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第3話 ギルドの日常‐新人受付嬢・フロラ‐

 私の父は冒険者だった。

 といってもCランク止まりの、いわゆる中堅というやつだったんだけど。

 父と母はパーティ内恋愛の末に結婚して、私が生まれたのを期に、母は冒険者を引退して。

 父は家を開けることが多かったけど、帰ってきたときには必ず、私にお土産をくれたっけ。

 キレイな色の貝殻。いい香りのする木製の栞。瓶に入ったキラキラ輝く砂。蝶の形のガラス細工……。

 そうそう、母に内緒で、冒険者ギルドに連れて行ってくれたこともあった。

 私が住んでいた小さな町の、小さな冒険者ギルドの支部。

 ほとんどが父の顔見知りで、冒険者のお兄さんやお姉さん、おじさん達は、私のことを可愛がってくれた。

 ギルドの酒場で蜂蜜入りのミルクを飲む私を、父はエール片手に笑顔で見守ってくれて。

 ギルドの受付のお姉さんは、私にいつも、甘いミント味のアメをくれたんだよね。

 美人で、テキパキと動いて、仕事もできて。

 冒険者は無理だけど、私もいつかはあのお姉さんのような、キレイでカッコいいギルドの受付担当になれたらなって、そう思ってた。


 ……なんて時期が私にもありました!

 もう、誰よ、ギルドの受付嬢になりたいだなんて言い出したの!

 私だよ!!!

 想像してたのと現実との落差がひどすぎて、頭がくらくらしそう。

 でもそんな余裕があるならとにかく動けって感じ。

 特に今日。休み明けの今日なんて、ギルドの受付は戦場なんですけど!

 依頼の報酬受け取りと依頼の受注、各種申請なんかで、三つある窓口はもう完全に修羅場になってる。

 おまけに今日は、ギルドマスターが本部に呼ばれてるとか何とかで不在だから、余計に。

「嬢ちゃん、早くしてくれ」

 早くしてるんです、これでも。

「一体何時間待たせりゃ気が済むんだよ!」

 だったら別の日か別の時間帯に来て下さいよ。Cランク以上の方はみんなそうしてますよ。

「ああン? 何で俺がこの依頼を受けられねぇんだよ!!」

 そういう決まりなんです。依頼にもランク制限があるんです。

「すまん、数えてみたら、依頼の報酬が合ってないんだが」

 それは完全にこちらの落ち度です。素直にごめんなさい。

「クソッ、トロトロしやがって、この無能女が」

 仕事が遅いって自覚はありますけど、そこまで言うことないじゃないですか……。

 ああ、もう、泣きそう。というか泣きたい。むしろ半泣き。

 でも、泣いたところでこの地獄みたいな待機列が片付く訳じゃないんだ。

 だったら、やるしかないじゃないの。

 ええ、やってやりますよ。やってやるんだから。やればいいんでしょ!


