私の父は冒険者だった。
といってもCランク止まりの、いわゆる中堅というやつだったんだけど。
父と母はパーティ内恋愛の末に結婚して、私が生まれたのを期に、母は冒険者を引退して。
父は家を開けることが多かったけど、帰ってきたときには必ず、私にお土産をくれたっけ。
キレイな色の貝殻。いい香りのする木製の栞。瓶に入ったキラキラ輝く砂。蝶の形のガラス細工……。
そうそう、母に内緒で、冒険者ギルドに連れて行ってくれたこともあった。
私が住んでいた小さな町の、小さな冒険者ギルドの支部。
ほとんどが父の顔見知りで、冒険者のお兄さんやお姉さん、おじさん達は、私のことを可愛がってくれた。
ギルドの酒場で蜂蜜入りのミルクを飲む私を、父はエール片手に笑顔で見守ってくれて。
ギルドの受付のお姉さんは、私にいつも、甘いミント味のアメをくれたんだよね。
美人で、テキパキと動いて、仕事もできて。
冒険者は無理だけど、私もいつかはあのお姉さんのような、キレイでカッコいいギルドの受付担当になれたらなって、そう思ってた。
……なんて時期が私にもありました!
もう、誰よ、ギルドの受付嬢になりたいだなんて言い出したの!
私だよ!!!
想像してたのと現実との落差がひどすぎて、頭がくらくらしそう。
でもそんな余裕があるならとにかく動けって感じ。
特に今日。休み明けの今日なんて、ギルドの受付は戦場なんですけど!
依頼の報酬受け取りと依頼の受注、各種申請なんかで、三つある窓口はもう完全に修羅場になってる。
おまけに今日は、ギルドマスターが本部に呼ばれてるとか何とかで不在だから、余計に。
「嬢ちゃん、早くしてくれ」
早くしてるんです、これでも。
「一体何時間待たせりゃ気が済むんだよ!」
だったら別の日か別の時間帯に来て下さいよ。Cランク以上の方はみんなそうしてますよ。
「ああン? 何で俺がこの依頼を受けられねぇんだよ!!」
そういう決まりなんです。依頼にもランク制限があるんです。
「すまん、数えてみたら、依頼の報酬が合ってないんだが」
それは完全にこちらの落ち度です。素直にごめんなさい。
「クソッ、トロトロしやがって、この無能女が」
仕事が遅いって自覚はありますけど、そこまで言うことないじゃないですか……。
ああ、もう、泣きそう。というか泣きたい。むしろ半泣き。
でも、泣いたところでこの地獄みたいな待機列が片付く訳じゃないんだ。
だったら、やるしかないじゃないの。
ええ、やってやりますよ。やってやるんだから。やればいいんでしょ!
と、奮闘していたのが数十分前までの出来事。
「はあぁ…………」
かなり遅いお昼休憩。
ギルド附属の酒場のカウンターに突っ伏して、今の私は完全に放心状態だ。
燃え尽きましたよ、真っ白に。
「おーい、生きてるか?」
私の目の前で、立てられた人差し指が左右に往復している。
酒場の調理担当の、ジャーロさんだ。
「……し、死んでます……」
「お、生きてるじゃねーか」
腕組みしながら、ジャーロさんは笑う。
「しかし、今日は普段の数倍ヤバかったな。やっぱ、スマルトさんが居なかったからか?」
スマルトさんというのは、この冒険者ギルドのギルドマスターだ。
「……それもあるとは思いますけど、純粋に、来てた人の量が」
地獄のような待機列を思い出してしまって、思わず身震いしてしまう。
「まあ確かに、今日はこっちもえげつない人の量だったからなあ」
言いながら、ジャーロさんはタバコに火を点ける。
あ、めっちゃ遠い目してる……。
「今は、タバコの一つや二つや三つ吸う余裕はあるけどな。また夜になると大変だ、こりゃ」
ジャーロさんが酒場を見渡すのに釣られて、私も振り向いて酒場を見渡す。
最も人の多い時間帯はとうに過ぎて、空きテーブルが目立つせいか、少し閑散としているように見える。
一番隅っこにあるテーブルには、酒瓶を抱えた灰色の髪のおじさんがいつものように、突っ伏して寝てる。
そういえば、昼も夜も、いつも居る気がする。あの人。
よくよく考えてみれば、あの人がどんな顔をしてるかも知らない。だって、いつも突っ伏して寝てるから。
同じように、冒険者ギルドのこと、知ってるつもりでも知らないことって結構あるのかも。
「昼も夜も、ジャーロさん一人でやってるんですよね? すごいなぁ……それに比べて、私なんか」
思わずため息。また今日も、たくさん罵声や怒声を浴びせ掛けられてしまった。
「自分を卑下すんな。慣れろ、とは言わねーけどな」
ふうっと、ジャーロさんは煙を吐いた。
「ランクの低い奴は、実入りの少ない仕事しかできねーのよ。だから少しでも多く依頼をこなすしかねえ。結果として、余裕ってモンが無くなっちまう」
灰皿の縁でタバコを揺らして、灰を落とすジャーロさん。
「余裕がねーと、他人に優しくできねえ。それが人間ってモンさ」
余裕がないと、他人に優しくできない。その言葉は、何となく私自身にも向けられているようで。
小さい頃に見た“お姉さん”みたいに、私は仕事中、他の人に気遣いできてるのかな。
「お前までそんな顔すんなよ。とりあえず……メシ食えメシ。昼メシまだだったろ?」
深刻な顔をしていたらしい。ジャーロさんは私の前に陶器のボウルを差し出す。
ここの酒場の名物賄い、牛すね肉と芋の赤ワイン煮込み。
何でも手間が掛かりすぎるので、ギルド職員の賄い用以外には出していないそう。
ああ、もう。美味しそうなんだから。
美味しそうすぎて、ちょっとだけ腹が立つ。
「お、良いモン食ってるな。ジャーロ、俺にも頼む」
言いながら、私の隣の席に座ってきたのは。
「スマルトさん!」
ギルドマスターのスマルトさんだ。
左目に眼帯をして、更に銀縁眼鏡を掛けているという、一度見たら忘れない独特な見た目。
昔は戦士として名の知れた冒険者だったそうなんだけど。
「ほら、大盛りな。後で職員連中ちゃんと労ってやれよ? こっから見ても余裕で分かるくらい、今日はマジでヤバかったんだからな?」
ジャーロさんて、スマルトさんには結構タメ口ですよね。どういう関係なんだろう。
「ああ、分かってる。フロラもお疲れ様だったな。好きなデザート頼んで良いぞ」
スマルトさんのこういうところ、好き。
「じゃ、じゃあ、ドライフルーツ入りケーキとチーズの柑橘ジャム乗せと蜂蜜入りミルクで!!」
「お前、他人の奢りだからって、マジで容赦ねーな」
ジャーロさんが笑う。つられてスマルトさんも笑う。
私は……笑えてるのかな。
笑えるようにならなくちゃ。あの、“ギルドの受付のお姉さん”みたいに。
でも……あの人みたいに、誰にでも笑顔を向けられるようになるには、まだまだ程遠いかな。
「ところでよ、今日の本部からの呼び出しは何だったんだ? 随分と長引いたみてーだったが」
「ああ、処理や調査で細々としたことがあってな。関連書類の準備や受け渡しで時間が掛かってしまったんだ」
「ほーん。事務方でも色々あるんだな」
ジャーロさんが二本目のタバコに火を点ける。
…………?
今、スマルトさんが悪い笑みを浮かべたような?
気のせい……だよね、たぶん。