凛子の問い返すような一言に、和樹は一瞬言葉を失った。
眉をひそめ、怒気を押し殺した声で言い放つ。
「……お前、本気で死ぬつもりだったのか?」
その言葉を真正面から受け止めた凛子は、視線を逸らさず彼の顔を見つめ返した。
その瞳には、どこまでもまっすぐな、ほとんど執念に近い優しさが滲んでいた。
そして、はっきりと、ひとことずつ噛み締めるように答えた。
「……あなたのためなら、命なんていらない」
予想もしなかった言葉に、和樹の心が大きく揺れる。
かつての彼なら、その一言に心を打たれていただろう。
だが今、彼の心に広がったのは、冷たい沈黙だった。
返事が返ってこないままの空気に耐えきれず、凛子は再び口を開く。
「……ケガはなかった?私、間に合わなかった……怖かったよね……」
その言葉に、和樹の中の“疑念”が鋭く立ち上がった。
「……なんで、あのときあそこにいたんだ?
まさか偶然なんて言わないよな」
突然の問いに、凛子の頭は真っ白になった。
口を開こうとしたが、言葉が出てこない。
その沈黙が、逆にすべてを物語っていた。
和樹の目はどんどん鋭くなり、眉間には深い皺が刻まれる。
焦った凛子は、すぐに口を開いた。
「私……コンサル会社の『Stratégie Stellaire(ストラテジー・ステレール)』でインターンしてるの。あなたの会社の向かいにあるビル。
今日はあなたが普段と違う道を通ってたから……気になって、つい……
まさか強盗に遭うなんて思わなかったし……
財布に大事なものが入ってるかもって思って、咄嗟に……
本当に、刃物があるなんて知らなかったの」
懸命に言葉を並べる彼女の様子に、和樹の表情はますます険しくなっていった。
「……ごめんなさい、和樹。尾行するつもりじゃなかったの。ただ――」
「今日だけの話か?
……それとも、毎日つけ回してたのか?」
鋭く切り込むその声に、凛子は視線を泳がせた。
曖昧に誤魔化そうとしたが、すぐに追い詰められる。
「……つけ回しってほどじゃないけど……
その、下校時間が似てて……偶然、前後になることが多くて……」
――つまり、ずっと見られていた。
この“偶然”が日常になっていたことに、和樹はようやく気づき、内心で自分の鈍感さを悔やんだ。
彼女の挙動不審な様子に、和樹は冷たく言い放った。
「この前、電話でも言ったよな。さっきも言った。
どんな理由があっても、復縁はあり得ない。
……無駄な努力は、やめてくれ」
その言葉は、氷のように冷たく、容赦なかった。
凛子の目に一瞬浮かんだ希望の光は、無惨に打ち砕かれる。
肩を落とし、下を向いたまま、声もかすれていた。
「……分かってる。
別に、元に戻ろうなんて言ってない……望んでもない。
ただ……そばにいたいの。
遠くからでもいい……見える距離にいたいだけ……
……だから、どうか、追い出さないで」
その声は、どこか懇願するような、押し殺した哀しみを含んでいた。
――あの、いつも冷静で、距離を置いていた凛子が?
まるで別人のようなその姿に、和樹は混乱し、視線を逸らした。
過去の凛子の姿が、脳裏に浮かぶ。
“寡黙で、感情を見せない彼女”と、いま目の前で、必死に自分の想いを語る彼女――そのギャップに、肌が粟立つような感覚を覚えた。
やがて、彼は無理やり話題を変えた。
「……その傷、しばらく入院しないとダメだろ。
家族には連絡したのか? 誰か看病に来るのか?」
凛子は一瞬言葉に詰まったが、すぐに説明した。
「……両親は仕事で世界中を飛び回ってて、今はたぶん無理。来てって頼んでも、時間取れないと思う……」
和樹は露骨に不信の表情を浮かべた。
「……海外で刺されて入院してんのに?娘の命がかかってても、仕事優先か?……理解できないな」