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第23話

あの電話以来、和樹は意識的に凛子を避けていた。


エレベーターや廊下で偶然すれ違う以外、彼女の存在を感じることはほとんどなかった。


顔を合わせれば、凛子はいつも先に挨拶してきたが、和樹は目もくれず、無言でその場を離れた。


彼の冷淡な態度に、凛子の目に浮かぶかすかな陰り――それを背に見ながらも、和樹の足は止まらなかった。


そんなふうにして、距離を保った日々が続いていた。


インターンもそろそろ終わりを迎え、新学期の準備も始まり、和樹は多忙な毎日を送っていた。


日々は充実していた。


唯一、頭を悩ませていたのは、向かいの部屋に住む“元カノ”の存在だけだった。


その夕方――秋風が少し肌寒く感じ始めた時期、和樹は一人でショッピングモールへと出かけた。


新しいジャケットを何着か選び、会計を済ませたあと、路地を抜けてタクシーを拾おうとした。


キャップを目深にかぶり、イヤホンを耳に差し、音楽に没頭していた彼は――自分の背後に迫る二人の大柄な外国人の存在に、まったく気づいていなかった。


狭い路地の奥へ進んだところで、突如、目の前にギラリと光る刃物が現れた。


和樹が気づいたときにはすでに遅く、彼は強盗に遭っていた。


人通りのない薄暗い道、冷たいナイフの先端が皮膚をかすめる感覚に、抵抗する気力など湧くはずもなかった。


無言で財布とショッピング袋を差し出すと、二人の強盗はそれをひったくり、そのまま背を向けて走り去っていった。


寒さで冷えた石壁に背を預け、和樹の背中は汗でぐっしょり濡れていた。


足元から崩れそうになる体を支え、呼吸を整えようとしていたその時――視界の端を、一陣の風のように誰かが駆け抜けた。


――また何かあったのか!?


不安が胸をよぎり、顔を上げる。


目に映ったのは――凛子だった。


彼女は、強盗を追っていた。


落ちこぼれた一人に追いつくと、肩をつかみ、和樹の財布を力づくで取り戻した。


罵声を上げる強盗に、凛子は抵抗した。


そこへ仲間が戻ってきて、三人が乱闘状態となった。


和樹はその光景に凍りつく。


二人の手には、まだあの凶器が握られていた。


――危ない!


とっさに、彼は巷口の方向へ向かって叫んだ。


「 Police ! Par ici !(お巡りさん、こっちです!)」


その大声に、強盗たちは一瞬たじろいだ。


視線を交わし、逃げる気配を見せた。


だが、凛子はなおも手を離さなかった。


ナイフを持った男の腕を必死で掴み、食らいついていた。


パニックに陥った男は、ナイフを振りかざし――その刃は、彼女の腹部に深く突き刺さった。


凛子の全身から力が抜け、手が離れる。その隙に強盗たちは彼女を蹴り飛ばし、逃げ去っていった。


目の前で、凛子が倒れ込む。


和樹の心臓が、重い音を立てて胸を打った。


駆け寄ると、彼女の両手は腹を必死に押さえていた。


だが、指の隙間から溢れ出る血が、止まることなく染み出していた。


「……っ」


意識が遠のきかける中で、彼は震える手でスマホを取り出し、救急番号を押した。


彼女の顔は真っ青で、唇すら青白い。


必死に目を開けようとする彼女の表情に、息が詰まる。


――絶対に眠らせちゃダメだ!名前を何度も呼ぶ。


叫ぶようなその声は、恐怖で震えていた。


彼女のカバンに入っていた新しいスカーフを取り出し、傷口に押し当て、止血を試みる。


時が止まったようだった。意識は、冷たい闇に沈んでいく。


そのとき――サイレンの鋭い音が響いた。


和樹は飛び起き、サイレンの方向に向かって全速力で駆け出した。


腕を大きく振り、必死に救急車を誘導する。


彼の姿が遠ざかっていく、凛子の意識は薄れていく。


耳の奥で、自分の心音が聞こえる。


ドクン、ドクン。そして――すべての力が抜けていった。


最後に、ほんのわずかに唇が動いた。


まるで、微笑んだかのように。


そして彼女は、そっと目を閉じた。


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