荷物になりそうな物は部屋に置き、シュトラは背負い鞄に委任状と地図、関所で支払う通行料、そして簡素な弁当を詰め込んで宿を出た。
舞踏祭を目前に控えたスィルトホラの街は、日が落ちた後も賑わいを見せていた。手提げランタンを片手に歩く人々の姿が目立ち、治安の良さと街の活気が窺える。
軽い足慣らし程度の速度で街を抜け、西方面に位置する防塁門へと向かう。門の周囲では数人の兵士が警備に当たっており、勢いよく駆けてくるシュトラに対し、すぐさま警戒の色を見せた。
「止まれ!……こんな時間に何の用だ?」
「仕事の依頼を受けたの。大急ぎでネオシモ領に向かうところ。レマタキス爵士家からの委任状、見る?」
ランタンの光が高く掲げられ、兵士たちの目がシュトラの姿を確かめる。飾証や見覚えのある顔を確認したようで、すぐに態度が和らいだ。
「迅速の魔女様でしたか。こんな夜分にお仕事とは、さぞお忙しいことで。ご苦労さまです。……ただいま通用門を開けますので、お通りください」
「いいの?」
「ええ、問題ありません」
「ありがとっ」
「…月光こそ街道を照らしていますが、夜の道は侮れません。足元にはお気をつけて」
「わかったよ。それじゃあ、またねっ!」
通用門が開かれると同時に、レンガを蹴る音が響く。シュトラは矢のような速さで夜の街道へと駆け出していった。
―――
月明かりに照らされた麦畑を横目に、シュトラはただ走っていた。
スィルトホラ領から首都パラミクポリへ続く街道沿いは、広大な穀倉地帯となっており、都市部へ穀物を効率よく運ぶため、道は
ただし、こうした整備には当然ながら費用がかかる。ゆえに、往来の多い街道には関所が設けられ、通行料を徴収し、整備費や税収へと充てられている。
「こんばんはー。
関所に差しかかり、声をかけると、番兵は怪訝な表情を浮かべつつも、何かを思い出そうと目を細める。
「こんな時間に嬢ちゃんひとりか……って、前に見た顔だな?」
「迅速の魔女、シュトラ・シュッツシュラインだよ。前に通ったとき、顔を合わせたでしょ」
「ああ、そうだった。迅速の……忙しない魔女さんだな。通行料は25エフカニスだ」
「はい、これ」
シュトラが5エフカニス晶貨を5枚手渡すと、番兵は確認してから引き出しへと仕舞い、ぐあっと大きな欠伸をひとつ。ゆっくりと関所の閂を外した。
「どっから走ってきたんだ?」
「スィルトホラから」
「……で、どこへ行くんだ?」
「ネオシモのケノフォラまで。荷物の受け取りに、ね」
「そりゃまた遠いな……。部屋、余ってるが、休んでいくか? 休憩は必要だろ」
「でも急ぎの依頼でさ」
「だからこそだ。
言葉はぶっきらぼうだが、その声音には親しみと気遣いが滲んでいた。番兵は関所の一室を指差しながら鍵を渡す。
「この鍵を魔女さんが持ってる限り、俺らは部屋に入らねぇ。安心して休め……ふぁぁ……」
「ありがとっ。お言葉に甘えさせてもらうね」
「おう」
番兵が机の上の白いドライフラワーに指を伸ばすと、シュトラは自身の髪飾りに触れてレオニスを思い出す。
「その花、お揃いだね!なんていう花なの?」
「これはイベリス。…ふっ、その髪飾りを贈ったやつを大事にしてやれよ」
「うん、また会えたらね!」
―――
鐘一つの仮眠を終えたシュトラは、番兵に起こされるまでもなく目を覚まし、鍵を返却。薄白く染まり始めた夜空を背に、彼女は再び街道を駆け出す。
シュトラのように空を飛ばず地を走る
スィルトホラからケノフォラまでは、およそ
鐘一つで
それは順調に道を進めた場合の話である。
やがて日が昇り、朝となる。
街道沿いに広がる賑やかな町へ差しかかったシュトラは、大通りで足を止めざるを得なかった。
朝市が開かれており、露天商や買い物客、見物人たちで道は埋め尽くされていたのだ。
普段のシュトラであれば、あちらこちらを見て回って楽しむところだが、今日は仕事が最優先。……なのだが、屋台から漂ってくる美味しそうな匂いには抗えなかった。
「川魚の塩焼き、一つ!」
足を止めたシュトラは、串焼きを受け取り、ぱくりと食らいつく。
「珍しいねぇ。こんな内地まで鳥の人が来るなんて」
「仕事でケノフォラまで行くんだ。荷物を受け取ったら、とんぼ返りでスィルトホラまで戻るよ」
「そりゃまた大変だ。朝市やってるから、大通りは混んでて進まないだろ?」
「ちょっとね。うわっ、おっと!」
串焼きを落としたシュトラだが、地面スレスレのところで
「…危なっかしい嬢ちゃんだね。…ここの道を曲がって水路沿いに行くといい。人も少なくて走りやすいはずだよ」
「ありがとっ!お魚、美味しかったよ!」
「どうもさん」
骨までバリバリと平らげたシュトラは、空になった串を近くの屑籠へ放り込み、教えられた通りに裏道へと入る。
水路沿いの道は確かに人もまばらで、再びスピードを上げた彼女は、ケノフォラを目指して一直線に走り続けるのだった。