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第24話

凛子の腹部を刺した刃は、幸いにも致命傷には至らなかった。


加えて迅速な救急搬送のおかげで、命に別状はないと医師から伝えられたとき、

和樹の全身から一気に力が抜け、思わずその場に膝をつきそうになった。


両親に状況を電話で伝えた後、病室へ戻る。


ベッドに横たわる彼女はまだ昏睡状態のまま、血の気の引いた顔が布団に埋もれていた。


彼は静かに息を吐き、深く胸を撫で下ろした。


机の上には、血の付いた財布とショッピングバッグが置かれていた。


その鮮やかな赤が目に飛び込み、路地裏でのあの凄惨な光景が鮮明によみがえる。


そして、いま目の前にいる生気のない彼女の姿が、それと重なって胸を強く締めつけた。


――どうして彼女が、あの路地裏にいたのか?


あの夜、自分が買い物帰りに強盗に遭ったのは偶然だ。


だが、どうして彼女が、そんな人通りの少ない場所に現れた?


――まさか、ずっと自分のあとをつけていた……?


まったく気づかなかったことに、彼はぞっとした。


その疑問が頭を離れぬまま、時間だけが過ぎた。


やがて、父と母が急ぎ病院へ到着。


話し合いの末、母が病室に残って凛子の看病を続け、父が和樹を連れて警察へ赴き、被害届を出すことになった。


事情聴取と書類手続きを終えた帰り道、彼らは病院から、凛子が目を覚ましたとの連絡を受けた。


急いで戻り、病室の前で一度立ち止まる。


母が和樹に目配せし、「あなたが行きなさい」と促す。


父はついて行こうとするが、母に袖を引かれて思いとどまり、無言のまま、不安げに息子を見送った。


病室の扉を開けたその瞬間――凛子の視線が、一直線に彼へ注がれた。


まるで、その瞬間をずっと待っていたかのように。


その熱のこもった目に、和樹は居心地の悪さを覚え、視線を床に落とす。


黙ったまま、ゆっくりとベッド脇まで歩を進めた。


「……ありがとう」


低く、真摯な声だった。


彼が立ち去ろうとしていると感じたのか、凛子は反射的に体を起こそうとし、横の椅子に手を伸ばした――その瞬間、腹部の傷が引き攣れ、顔が歪み、鋭い痛みに息を飲んだ。


「……っ!」


苦悶の表情に、和樹はギョッとして振り向いた。


「大丈夫か!?傷が開いたのか?今、看護師呼ぶ――」


「待って!」


凛子がかすれた声で制した。


「大丈夫……ちょっと動かしただけ。

痛いだけで……」


その言葉に、和樹は戸惑いながらも動きを止めた。


「……本当に大丈夫か?」


彼女は小さく頷き、再び身を沈め、息を整える。


指先でベッド脇の椅子を指し示すと、和樹はしぶしぶ座った。


自然と彼の目が彼女の腹部へと向く。


シーツの下に血がにじんでいないかを確認し、ようやく胸をなで下ろす。


命の危機を乗り越えた凛子。


再び彼に“見てもらえる”という事実だけで、心の奥にわずかな満足が生まれていた。


それがどれほど愚かでも、今の彼女には、それだけで十分だった。


その時、不意に目が合う。


彼の顔に、戸惑いの表情が浮かんでいた。


「……死にかけたってのに、よく笑えるな」

彼の皮肉に、凛子は心の奥の本音を隠し、穏やかに答えた。


「だって……和樹がようやく、私を見てくれたから。


……この数日、一度も目を合わせてくれなかった。


すごく、悲しかったんだよ」


それを聞いた和樹は、言葉を失った。


「……たかが財布や服だよ?

なんで……あんな奴らを追いかけたりしたんだよ。


あの刃物が、ほんの数センチ違ってたら……君は……」


その声には、自分でも気づかぬほどの動揺と恐れが滲んでいた。


だが凛子にとっては、それすらも温もりに感じられた。


その口調に、愛された過去が重なる。


彼女の唇に、微かな笑みが戻る。


「……それって、心配してくれたってこと……?」

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