午前五時、高島光は生体リズムに従い、いつものように目を覚ました。無意識のうちに隣に手を伸ばすと、そこはひんやりと冷たく、誰のぬくもりもなかった。一晩中帰ってこなかったのか?昨夜わずかに残っていた心の平穏が一瞬で消え去り、気持ちは一気に沈んだ。
自分の部屋に戻り、ベッドに身を投げると、後頭部が枕の下の硬いものにぶつかった。不思議に思い手を伸ばしてみると、カードと一枚の紙があった。これが“サプライズ”なのか?高島光はすぐに、二人だけが知る小さな秘密を思い出した——以前、小早川遥が彼を怒らせたり、機嫌を直したいとき、こっそり枕の下に謝罪のメッセージやカードを忍ばせていたのだ。手触りからして、下は手紙、上は銀行のカードだろう。
手紙の内容は恐らく謝罪や優しい言葉だろう。カードは?誕生日祝いの「スタート資金」なのか?ここ最近、遥が必死に仕事を受けて稼いでいた姿が脳裏をよぎり、ようやく合点がいった。あの時から彼女はサプライズを準備していたのだ。昨夜帰らなかったのも、きっと徹夜で仕事をしていたのだろう。彼女の青白い顔を思い出し、胸がしめつけられる。だが、贈り物が何であれ、彼女が自分の誕生日を覚えていてくれただけで十分だった。
手紙は枕の下へ戻し、カードだけを持って家を出た。会社に着くとすぐ、秘書に指示を出した。
「このカードの残高を調べてくれ。」
ほどなくして、秘書が驚いた表情で戻ってきた。
「高島社長、残高は三億円ちょうどです。」
「三億円!?」コーヒーを口にしたまま、高島光はむせ返った。誕生日のサプライズで三億円?そんな大金、彼女がどうやって用意したというのか。強い不安が胸を締め付けた。
「至急、遥の最近の行動を調べろ。どこに行って、何を買ったのか、すべての動きを報告しろ!」
秘書は慌ただしく去っていき、三十分ほどで書類を手に戻ってきた。だが、その顔にはためらいが浮かんでいた。
「何が分かった?話せ。」高島光は冷ややかに言った。
おずおずと書類を差し出す秘書。
「遥さんは…多摩美術大学の写真学科に合格し、昨日の午前八時にロンドン行きの飛行機で出国しました。今はイギリスにいるようです。」
一語一句はっきりと聞こえるのに、全く現実味がなかった。毎日顔を合わせていた人間が、多摩美術大学に合格して、昨日のうちに出国した?そんなこと、信じられるはずがなかった。
乱暴に書類を奪い取り、ページをめくる。最初のページには多摩美術大学の鮮やかな合格通知書。名前は小早川遥。次のページには昨日午前八時成田発ロンドン・ヒースロー行きの使用済み電子チケット。その次はイギリス留学用のビザ記録…どの書類にも、彼女の直筆サインがある。全てが動かぬ証拠だった。
――轟音が頭の中で鳴り響く。
十年間押さえ込んできた感情が、一気に噴き出した。彼は勢いよく立ち上がり、椅子を倒した。目は血走り、怒りと動揺で真っ赤に染まる。秘書の声も耳に入らず、獣のようにオフィスを飛び出し、社員たちの驚く視線を無視して階段を駆け下りた。
高島光が高島家の本邸に車を飛ばして戻ると、ちょうど高島宏一郎が小早川洋子と共に出かけるところだった。屋敷は静まり返り、彼の重く速い足音だけが階段に響いた。頭の中はただ一つ、「あの扉を開けなければ」という思いだけ。
二階の一番奥の部屋まで駆け、ドアノブを回し、力いっぱい扉を開け放つ。
目の前には、信じられないほどの空虚が広がっていた。
その場に立ち尽くし、慌てて部屋中を見回した。バスルームからは彼女が愛用していた洗面道具が消え、クローゼットも空っぽで棚板だけが残る。書斎の写真集や画集もすべて姿を消していた…この部屋の隅々まで彼はよく知っている。だが今、残されているのは冷たい家具の輪郭だけだった。
すべてがきれいに消え去った光景を前に、高島光の心は完全に崩れ落ちた。強烈な不安と絶望が彼を飲み込む。震える身体を抑えきれず、狂ったように部屋中を探し回った。
空の引き出しを開け、マットレスをめくり、ベッドの下を覗き、クローゼットの隅々まで確かめる。動作はどんどん荒くなり、部屋は物で溢れかえったが、何も見つからなかった。最後に、乱れたベッドをじっと見つめ、飛び乗って布団や枕を探る――だが、そこにも何もなかった。
耐え難いほどの恐怖が彼を引き裂きそうになる。その瞬間、あの手紙のことを思い出した。彼女が残した唯一の痕跡――。ふらつきながら自分の部屋に戻り、枕の下から手紙を取り出して広げる。手は震えていた。
そこには、わずかな言葉が淡々と並んでいた。力強い筆跡だった。
一行目:終わりにします。あなたと白河夕が幸せでありますように。
二行目:カードの三億円は高島家に返します。これで清算です。
三行目:小早川洋子は第三者ではありません。ご両親の離婚は公表より二年前に成立しています。その時、彼女は高島宏一郎を知りませんでした。
一文字一文字が焼けつくように胸に突き刺さった。心臓が引き裂かれるような痛みが全身を駆け巡る。彼女は知っていたのだ――彼が心の奥深くに隠してきた、復讐という名の秘密を。
真実を知った彼女は、泣き叫びもせず、問いただしもせず、ただ静かに、徹底的に彼のもとを去った。かつて命を賭して彼のもとに飛び込んできた小早川遥は、もう「憎い」とさえ言わなかった。
信頼を裏切り、感情を弄び、母親への復讐に執着した――自分が「偉業」と思っていたすべてが、彼女にとっては何の価値もなかったのか?彼女はこんなにもあっさりと手放せるものだったのか?
どうして憎んでくれないんだ?本当に愛していたなら、憎しみがあって当然じゃないか?
さらに冷たい考えが彼を襲う。もしかして…最初から最後まで、彼女はただ彼に合わせて「兄妹のふり」をしていただけなのか?
その思いは、毒矢のように彼を貫き、心の奥まで凍らせた。彼女が自分を憎まない――それだけは受け入れられなかった。「憎しみ」の裏側には「愛」がある。憎まないということは、愛していないということだ。彼女に愛されていないくらいなら、むしろ憎まれ、復讐される方がましだった。否定したくても、空っぽの部屋と冷たい別れの手紙が、容赦なく彼を嘲笑う。
「憎しみ」と「無関心」という二つの毒蛇が脳内で暴れ回る。精神的な圧迫と激しい痛みに頭が割れそうだった。彼は苦しみのあまり頭を抱え、うめき声を漏らし、床に崩れ落ちて拳でこめかみを何度も叩いた。この瞬間、彼は十歳のあの雨の夜に戻ったようだった——母親に捨てられた、あの幼い自分に。
だが今回は、全ての苦しみも痛みも、すべて自分が招いたものだった。