凛子は長らく沈黙していた。
和樹もまた一言も発さず、カップのコーヒーを飲み干すと、バッグを手に立ち上がった。
思考に沈んでいた凛子は、その動作に我に返り、慌てて立ち上がって彼の手首を掴んだ。
「私……」
和樹は静かに彼女を見つめ、しばらく待ったが、彼女はその先の言葉を紡げなかった。
やがて、彼の中の忍耐は尽きた。
左手で力強く、彼女の手を振りほどいた。
「四年間、君を愛した。
それだけで、もう十分だよ、凛子」
そのため息のような語調に、凛子の胸は大きく波立ち、動揺の色を隠せないまま彼を見上げた。
「ごめんなさい、カズキ。
これまでの私は、恋人としてちゃんとできてなかった。
本当に悪かった。
もう一度、チャンスをもらえないかな?」
和樹は彼女をじっと見つめ、瞳に一瞬だけ嘲るような光を浮かべた。
「君の心にあるのは俺じゃない。
何度やり直しても、結末は同じさ。
もう終わりにしよう」
そう言い切ると、彼は一切迷うことなくドアに向かって歩き出し、二度と振り返ることはなかった。
その背中を見送る凛子は、まるで全身の力が抜け落ちたかのように、ソファに崩れ落ちた。
焦点の合わない目で宙を見つめながら、彼の言葉が何度も耳の奥で反響する。
そして、頭の中には二人の三年間が次々とよみがえった。
彼女は彼のLINEにめったに返信せず、日常の出来事を語ることも少なかった。
会うことさえ惜しみ、彼の想いに目を向けたこともなかった。
彼の変化にも気づかず、ましてや愛を口にすることなど一度もなかった。
和樹は、そんな情のない荒野のような関係の中で、三年もの間、ただ一人で想い続けてきたのだ。
けれど凛子は、それに気づくこともなく、彼の目の前で拓真と親しげに接し、距離も節度も持たなかった。
そんなふうに、彼の真心を軽んじ、踏みにじってきた彼女に、一体どんな資格があって「やり直したい」などと言えたのだろう?
午後の陽射しは明るく、穏やかに和樹の肩に降り注いでいた。
心の奥に溜め込んでいた言葉をすべて吐き出したことで、彼の足取りは軽くなり、目に映る景色が急に鮮やかに感じられた。
広場の噴水が太陽の光を受けて虹を描く。
その光景を撮ろうと彼はスマホを取り出した――ちょうどその時、LINEに通知が次々と届いた。
開いてみると、友人やクラスメートからのメッセージで埋め尽くされていた。
内容はすべて、「高橋と凛子の間に何があったのか」という問いだった。
画面を見つめながら、和樹は少し煩わしさを覚えた。
何と返せばいいのかも分からない。
なにせ、この件には拓真も絡んでいる。
彼を巻き込みたくない気持ちが強く、なおさら慎重な言葉選びが必要だった。
歩きながら思案した末、どんな言葉も不適切に思え、結局、写真と一緒にLINEのタイムラインに一言だけ投稿した。
――「ご心配なく。円満に別れました」
たった十文字。
しかし、それは大学の情報ネットに嵐のような衝撃を巻き起こした。
「!!!ミスコン女王がフリーに!!!」
「凛子がついに高橋を振った!?」
ルームメイトから送られてきたスクリーンショットの盛り上がりに、和樹は苦笑した。
思わず寮のグループチャットにこう打ち込んだ。
「俺ってそんなにダメか?なんでみんな“彼女が解放された”って感じなの?」
すると、すぐに仲間たちが励ましの返信を送ってきた。
「ミスコン女王の幻想に騙されてるだけだよ、カズキの良さが分かってないんだよ」
「だよな、可愛い子なんていくらでもいる。気にすんな、もっといい子見つけよ!」
「佐藤陸の言う通り!あんな薄情な女に振り回されて落ち込むなんて損すぎる!カズキ、元気出して!」
皆が「傷ついているに違いない」と信じて疑わない様子に、思わず笑ってしまった和樹は、すぐに一言書き込んだ。
「俺は傷ついてないよ。別れを切り出したのは、俺だから」
五秒後、画面は「!?」と「?」で埋め尽くされた。
十分も経たないうちに、「ミスコン女王が彼氏にフラれた」という噂が大学中に広がっていた。
そして――
和樹の名前は、一躍有名になったのだった。