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第22話

電話の向こう側に、長い沈黙が訪れる。


やがて、凛子の声がようやく返ってきた。


その語調には慎重な逡巡が滲んでいた。


「……確かに、昔は彼のことが好きだった。

でも、それはもう過去の話。

あなたと付き合ううちに、少しずつ心があなたに向いていって……今では、彼のことはただの“友達”としか思っていない」


「……友達?」

和樹は、その言葉を繰り返した。


脳裏をよぎるのは、あのホラーハウスで、彼女と拓真がキスを交わした光景。


彼は、皮肉げな笑みを浮かべ、声を冷たくした。


「もし拓真が帰国しなかったら……

俺は今も“君のスペア男”として、冷たい態度を“愛”だと勘違いしてたんだろうな。


――君が俺のことを“好き”だった?……全然、伝わってこなかったよ。


俺に見えていたのは、拓真のことばかり気にかけて、庇っていた姿だけ。


もしあの“親密な関係”が“友達”なら、


俺は……君にとって“友達以下”だったってことだろ?


――もうやめよう、凛子。自分に嘘をつくのは……。


君が好きだったのは、最初から俺じゃなかったんだ」


その言葉は、すべての壁を打ち砕くように、はっきりと電話越しに響いた。


すぐ隣で聞いていた両親は、そのやりとりの一部始終を黙って聞いていた。


互いに目を合わせ、そこにあったのは驚きと、息子への言葉にできないほどの深い痛みだった。


息子がどれほどこの恋愛で傷ついてきたか――今のわずかな会話だけで、彼らには十分に察することができた。


それは、息子自身が語ったどんな説明よりも重く、深いものだった。


電話の向こうで、凛子は返す言葉を失っていた。


何も言えないまま、ただ沈黙が続いた。


和樹自身も、ここまで感情をぶちまけるつもりはなかった。


だが、両親の前で取り繕う必要もなく、つい口にしてしまった。


その直後、両親の表情を見て冷静さを取り戻し、受話器に向かって静かに、だが決然と告げた。


「……あの日、別れを告げた時点で、俺の中に“好き”なんて感情は何一つ残ってなかった。


君が誰を好きだろうが、もう俺には関係ない。


ただ伝えたいのは――


俺たちは“過去”を共有しただけで、“未来”は絶対にないってことだ」


そう言い切ると、彼は返事を待たず、電話をピッと切った。


携帯を置き、振り返ると――両親の視線を受け止めながら、彼はわざと軽い調子で言った。


「……どう?今の俺、カッコよかった?お父さんとお母さんの理想に近づけた?」


母の目にはうっすらと涙が浮かび、父も唇を固く結んでいた。


次の瞬間、二人は同時に手を伸ばし、息子をそっと、けれど力強く抱きしめた。


高橋母の声はかすかに震えていた。


「……カッコよかったよ、和樹。

お父さんもお母さんも、あんたのそういう強さが好きよ……


でもね、何かあったら……どうか一人で抱え込まないで。

お父さんとお母さんに話してね。いい?」

その声に、和樹の鼻の奥がツンと熱くなった。


けれど彼はすぐに気持ちを切り替え、逆に両親を安心させるように言った。


「もう終わったことだよ。本当に、今は彼女のことを“他人”としてしか見てない。


ちっとも未練なんてないんだから、心配しないで」


息子のしっかりした様子に、かえって両親の胸は締めつけられた。


高橋父がふうっと息をつき、つぶやくように言った。


「……やっぱり、あのとき無理にでも連れて海外に出るべきだったかな。


日本に一人で残してしまったせいで、こんな辛い目に……」


「お父さん、お母さん!」


和樹はすぐさま言葉を遮り、太ももを軽く叩いた。


「それは違うって!……俺がバカだっただけなんだよ。


……いや、咳、ちょっと“見た目に騙されて”たんだ。


今になって思うけど、やっぱり――“先人の教えは金の鉱”だねぇ~」


わざとらしく渋い口調で語り始めた息子に、両親は思わず吹き出した。


「なにそれ、どこで学んだ口調なの!」


父は笑いながら息子の頭をぽんと叩き、母も涙を拭いつつ、微笑んで言った。


「ようやく分かったでしょ?お父さんとお母さんが言ってたこと。もう、次はもっと慎重にね!」

和樹はすぐに背筋を伸ばし、ふざけながらも真剣な目で答えた。


「はい!お父上とお母上の仰せのままに!」

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