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第十二話

たった一ヶ月の滞在とはいえ、高橋家が小早川遥のために用意した部屋は、彼女の予想をはるかに超えていた。


広々として明るい室内は、日当たりも抜群。ベッドやデスク、クローゼット、専用のバスルームまで完備されていて、ドレッサーの上には未開封のスキンケア用品や化粧品がきちんと並べられている。どれも遥が知っている中でも高級なブランドばかりだ。


とても一時的なゲスト用の部屋とは思えず、まるで家主のために丁寧に整えられた空間のようだった。


遥は部屋の入り口で思わず立ち尽くした。自分は本当にただの居候なのか、それとも特別なもてなしを受けているのか、戸惑いさえ感じていた。


黎語もまた、きちんと整えられたこのゲストルームを初めてじっくり眺めた。女性用のアメニティまで揃っているのを見て、驚きと感心を隠せず、珍しく息子を褒めた。


「嘉遇ったら、普段は無口なくせに、こんなに気が利くなんて思わなかったわ。遥、何か足りないものがあったら遠慮しないで言ってね。何でも用意するから。」


遥は慌てて手を振り、目を輝かせながら感謝の気持ちを伝えた。


「本当に何も足りません!ありがとうございます、黎語さん……それに嘉遇兄さんも。本当に細やかなお気遣いに感謝しています。」


部屋の居心地の良さに、機内で嘉遇に対して先入観を持っていたことを思い出し、遥は少しばかり恥ずかしくなった。


黎語は、遥の顔に浮かぶ素直で少しはにかんだ表情を見て、思わず胸が温かくなった。つい手を伸ばして頬をつまもうとしたが、ちょうどその時、嘉遇がいつの間にか部屋に入ってきて、さりげなく黎語の手首を取って、遥のスーツケースの上にそっと置いた。


「お母さん、やめてよ。」


嘉遇は淡々とした声でそう言った。


思惑が外れて黎語は口を尖らせ、ふてくされたように息子を睨みつけた。


「今日はどうしたの?やけに口出し多いじゃない。体調でも悪いの?」


嘉遇は母の冗談に取り合わず、遥の方を見て丁寧だがどこか距離のある口調で声をかけた。


「ロンドンは最近、朝晩の気温差が大きくて、日本よりもかなり寒いよ。スーツケースのタグを見たけど、夏服が多そうだね。クローゼットの左側に新しい上着が何着か掛かってるから、寒い時は着て。」


服装のことまで気遣う細やかさに、遥はすっかり驚いてしまった。LINEではそっけなく、冷たい印象すらあった嘉遇が、ここまで心配りできる人だとは思いもしなかった。


胸がじんわりと温かくなり、遥は改めてお礼を述べた。


「嘉遇兄さん、本当にありがとうございます。すごく助かります。」


二人がそんな少しぎこちないやりとりを交わしている間に、後ろでは黎語が満足げに微笑んでいた。


彼女はそっと部屋を出て、自分の部屋に戻るとすぐにスマホを取り出し、LINEで小早川洋子にメッセージを送った。


「洋子!これはいけるわよ!うまくいきそう!昔からの夢、叶いそうだわ!」


海の向こうでそのメッセージを受け取った洋子は、送りつけられた写真を開いた。そこには、嘉遇が横顔で遥に何か話しかけていて、遥は少し驚いたような、真剣な表情で彼を見上げている姿が写っていた。


黎語がわざわざ選んだその一枚は、二人がとてもお似合いに見えるものだった。


洋子は写真を見つめながら、思わずにっこりと微笑んだ。


その様子に気づいた高島宏一郎が、つられてスマホを覗き込み、笑いながら言った。


「これが遥と許嫁っていう高橋家の息子か。二人ともいい感じじゃないか。このまま結婚まで進んでくれたら、僕たちも安心できるな。」


「本当ね!」洋子は嬉しそうに何度も頷き、顔が一層明るくなった。「光と夕、遥と嘉遇、みんな良い子に育ってくれて、早く家庭を持ってくれたら安心だわ。でも……遥がもし嘉遇と結婚したら、きっと海外暮らしになっちゃうのよね。嬉しいけど、ちょっと寂しいかも。」


宏一郎は洋子の肩を軽く叩きながら、優しく言った。


「子どもたちはいずれ自分の道を歩むものさ。二人が幸せなら、それだけで十分だろう?それに、あと数年したら僕も退職するし、遥に会いたくなったら一緒に東京に行こう。日本と海外、半年ずつ過ごして、旅行気分で暮らせばいいじゃないか。」


「東京?東京に行くの?」


突然、酒臭い声が割り込んできた。


ちょうどその会話の最後を聞いていた高島光が、ドア枠に体を預けて、酔っぱらいながら口を挟んだのだ。


朝帰りのその姿を見て、宏一郎の表情は一気に険しくなった。


「朝っぱらからどこで遊んでたんだ!何度も電話したのに出やしない。まさか酒を飲んでたのか!今日はお前の妹が……」


言いかけたところで、洋子が慌てて話を遮った。

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