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第8話 理の集会 ①

 シュトラは硯に作った墨液へ筆を浸け、雅仙紙に絵を描く。

(すっっごい滲む、なにこれ!?…というか思ったよりも、薄い?)

 先ずは1枚。筆を遊ばせて、画材としての特性を掴もうとしていた彼女は、今までの画材と異なる様子に驚いていた。

 磨墨し、墨液を濃くしたシュトラは、何度も線を引いては唸る。

(滲みは少なくなったけど、固形絵の具を擦る道具は1個だけ。濃淡を出したりするには、複数必要になるんじゃないのかな?)

「とりあえず、」

 画材置き場に行き、油絵具ようの小皿をいくつか持ってきては移そうとするのだが。

「あっヤバ!スケフィナ、ムネリナぁ、雑巾雑巾!」

 墨液を移すような口のない硯だ、床に零してしまい大急ぎで双子を呼ぶ。

「持ってきた」

「ありがと」

 二人で床の墨を拭き取るのだが、黒く汚れてしまい顔を顰める。

「これは…随分と派手に汚しましたね」

「なんか全然落ちなくってさ」

「材料が分かれば、対処のしようもあるのですが…。ふむ」

 指先で拭い、臭いや質感を確かめ、スケフィナなりの答えを導き出す。

「煤と、接着剤…膠でしょう。私が綺麗に処理できますので、別の、汚れてもいい場所で続きをお描きください」

「任せちゃって悪いね」

「ふふっ、お気になさらず。先生の為でしたら、この程度は安いものです」

 ムネリナもドヤ顔で頷いている。が、彼女は掃除を得意としていない。

「よろしくね、二人とも」


 庭先に移ったシュトラは、いくつかの小皿に濃度の異なる墨液を取り分け、絵を描いていくのだがどうにも画材の特性を活かせている気がしない。

(黒の濃さで影や立体感を出そうとしても、イマイチ。…油絵具みたいに重ねると、どんどん汚くなっちゃうんだよね)

 全く手がかりが掴めないと腕を組んで考え込む。

 もう一度と、筆を寝かせ絵の具を置くようにシャッシャと面に塗ってみたら、シュトラの眉間には深い皺が刻まれてしまった。

(現物も技法も分からないと…なかなか厳しいものがあるね。手探りも面白いんだけどさ)

 色々と試しながら進捗を書き留め、墨絵に挑戦を進めた。


 ばさり、ばさり。羽撃きを耳にしたシュトラが天を仰ぐと、木目模様の翼のクーヴァが舞い降りた。

「御機嫌よう、シュトラ魔女。…趣味の絵画ですか?」

「そうだよ。黒しかない異国の画材でさ、技法が分からないから、手探りで進めてるんだ」

「ふむ。黒のみ、ですか。シュトラ魔女が出先で描かれる、炭の絵も黒だけですよね?勝手が違うのですか?」

「木炭は素直なんだけど、こっちの墨絵は風変わりでね〜」

 談笑をする二人は微笑み合う。

(ふふっ、直向きな姿は見てて心地の良いものですね。…なにか手助けをできればよいのですが、絵画に明るくないのが悔やまれますね)

 クーヴァは墨絵を眺めるも、シュトラの家に置かれている数々の絵画と比べれば、児戯に等しい出来であると頷く。

「そういえばさ、何か用があってきたの?」

「特別、用事があって降りたわけではないのです。共巣での滞在が長くなり、その素早い脚が開く時間も増えると思いまして、今後の予定をいくつか立ててしまいたかったのです」

「そういうことね、いいよ。お茶でも淹れてこようか?」

「ありがとうございます、ではジンジャーティーを」

 家へ招かれたクーヴァは、シュトラと“二人っきり”になれると、胸を躍らせていた。

 先程、汚した床の汚れは綺麗さっぱりなくなっており、家の中は人っ子一人いない静寂の帳が下ろされ、湯を沸かす音と呑気な鼻歌が聞こえるのみ。

(弟子も取らず、自宅に居着くことも少ないのに、綺麗に保たれていますね)

「はい、どうぞ。…クーヴァは何か入れるっけ?」

「ストレートで問題ありません。素材の味を楽しみたいので」

(そういえばそうだったかも)

 シュトラは納得しつつ、席に着いた。

「集会で報告を聞いているとは思いますが、ここ最近…と私達魔女が言うにはよくありませんね。―――」

 こほん、と咳払いをしたクーヴァは、忘れっぽいシュトラの為に状況の振り返る。

 現在の三間街道が平定され三間条約が締結、それにより共巣には平和な時間が訪れるようになった。

 そこから時間が経ち、およそ20年前にベビーブームの到来し、人口増加の兆しが現れた。ヘルソマルガリティア地域は、3つの種族を合わせても人口は2から3万人と、周辺国と比べると少なく、当時の『理の魔女』たちは大喜びであったとか。

 そうしてベビーブームで産まれた子らが育ち、独り立ちすると、それ相応に住宅が必要となる。

「大工さんたちが忙しそうにしている理由だね。船大工さんも協力してるんじゃない?」

「ええ、その通り。高水準で軽量化を扱えるのは貴女しか居らず、建材の運搬に協力をお願いしたいのです」

「全然いいよ。順調に人口が増えて、生活に余裕が出てくれば、自然と外にも目が向くようになるだろうし、きっと時間の問題だよ」

 対外的な協調路線。シュトラの掲げる考えに、クーヴァは眉を曇らせた。

「他者との協調、それは崇高なお考えだと思いますが、………やはり、今までに生じた軋轢は多く、最低限の交流に収めるべきだと、私は考えます」

「慎重だね」

「慎重にならざるを得ません。…それだけの積み重ねがあるのですから」

「東方諸国と大国エヴィリオニ、そして共巣。いがみ合っていた三勢力が矛を収めて、人と人とが交流し合い、理解し合う時代が来たんだ。こういう時はさ―――」

「転換期となりますね。『始まりの魔女』が姿を消して4000年弱……小競り合いと疲弊による停滞の時代は、…終わる。…こんな時、先生であれば」

(…?)

 寂しげなクーヴァの表情に、シュトラは無性に胸が苦しくなる。

「…すみませんね、弱音を吐いてしまいました。シュトラ魔女が、私の教え子ではないから、でしょうか。ついつい、心の底が漏れ出てしまいます」

「他の魔女に見せられないってなら、あたし前では仮面を脱いでもいいよ。大変でしょ?」

「大変…です。大変ですし、別れの時は悲しく胸が張り裂けそうになります。…然し私は先生から預かった共巣を誇りに思い、満足しているのですよ。……ただまあ、こうした時間をいただけるのであれば、…(助かりますが)」

 瞳を逸らすクーヴァの仕草は、4000年近く生きているとは思えない、可愛らしいものであった。

(…心が潤うようです)

(結構な心労なんだろうなぁ…。掲げる理想は違うけど、お互い助け合わないとね)

 二人はジンジャーティーに口をつけ、ほっと息を吐き出す。


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