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第2話 宿と結婚式 ②

 荷物になりそうな物は部屋に置き、シュトラは背負い鞄に委任状と地図、関所で支払う通行料、そして簡素な弁当を詰め込んで宿を出た。

 舞踏祭を目前に控えたスィルトホラの街は、日が落ちた後も賑わいを見せていた。手提げランタンを片手に歩く人々の姿が目立ち、治安の良さと街の活気が窺える。

 軽い足慣らし程度の速度で街を抜け、西方面に位置する防塁門へと向かう。門の周囲では数人の兵士が警備に当たっており、勢いよく駆けてくるシュトラに対し、すぐさま警戒の色を見せた。

「止まれ!……こんな時間に何の用だ?」

「仕事の依頼を受けたの。大急ぎでネオシモ領に向かうところ。レマタキス爵士家からの委任状、見る?」

 ランタンの光が高く掲げられ、兵士たちの目がシュトラの姿を確かめる。飾証や見覚えのある顔を確認したようで、すぐに態度が和らいだ。

「迅速の魔女様でしたか。こんな夜分にお仕事とは、さぞお忙しいことで。ご苦労さまです。……ただいま通用門を開けますので、お通りください」

「いいの?」

「ええ、問題ありません」

「ありがとっ」

「…月光こそ街道を照らしていますが、夜の道は侮れません。足元にはお気をつけて」

「わかったよ。それじゃあ、またねっ!」

 通用門が開かれると同時に、レンガを蹴る音が響く。シュトラは矢のような速さで夜の街道へと駆け出していった。


―――


 月明かりに照らされた麦畑を横目に、シュトラはただ走っていた。

 スィルトホラ領から首都パラミクポリへ続く街道沿いは、広大な穀倉地帯となっており、都市部へ穀物を効率よく運ぶため、道は忠実まめに整備されている。そのおかげで、迅速の魔女たるシュトラにとっては、非常に走りやすい環境だった。ぐんぐんと距離を伸ばし、軽やかに地を蹴っていく。

 ただし、こうした整備には当然ながら費用がかかる。ゆえに、往来の多い街道には関所が設けられ、通行料を徴収し、整備費や税収へと充てられている。

「こんばんはー。通行とおりたいんだけど」

 関所に差しかかり、声をかけると、番兵は怪訝な表情を浮かべつつも、何かを思い出そうと目を細める。

「こんな時間に嬢ちゃんひとりか……って、前に見た顔だな?」

「迅速の魔女、シュトラ・シュッツシュラインだよ。前に通ったとき、顔を合わせたでしょ」

「ああ、そうだった。迅速の……忙しない魔女さんだな。通行料は25エフカニスだ」

「はい、これ」

 シュトラが5エフカニス晶貨を5枚手渡すと、番兵は確認してから引き出しへと仕舞い、ぐあっと大きな欠伸をひとつ。ゆっくりと関所の閂を外した。


「どっから走ってきたんだ?」

「スィルトホラから」

「……で、どこへ行くんだ?」

「ネオシモのケノフォラまで。荷物の受け取りに、ね」

「そりゃまた遠いな……。部屋、余ってるが、休んでいくか? 休憩は必要だろ」

「でも急ぎの依頼でさ」

「だからこそだ。鐘一つ分2時間でも休んでけ。俺が起こしてやる」

 言葉はぶっきらぼうだが、その声音には親しみと気遣いが滲んでいた。番兵は関所の一室を指差しながら鍵を渡す。

「この鍵を魔女さんが持ってる限り、俺らは部屋に入らねぇ。安心して休め……ふぁぁ……」

「ありがとっ。お言葉に甘えさせてもらうね」

「おう」

 番兵が机の上の白いドライフラワーに指を伸ばすと、シュトラは自身の髪飾りに触れてレオニスを思い出す。

「その花、お揃いだね!なんていう花なの?」

「これはイベリス。…ふっ、その髪飾りを贈ったやつを大事にしてやれよ」

「うん、また会えたらね!」


―――


 鐘一つの仮眠を終えたシュトラは、番兵に起こされるまでもなく目を覚まし、鍵を返却。薄白く染まり始めた夜空を背に、彼女は再び街道を駆け出す。

 シュトラのように空を飛ばず地を走る羽人族オルニサントロポスは、広大な草原に暮らし持久力と瞬発力を兼ね備えて獲物を追い詰めていた種族だ。その特性を持つ彼女もまた、ほとんど休むことなく走り続けられる体力を有している。

 スィルトホラからケノフォラまでは、およそ120スポウル約420キロ

 鐘一つで28.5スポウル100キロ弱を走る彼女にとっては、計算上、日帰りも不可能ではない距離だった。

 それは順調に道を進めた場合の話である。


 やがて日が昇り、朝となる。

 街道沿いに広がる賑やかな町へ差しかかったシュトラは、大通りで足を止めざるを得なかった。

 朝市が開かれており、露天商や買い物客、見物人たちで道は埋め尽くされていたのだ。

 普段のシュトラであれば、あちらこちらを見て回って楽しむところだが、今日は仕事が最優先。……なのだが、屋台から漂ってくる美味しそうな匂いには抗えなかった。

「川魚の塩焼き、一つ!」

 足を止めたシュトラは、串焼きを受け取り、ぱくりと食らいつく。

「珍しいねぇ。こんな内地まで鳥の人が来るなんて」

「仕事でケノフォラまで行くんだ。荷物を受け取ったら、とんぼ返りでスィルトホラまで戻るよ」

「そりゃまた大変だ。朝市やってるから、大通りは混んでて進まないだろ?」

「ちょっとね。うわっ、おっと!」

 串焼きを落としたシュトラだが、地面スレスレのところであしゆびで挟み取り、難を逃れた。

「…危なっかしい嬢ちゃんだね。…ここの道を曲がって水路沿いに行くといい。人も少なくて走りやすいはずだよ」

「ありがとっ!お魚、美味しかったよ!」

「どうもさん」

 骨までバリバリと平らげたシュトラは、空になった串を近くの屑籠へ放り込み、教えられた通りに裏道へと入る。

 水路沿いの道は確かに人もまばらで、再びスピードを上げた彼女は、ケノフォラを目指して一直線に走り続けるのだった。


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