カラオケボックスに足を踏み入れた瞬間、目に飛び込んできたのは、親密な光景だった。
和樹の胸がきゅっと締め付けられる。深く息を吸い込み、彼は一歩踏み出した。
「こんばんは。凛子の彼氏、和樹です」
拓真は軽く握手を返し、腕の中の鈴木凛子を起こそうとした。「凛子、彼氏が来てるよ。起きて」
けれど、酔いで意識の薄い凛子は、むしろその腕にさらに身を寄せて、甘えるように言った。
「……彼氏は……拓真くん……だもん……」
空気が凍りついた。周囲の友人たちの表情も凍りつき、気まずさが立ち込める。
和樹は表情を変えず、鞄から数錠の薬を取り出した。
「酔ってるね。これは酔い覚め。少し落ち着いてから帰ろう」
薬はすぐに効き始め、凛子の目にも次第に正気が戻った。
和樹の顔を認識した瞬間、彼女は慌てて伊藤の腕から身を引いた。
「……ごめん。今の、間違えただけ」
和樹は淡々と、唇の端をわずかに上げた。
「うん、知ってる。帰ろうか」
凛子はうなずき、上着を取ろうとしたが、酔いの残る友人たちが立ちはだかった。
「もう帰るの?凛子、あんたいつも研究ばっかで全然遊んでくれないし、今日は拓真が来るからって呼び出したんだよ?水差さないでよ!」
そう言って叫んだのは、田中舞という女の子だった。
「これからが本番だよ?今抜けるの、本当空気読めないわね!」
そう言いながら、彼女たちは凛子を強引に席へと押し戻した。
「今日は本気で行くよ!ロシアンルーレット、スタート!指された人は、何か秘密をひとつ暴露するルールね!」
凛子も特に抵抗する様子はなく、視線を和樹に向けた。
彼は感情の読めない顔でひと言。
「……いいよ、やれば」
ルーレットが回る――最初に止まったのは、凛子。
「ヤバい!初回からいきなり凛子!」
「じゃあ軽めにいこっか。スマホの連絡先と、LINEのピン留め見せてよ!」
簡単なリクエストに見えて、凛子は沈黙した。
田中舞たちはさらに盛り上がる。
「え~?そんなの簡単でしょ?彼氏いるんだから、当然ピン留めは和樹くんでしょ!」
凛子は淡々と返した。
「分かってるなら、別のにして」
それでも彼女たちはしつこく、隙をついてスマホを奪い取った。
ピン留めをタップすると、そこに表示された名前は――伊藤拓真。
場の空気が一気に凍りつく。
凛子は無言でスマホを取り返し、立ち上がった。
「……ちょっと、トイレ」
十分、いやそれ以上経っても戻ってこない。
体調を心配した和樹は、席を立って外へ向かった。
そして、トイレの前で聞こえてきたのは――彼女の怒りを抑えた声。
「……酔ってるけど、意識はある。麻衣、なんであえて私に酒を回したの?それに、あんな要求まで……」
「凛子、あんたが拓真を好きなことなんて、みんな知ってるよ?自分で言えないなら、代わりに私がやるしかないじゃん」
「和樹くんだって可哀想だよ?はっきりさせれば、彼も身を引くでしょ?」
「……私のことは、私が決める。勝手なことしないで」
そのやり取りを聞いていた和樹は、苦笑を浮かべた。
目元が少し熱を帯びた。
彼はトイレに入り、水をすくって顔を洗い、深呼吸をしてからスマホを取り出し、凛子に一通のLINEを送った。
「外で待ってる」
まもなく、彼女が出てきて、何も言わずにバッグを取って下へ降りた。
ちょうどそのタイミングで、和樹のスマホに母からの電話がかかってきた。
しばらく他愛ない話が続いたあと、最後にこう尋ねられた。
「準備、もうできてるの?」
和樹は無感情な声で答えた。
「……うん。いつでも出発できる」
その言葉が終わった直後、背後から凛子の声が重なった。
「出発?……どこへ行くの?」