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第5話 ヘルソマルガリティア ①

▼▼▼


 落丁の果てにある、忘れられた始まりの一頁を紐解こう。


 移動式住居から飛び出せば、カラリとした風があたしの頬を撫でる。

 乾季の女神トロケリン様の贈り物、今日はいい旅立ちになりそう!

「本当に…行ってしまうのですか?」

「うん。豊潤の女神タウヴェリン様が雨季を連れて来る前に旅立たないと、進めなくなっちゃうからね!」

 ママは寂しそうな瞳をあたしに向けている。

 …あたしもちょっと、家族と離れるのは寂しい。けれど、旅へ出たい気持ちは変わらない。世界を見たいんだ。

「辛くなったら帰ってくるのですよ。お父さんもお兄ちゃんたちも、貴女の帰りをいつでも待っているのですから」

「わかったよ、ママ。それじゃあ、元気でね!」

 優しく抱きしめてくれたママの温もり、変わることのない安心感は、あたしに踏み出す勇気を与えてくれる。


 集落を進むと、族守の小父オジさんが軽く手を挙げていた。

「おや、巫子様じゃあないか。…遠出ですかい?」

「旅に出るんだよ、世界を見たくってさ!」

「そう、ですか。…巫子様がいなくなると、ちいっとばっかし寂しくなっちまいますなぁ」

 あたしや皆と同じ、空を飛べない翼の腕をした小父さん。小さい頃は、仕事中だったのに構ってもらったっけ。

 …心配させないように、笑わなくっちゃね!

「えへへ、大兄だいにい義姉ねえちゃんの間に子供が出来るんだし、賑やかになるよ!中兄ちゅうにいももう直き、じゃないかな?」

「そうですけども。……はぁ、旅のご無事を祈っています。トロケリン様とタウヴェリン様は、何処までも巫子様を見守ってくれますから」

「うん!またね!」

 足取りは軽い、どこまでも走れそうだ。

 きっと、ママが作ってくれた、この外套のおかげだね。


 明日へと踏み出したこの少女は、世界を瞳に収め、数え切れないほどの誰かと関わり合い、確かな道を踏み固めることとなる。

 何れ進む、誰かのための道を。


▲▲▲


 エヴィリオニ王国とバネエジー国、そしてヘルソマルガリティアの3地域へ足を運ぶことの出来る三間街道をシュトラはのんびりと歩いていた。

 羽と鱗の共巣フォリャ・トン・セイリノンが力を付けてエヴィリオニ王国と東部諸国への緩衝をになっている現在、この三間街道は危険の一切が取り払われた平和な場所となっており、それ故にスィルトホラ領が暇を持て余し田舎領地と呼ばれる所以でもある。

 シュトラは早々と道を逸れ、木々の生い茂る道ですらない場所を進み、木々のカーテンが開ける頃には海崖へと到達。

 海を覆う山岳半島と、穏やかで豊かな入海が彼女の視界に入った。

 懐からチョークを取り出し、手の甲へ魔法陣を描き、鼻歌を奏でれば、自身に緩衝の魔法を付与され、岩の切り立った海崖を軽々と降りていく。

「おっ!シュトラ様、仕事帰りか?」

 海から顔をだしたのは、上半身が人族、下半身が魚になっている鱗人族イクシサントロポスの男。

「そんなとこ。帰らないで東部諸国に行っても良かったんだけど、近く通るなら顔を出せってうるさいからさー」

「ははっ、他の魔女さんらは他国へ行きたがらないし、シュトラ様は可愛らしいから他の皆んなも気を揉んでるんさ」

「だといいけどね。それじゃお仕事頑張って」

「おうよ!」

 彼の手に様々な道具が収まっており、漁場の管理を行っていることが覗える。

 主な産業の一つは真珠の養殖。

 ヘルソマルガリティア産の真珠といえば、方々でも高値で取引される至高の宝玉、他の追従を許さない程の養殖技術を有している地域なのだ。

 真珠貝に寄生し成長を阻害する生き物の対処、防波堤の管理等、彼らの仕事は多い。

 岩の突き出る砂浜を歩いていけば、居住区画の一つへ辿り着く。

 そこには両腕に見事な風切羽を伸ばした羽人族や、水棲生物の特徴を持つ鱗人族、少数ではあるが純人族が見られる。

(いつもながら三種三様、上手く付き合って、賑わっているよね。…鱗人族イクシって、一言のまとめられてる割に多種多様というか)

