ケノフォラ近辺に入ると、人の往来は一段と増し、大通りは朝市にも劣らぬ賑わいを見せていた。
立ち止まり、地図で目的地を確認したシュトラは、そのまま足を弾ませるように動かし、目指す老舗の服飾店へと辿り着いた。
「こんにちはー。スィルトホラのレマタキス爵士家の使いで来たんだけども」
「レマタキス爵士!?ああ!ドレスのお客様の!」
「そうそう。結婚式に着るっていうやつ!もう出来てる?明日必要なんだけど」
「実は、今さっき完成しまして!みんなー、ドレスのお客様ー!」
「「はーい!」」
店員が額の汗を拭いながら振り返り、シュトラをまじまじと見つめる。
「えっと…どちら様で?」
「ドレスの運搬を依頼された、迅速の魔女シュトラ・シュッツシュラインだよ。ここからは私に任せて」
そう言ってシュトラは背負いカバンから委任状を取り出し、店員に手渡す。店員は目を通し、頷いて受け取った。
「確かに。では、お願いします。何か必要なものはありますか?」
「ドレスって、どういう包みに入ってるの?」
「このようなドレスバッグに収めています。…ただ、馬や馬車では揺れが大きくて、形が崩れたりシワになったりしてしまうんです。できれば、できるだけ安定した運搬を」
「それなら大丈夫!魔女だからねっ」
シュトラはそう言うと、懐からチョークを取り出す。その様子を見た店員たちは「空でも飛ぶのだろうか」と納得した表情で準備を急いだ。
「お待たせしました。こちらがご注文のドレスです。代金は先払いでいただいておりますので、サインを頂ければ取引完了となります」
「渡しとくね」
「お願いします。…それと、納品がぎりぎりになってしまったことへの謝罪も、『直接お届けできず申し訳ございませんでした、ですが最高の逸品を仕上げました』と、お伝えいただければ幸いです」
「ごめん、それは仕事に含まれてないから、首は縦に振れないや。……でも、つぶやくかもね」
感謝の言葉を胸にしまい込み、針子たちは丁寧に一礼した。
「それじゃあ―――~~~♪」
魔法陣を描いたドレスバッグへ、透き通るような歌声を奏で、軽量化と緩衝の魔法が込められていく。バッグは背負い袋へと収められ、準備完了。
シュトラは突風のように駆け出していった。
「……飛ぶんじゃ、ないんだ……」
見送る店員は、驚きと呆気に取られた声をぽつりと漏らした。
―――
守護騎士たちが競技場で馬を駆り、旗を操りながら集団行動を繰り広げていた。
「いい感じ。動きも揃ってるし、これなら明後日の本番も問題なさそうだね」
練習を終え、先頭の馬に騎乗していたレオニスが振り返って声を掛けると、守護騎士たちはそれぞれ愛馬から降りて労いの言葉とスキンシップを交わした。
「守護騎士の晴れ舞台、毎年ながら気が抜けませんからね!」
「失敗でもしようものなら、息子に外方を向かれてしまいますよ、はははっ」
彼らが演じるのは、夏の舞踏祭で催される「スィルトホラ領守護騎士の祈願舞」。かつてスィルトホラ領で馬に乗り旗を振って天へ祈りを捧げた儀式が、時を経て興行化した伝統文化である。
「レマタキス、なんだか浮かない顔をしてるね」
「あ、いえ……ちょっとした心配事がありまして。副隊長に話すようなことでもないのですが」
練習中、どこか緊張の抜けなかったキニガスに気づいたレオニスが、そっと声をかける。
「話してごらん。案外、解決の糸口があるかもしれないよ」
「実は……明日の結婚式で着る予定のドレスが、まだ届いていないのです。信頼できる方に依頼はしたのですが、そもそも完成しているかどうかも定かでなくて」
「なるほど。………義姉さんに相談すれば、当時のドレスを貸してもらえるかもしれない」
「リカニス様の奥方の!?それはさすがにっ」