 と、奮闘していたのが数十分前までの出来事。

「はあぁ…………」

 かなり遅いお昼休憩。

 ギルド附属の酒場のカウンターに突っ伏して、今の私は完全に放心状態だ。

 燃え尽きましたよ、真っ白に。

「おーい、生きてるか?」

 私の目の前で、立てられた人差し指が左右に往復している。

 酒場の調理担当の、ジャーロさんだ。

「……し、死んでます……」

「お、生きてるじゃねーか」

 腕組みしながら、ジャーロさんは笑う。

「しかし、今日は普段の数倍ヤバかったな。やっぱ、スマルトさんが居なかったからか?」

 スマルトさんというのは、この冒険者ギルドのギルドマスターだ。

「……それもあるとは思いますけど、純粋に、来てた人の量が」

 地獄のような待機列を思い出してしまって、思わず身震いしてしまう。

「まあ確かに、今日はこっちもえげつない人の量だったからなあ」

 言いながら、ジャーロさんはタバコに火を点ける。

 あ、めっちゃ遠い目してる……。

「今は、タバコの一つや二つや三つ吸う余裕はあるけどな。また夜になると大変だ、こりゃ」

 ジャーロさんが酒場を見渡すのに釣られて、私も振り向いて酒場を見渡す。

 最も人の多い時間帯はとうに過ぎて、空きテーブルが目立つせいか、少し閑散としているように見える。

 一番隅っこにあるテーブルには、酒瓶を抱えた灰色の髪のおじさんがいつものように、突っ伏して寝てる。

 そういえば、昼も夜も、いつも居る気がする。あの人。

 よくよく考えてみれば、あの人がどんな顔をしてるかも知らない。だって、いつも突っ伏して寝てるから。

 同じように、冒険者ギルドのこと、知ってるつもりでも知らないことって結構あるのかも。

「昼も夜も、ジャーロさん一人でやってるんですよね? すごいなぁ……それに比べて、私なんか」

 思わずため息。また今日も、たくさん罵声や怒声を浴びせ掛けられてしまった。

「自分を卑下すんな。慣れろ、とは言わねーけどな」

 ふうっと、ジャーロさんは煙を吐いた。

「ランクの低い奴は、実入りの少ない仕事しかできねーのよ。だから少しでも多く依頼をこなすしかねえ。結果として、余裕ってモンが無くなっちまう」

 灰皿の縁でタバコを揺らして、灰を落とすジャーロさん。

「余裕がねーと、他人に優しくできねえ。それが人間ってモンさ」

 余裕がないと、他人に優しくできない。その言葉は、何となく私自身にも向けられているようで。

 小さい頃に見た“お姉さん”みたいに、私は仕事中、他の人に気遣いできてるのかな。

「お前までそんな顔すんなよ。とりあえず……メシ食えメシ。昼メシまだだったろ?」

 深刻な顔をしていたらしい。ジャーロさんは私の前に陶器のボウルを差し出す。

 ここの酒場の名物賄い、牛すね肉と芋の赤ワイン煮込み。

 何でも手間が掛かりすぎるので、ギルド職員の賄い用以外には出していないそう。

 ああ、もう。美味しそうなんだから。

 美味しそうすぎて、ちょっとだけ腹が立つ。

「お、良いモン食ってるな。ジャーロ、俺にも頼む」

 言いながら、私の隣の席に座ってきたのは。

「スマルトさん!」

 ギルドマスターのスマルトさんだ。

 左目に眼帯をして、更に銀縁眼鏡を掛けているという、一度見たら忘れない独特な見た目。

 昔は戦士として名の知れた冒険者だったそうなんだけど。

「ほら、大盛りな。後で職員連中ちゃんと労ってやれよ? こっから見ても余裕で分かるくらい、今日はマジでヤバかったんだからな?」

 ジャーロさんて、スマルトさんには結構タメ口ですよね。どういう関係なんだろう。

「ああ、分かってる。フロラもお疲れ様だったな。好きなデザート頼んで良いぞ」

 スマルトさんのこういうところ、好き。

「じゃ、じゃあ、ドライフルーツ入りケーキとチーズの柑橘ジャム乗せと蜂蜜入りミルクで!!」

「お前、他人の奢りだからって、マジで容赦ねーな」

 ジャーロさんが笑う。つられてスマルトさんも笑う。

 私は……笑えてるのかな。

 笑えるようにならなくちゃ。あの、“ギルドの受付のお姉さん”みたいに。

 でも……あの人みたいに、誰にでも笑顔を向けられるようになるには、まだまだ程遠いかな。

「ところでよ、今日の本部からの呼び出しは何だったんだ? 随分と長引いたみてーだったが」

「ああ、処理や調査で細々としたことがあってな。関連書類の準備や受け渡しで時間が掛かってしまったんだ」

「ほーん。事務方でも色々あるんだな」

 ジャーロさんが二本目のタバコに火を点ける。

 …………?

 今、スマルトさんが悪い笑みを浮かべたような?

 気のせい……だよね、たぶん。

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