ホラーハウスを飛び出した拓真は、まだ動悸が収まらず、胸を押さえて呼吸を整えていた。
さっきのキスを思い出すと、顔が熱くなる。
彼は頬を染めたまま、冗談めかして凛子をにらんだ。
「凛子、あれはやりすぎだって!
俺のこと心配してくれたのは嬉しいけど、和樹の前であんなことされたら、誤解されるよ」
駆け出していたせいで、凛子は和樹が見ていたかどうか確信が持てず、何も言わなかった。
拓真はホラーハウスの閉じられた扉を見やりながら、さらに続ける。
「でも、あのミッションって絶対じゃん?和樹、一人でどうやってクリアしたんだろう?
……まさか、誰かに適当にキスして出てきたとか?」
凛子は小さく首を振った。
「しないよ。あの人、私以外、目に入らないから」
拓真は少し驚いたように目を見開いた。「そんなに自信あるんだ?」
「うん。彼、私のことが本当に好きだから」
――その言葉を、ちょうどホラーハウスから出てきた和樹が聞いていた。
汗で乱れた前髪を整えながら、彼は微かに口元を歪める。
そうか、分かっていたのか。
自分の気持ちを知った上で、それでもなお、こんなにも無神経に人を傷つけられもんだな――
「……出てきたんだね!」
拓真が嬉しそうに駆け寄り、親しげに彼の腕を取った。
だが和樹はさりげなく距離を取り、淡々と答えた。
「簡単だよ。ミッションを放棄すれば、スタッフが出してくれるんだ」
「えっ、放棄ってできたの!? じゃあ俺たち、なんで……」
拓真が凛子を見る。
凛子はすぐに言葉を挟んだ。
「……ごめん、私、心配しすぎて……あんなことを」
頬を赤らめた拓真は、ためらいながらも和樹に尋ねた。
「でもさ、和樹さえ気にしないなら……別にいいよね?
だって、凛子と俺、昔から“おままごと”とかで何度もキスしたし。
あれもふざけてたようなもんだし、深い意味なんてないよ?」
――茶化すような空気、軽いノリ。
そんな中、和樹はただ無言で出口の方へ歩き出した。
恐怖と疲労で拓真も限界だったのか、「じゃあ、先に帰るわ」と言い残して先にタクシーへ乗り込んだ。
その背中を見送りながら、凛子が和樹を振り返る。
「……疲れたでしょ?
どこかでごはん食べない?洋食がいいな」
さっきのキスへの罪悪感――
和樹には、その急な優しさが償いに見えていた。
彼女なりの配慮なのだろう。
だが、もうどうでもよかった。
「ああ、いいよ」
二人は近くのフレンチレストランへ。
凛子が予約したのは、二階の個室。窓の外には、煌びやかな東京の夜景。
テーブルの上には揺れるキャンドル。
けれど、和樹の視線は、花瓶の中に活けられた黄色いバラに釘付けだった。
凛子は話題を探そうとしていたが、ふとLINEの通知音に気づき、スマホを開いた。
その瞬間、彼女の顔色が変わり、慌てて立ち上がる。
「……ちょっと急用ができた。ごめん、一人で食べられる?」
和樹は彼女を一瞥したが、何も聞かずにうなずいた。
凛子はコートをつかみ、足早に店を出ていった。
入れ替わるように、ウェイターが注文したばかりの料理を運んできた。
事情を知らぬ彼は困惑した様子で辺りを見渡す。
和樹は何も言わず、ナイフとフォークを手に取り、黙って食事を始めた。
午後七時、食事を終えた彼はタクシーを呼び、スマホで何気なくLINEのタイムラインを更新した。
一番上に出てきたのは――拓真の投稿だった。
写真には病院のベッド、そして包帯で何重にも巻かれた足。うっすらと血が滲んでいる。
「運が悪すぎる……追尾事故に巻き込まれて、帰国早々入院」