 そう、鱗人族と一言に纏められている種族だが、下半身が魚やイルカの様になっている者から、腰部から魚尾の生える者、亀のような甲羅を背負った者まで様々。一見すると他種族郡だ。

 それと比べれば羽人族は両腕に翼を有し、鳥のような足になっているだけで、羽の模様や色くらいしか違いはない。

「おーい!シュトラ様!丁度いいところに!!」

 大地を揺るがす程の大声でシュトラに声を掛けたのは、身長12トゥカン250cmはあろう鯨の尾を腰から生やした鱗人族の男。

「どしたの?」

「見ての通り大工仕事でさあ!…へへ、いつもの魔法でパパッと建材を軽くしてくれねえか?」

「いいよ、運搬も手伝おうか?」

「助かるぜ!!」

 魔女が膨大な対価を求めるのは共同体の外の相手のみ。身内を手伝った場合には、納める運営金の減額が行われる。

 ヘルソマルガリティア地域に属する者でも、その殆どがカラウスで、魔女ともなればアノリアの中でも一握り。特殊な力を運用できる魔女たちは、共巣の住人からすれば頼りになる隣人なのだ。

「大盛況だね」

「おう!!最近はずっと人が増え続きで、俺ら大工は毎年毎年忙しくてしょうがねえ!!たっはっはっは!!」

「あはは、嬉しい悲鳴だっ」

「まったくだぜ!!」

 魔法で軽量化した資材をシュトラと大工で山程抱え、雑談をしながら運搬をすれば住人から挨拶を貰い、慕われているのがよく分かる。

「よいしょっと。まだ運ぶ建材はある?」

「いやもう大丈夫だ!!一日分の仕事が一瞬で終わっちまったから、新しい家が一日早く建つぜ!!ありがとうなシュトラ様!!」

「うん、…いや、あいよー!共巣にいる時はいつでも声を掛けてね!」

「頼りにさせてもらうぜ!!たっはっはっは!!」


 その後もあれこれ手伝いながら遅々とした歩みでたどり着いたのは、春夏秋冬の季節に関係なく数多の花が咲き誇り続ける『枯れない庭』。その中にこぢんまりとした家が建っており、それがシュトラの家だ。

 甘い香りに包まれながら自宅の扉を開け放てば、黒い翼の羽人族が二人腰を折り深々と礼をする。

「「おかえりなさいませ、先生」」

「ただいま。スケフィナ、ムネリナ」

 スケフィナ・マヴリオニスとムネリナ・マヴリオニス、双子の羽人族だ。

「不在中になにかあった?」

「『理の魔女』第1座クーヴァが、金庫の解錠及び運営金を回収する姿を覗いました」

 と丁寧口調なスケフィナ。

「徴収証はいつもの場所」

 ムネリナは、やや控えめな口数だ。

「金額も間違いありませんが、先生の方でも精査のほどを、お願いしますね。ふふっ」

「りょーかい」

 先程までの態度から一転し、双子は柔和な表情でシュトラの荷物を回収し、部屋着を用意する。

「今日はこの後、何処かへ行かれます?」

「次の会議っていつ?」

「明日です」「明日」

「なら今日は、外で描いた絵の整理でもしようかな」

「承知しました」「夕食の準備しとく」

「よろしく」

 シュトラは自室へ戻るとスィルトホラで描いた絵画を取り出し、棚に収めていった。

 その中にある一枚。レオニスの似顔絵を眺めては笑みを零し、額縁に入れ壁に飾る。


「見て見て、ムネリナ。先生が純人族の、それも男の絵を飾ってますよ」「大変。クーヴァが荒れる」

 双子は扉の隙間からシュトラの様子を伺う。

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