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第3話 木炭の絵 ①

 明くる日。

 昼過ぎに目を覚ましたシュトラは、ボサボサの髪を手櫛でとかし、後頭部の髪を一纏めにしてポニーテールに結い、衣服を着替える。

 昨晩は、ドレスを配達し終えたことで炭窯亭がやや賑やかだったが、本日は一転して静かで、彼女はのんびりと部屋を出た。

「おはようございます、迅速の魔女様」

「おはよー。お昼だけどね」

 エントランスで出迎えたのは受付係。どこか怪訝そうな表情をしていたのは、昨晩シュトラの宿泊記録を洗った際、ここ十年以内に記録がなかったからだ。

「『昨日のご尽力に感謝申し上げます』と、支配人からの伝言です。加えて、迅速の魔女様への特別なお食事をご用意しておりますので、お好きな時に食堂へどうぞ」

「そうなんだ。それじゃ、このまま向かおうかな」

 ふふーん、と機嫌良さげなシュトラは食堂へ入る。すると、給仕係が一礼し、厨房へと連絡を入れた。

「準備をいたしますので、暫くお待ちください、魔女様」

「わかったよ。飲み物はジンジャーティーをもらえる?」

「お任せください」

 しばらく待っていると、焼き物のジュワジュワとした心地よい音とともに、香辛料の香りが鼻孔をくすぐり、シュトラの食欲を刺激する。

「ジンジャーティーです」

「ありがと」

 普段は砂糖も乳も入れないのだが、蜂蜜の小瓶が添えられていたため、少しだけ溶かして飲んでみる。生姜と紅茶、そして仄かに漂う蜂蜜の香りが、口いっぱいに広がる。

 ピリッと刺激的な生姜の風味と、落ち着いた紅茶の味わい。一口で上等な品だとわかり、優しい甘みにシュトラは頬を緩めた。

 やがて料理が運ばれてくる。まず目を引いたのは、赤く色づいた米料理。パエリアの一種で、複数の香辛料とソーセージ、エビ、セロリ、タマネギがたっぷり入っており、実に食べ応えのありそうな一品だ。

 本来スィルトホラではウサギ肉を使うのが一般的だが、「ウサギは死後、鳥に生まれ変わる」という民間伝承があるため、羽人族オルニサントロポスであるシュトラへの配慮としてソーセージに差し替えたのだろう。

 そのほか、オクラのスープに、香辛料を揉み込んで網焼きにした魚とトウモロコシが並ぶ。見ているだけでお腹が鳴りそうなご馳走だ。

 アルコールで手を清めたシュトラは、素手で食べようとして思い直し、食器を手に取る。

(品位を貶めるなって、他の魔女に怒られちゃうとこだった)

 市井暮らしでは食器を使う機会が少ないが、ここは流石に気を遣った。

 スパイシーな料理に大満足したシュトラは、ぺろりと完食し、厨房に礼を伝えてから食堂を後にした。


―――


 食事を終えたシュトラは一旦自室へ戻り、画材とちょっとした荷物だけを背負い鞄に詰めて、賑やかな大通りへと出かけた。夏の舞踏祭は守護騎士の祈願舞を起源に、作物の豊作を願う祭礼として広まり、今ではちょっとした娯楽の場としても賑わっている。

 通りには屋台が立ち並び、至る所で野良楽団が演奏を奏で、好き勝手に踊る人々の姿がある。

(踊るのは後日にして、せっかくのお祭りなんだから絵に収めないとね!まずは)

 シュトラは屋台で割高なお菓子を購入すると、炭窯亭とは違う角度から風景を見渡せる高所を探し始めた。人混みを抜け、屋根へと梯子が伸びる建物を見つける。

 屋根上には、ちょっとしたスペースが設けられており、スィルトホラの景色を見渡しながら絵を描けると確信すれば、足は自然と建物へと向かう。

(あそこなら、いい絵がかけそうな気がするんだよね)


 扉を開けた先は大衆食堂で、ちょうど昼の営業が終わったところだった。

「ごめんね、今は仕入れの時間でお昼の営業は終わっちゃったのよ〜」

 エプロン姿の女性が困り眉で応対する。

「食事じゃなくて、屋根を借りたいんだけど」

「屋根?」

「祭りの風景を絵に描きたくて。料金は払うから、どうかな?」

「あら〜、可愛い絵描きさんね。いいよ、好きに使ってくんな。お金はいらないから」

「ありがとう!じゃあ、このお菓子をどうぞ。さっき屋台で買ったの」

「まあ、ありがとさん」

 踵を返しかけたところでシュトラの目に、店内の壁に飾られた数枚の絵画が映り、ふと足を止める。

「絵、好きなの?」

「父ちゃんがね、店の合間に絵を描いてて。世間じゃ評価されなかったけど」

「そうなんだ……。お父さん、目が悪かったの?」

「あはは、よくそう言われるけど、目は良かったよ。『写実だけが絵じゃない!伝統ばかりに縛られるのは終わりだ!』って、色々な表現を試してたんだ」

 パースにわずかな狂いがあり、輪郭も曖昧。だが、光の使い方が印象的で、幻想的とも神秘的とも言える絵画。シュトラは椅子に腰かけ、それらを静かに見つめた。

「……」

「……」

「……変わってるけど、いい絵だね。あたしは好き。綺麗でさ」

「父ちゃんも喜ぶよ」

「今日はお祭りに行ってるの?」

「いや……一昨年、プシュカリディソスへと旅立ったよ」

「そうなんだ……残念。色々、話してみたかったな。……本当に、良い絵だね」

 そう言い残して、シュトラは観覧料として硬貨を机に置き、屋根へと登っていった。

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