ、どうにもならない。


しばらくして、二人も車に乗り込んできた。

白河夕はいつもと違い後部座席に座り、助手席の遥に話しかけてくる。

遥は上の空で、当たり障りのない返事をした。


車が水たまりを弾きながら進む。雨脚はどんどん強くなる。


その時、白河夕が突然身を乗り出し、遥の耳元で低く囁いた。

「あなたが私を嫌っていることも、光とただならぬ関係なのも知ってる。でも、あなたたちに未来はないわ。」


「光が私に気がないなんて思ってる?――私がその気になれば、いつだって彼をあなたから奪ってみせる。」

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