「守護騎士として将来有望な君が困っているなら、きっと快く貸してくれるさ。万が一、明朝までに届かなければ、スィルトホレオス家へ使いを出してくれ。僕の方から頼んでみるよ」
「あ、ありがとうございます!」
深々と頭を下げるキニガスに、レオニスはにこやかに頷いた。そして愛馬のたてがみを撫でながら、ふと自分の思いに目を落とす。
(祈願舞、できればシュトラさんを招待したかったけど……会って初日で誘うなんて、無理だよなあ。それに、僕は身分を隠していたし)
友人の婚礼という祝事に心を浮かせる一方、自分の恋の不器用さに、ほんの少し肩を落とす。
(来年……また会える保証なんてないのに。もっと話しておくべきだったのかな)
後悔とも憧憬ともつかない思いが、胸に霞のように広がっていた。
「副隊長、すみません。前々日で恐縮なのですが……招待客を一名追加したく、招待状の発行をお願いできますか?」
「ずいぶん急だね。席はご家族の隣しか空いてないけど、大丈夫かい?」
「はい。必要なのは一席なので、問題ありません」
「わかった。戻り次第、準備しておくよ。帰りに忘れずに持っていってくれ」
「ありがとうございます!」
再び馬を整え、守護騎士たちは最後の練習に臨むのだった。
(シュトラさんは、…観光でもしているかな?)
▼▼▼
失われた一幕は随所に潜む。
誰しもが忘れ去った記憶の鱗片、それは、確かに存在した。
少年は市井を探索するのが好きだ。
スィルトホラの街並みを、伊達メガネで変装し面白いものがないかと瞳を輝かせて進む。
後ろには尾行兼護衛をする騎士が2名。
スィルトホラの日常となっている光景だ。
「今日もお散歩かい?」
「はい!お散歩が好きなので!」
「ははっ、そうかい。ならおやつをもっていきなさいな」
「ありがとうございます!」
伊達メガネの少年が、領主の息子だということは周知の事実であり、スィルトホラの住人たちは微笑ましく眺めていた。
少年は市井で友人を作り共に遊び、街で知り合った大人たちに可愛がられ、成長を重ねた。
そんなある日。普段と変わらず、街並みを歩いていると、地面が揺れてへたり込む。
時折起こる地震だが、今のは何時ものと比べて揺れが大きく、少年がバランスを崩し尻もちを突くには十分であった。
齢は8つ。尻もち程度で泣く年ごろではないが、擦りむいてしまった手の平をみて、少しばかり表情が曇る。
「痛てて」
騎士たちは急いで少年の許へ駆け寄ろうとするのだが、さらなる地震が街を襲う。
先程とは比べ物にならない、地震の起こる地域でも珍しい、規模の大きな地震である。
走り寄ろうとしていた騎士たちは、揺れでバランスを崩しては転倒し、スィルトホラの住人たちを慌てて家屋を飛び出した。
少年が、今までの人生で感じたことのない揺れに怯えていると、近くの建物が崩壊し彼へと降り注ぐ。
騎士たちが目を丸くし、大急ぎで立ち上がろうろしている間に、一つの疾風が駆け抜けた。
「時間はないから、簡略化した魔法で。――チョークはあるっ!…―――――!!!!」
飛べない羽人族の魔女は、ポケットからチョークを3本取り出し、片手で砕きながら絶叫めいた歌声を捻り出す。
落ち行く瓦礫に声が反射し、布にでも包まれたかのように勢いを失っていき、彼女が少年へと辿り着く時間を稼いでみせた。
魔女は少年へと覆い被さり、緩衝の魔法で少年を守りきった。
瓦礫に埋もれ、僅かばかりの光が差し込む中、少女と言っても過言でない容姿の魔女を見て、小さく息を呑む。
「だいじょーぶだいじょーぶ、心配しなくてもいいよ。あたしの魔法があるからね」
齢16歳ほどに見える魔女は、少年からすれば大人の女性であり、窮地を救ってくれたヒーローで。
少年は初めての恋をした。
▲▲▲