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第6話 情報屋・ロコウ

 大衆的な価格帯で食事を提供する、そんな食堂の朝は早い。

 立地によっては日が昇った直後から、冒険者や労働者が朝食にありつこうと押し寄せるからだ。

 そんな彼らの胃を満たすために夜更けから下拵えや調理に奔走するのは、飲食店にとっては日常のほんの一場面にすぎない。

 いわゆる下町──低〜中所得者向けの住居や、冒険者向けの比較的安価な宿が建ち並ぶ区域──に軒を構えるその店も、目立つ看板こそ出してはいないものの、いわゆる一般的な食堂だった。

 ……表向きは。


 野菜を刻む音。湯の煮立つ音。

 薄暗い店内を見渡せば、僅か五席のカウンターと、二人掛けのテーブルが三つ。

 店主であるロコウは、この狭い食堂を一人で切り盛りしている。

 口は悪く愛想も悪いが、美味い料理を出す店。利用者の評判はそのようなものだ。

 厨房だけに置かれたランプの光が、外にまで微かに漏れ出している午前四時。

 今度はタマネギを微塵切りにしながら、ロコウは不意に口を開く。

「……ふん。お前さんか」

 彼は振り返りもしない。そこに居るのが誰かを、完全に理解しているかのように。

「いつものを」

 薄闇に溶け込むような薄墨色のコートに、灰色の髪。

 いつの間にかカウンター席に陣取っていたグレイが、無感情な低い声で注文する。

 代金は、金貨一枚。

 この大陸で流通している貨幣の中で、最も価値が高いもの。銅貨ならば千枚、銀貨ならば百枚に相当する価値が、その一枚に集約されている。

「ほらよ」

 仕込みに水を差すなと言いたげに、ロコウは深さのあるスープボウルを、グレイの前に乱暴に置く。

 タマネギとジャガイモと干し肉のスープ。味付けは塩と胡椒のみ。

 グレイは木製のスプーンで角切りのジャガイモを掬うと、それを口に持っていく。

 タマネギの風味と干し肉から出る旨味が、塩と胡椒という最小限の調味料によって引き立てられつつ、纏められている。

 よく火の通ったジャガイモは柔らかく、舌先で上顎に押し付けただけで崩れていく。

「……同じ味だな」

 感情のこもらないグレイの声。

 しかしそこには、確かに称賛の意味が含まれていた。

 普段と同じ材料で作られたものを、常に同じ味に仕立てる。

 分野は違うものの、それがどれだけ難しいことか、彼は知っている。

「で、今日の“注文”は何だ? そんな世辞を言うために来た訳じゃねぇだろうが」

 鍋の中でボコボコと音を立てる湯へと塩を一掴み放り込みながら、ロコウは問う。

「『暁の獅子』の動向。この二十日以内だ」

 音もなくスープを味わいながら、グレイは答える。

 スープボウルの中にはまだ、戻された干し肉が漂っている。

「七日前からは、この街の西地区に滞在しているみてぇだ。色街狂いが居やがるのか、しょっちゅう高級娼館に繰り出してる奴が居るって話は聞くな」

「“二十日以内”と言ったはずだが」

 事務的なグレイの口調。

「それ以前は詳しく把握出来てねぇが……頻繁に街に出入りを繰り返している形跡がある。何をしているかは知らん」

 今度は粗く挽いた黒胡椒を大さじで二杯分入れながら、独りごちるようにため息混じりに呟く。

「街の外での目撃例は?」

 スープに浮いているタマネギの破片と干し肉を掬い、口に含むグレイ。

 口の中の熱に、ほんの少しだけ目を細める。

「他の冒険者とそれほど変わらん。街道を歩いてるところを商隊が見かけたり、街に入ろうとするところを衛兵が見かけたり、そんな程度だ」

 乾燥させたセロリの根を粉末状にしたものが入った瓶を、三回、鍋の上で振る。

「……他のパーティや冒険者と一緒に居るところを目撃した例は無いということか?」

 すっかりスープを平らげ、スプーンを置くグレイ。

 ボウルの底には、黒胡椒の欠片が残っている。

「ああ、それは…………あるにはあるが、別料金だ」

 柄の長い木べらで、鍋の底から丁寧に混ぜ合わせる。

 紙に包んだ金貨を一枚、空のスープボウルの中に収めると、グレイはそれをカウンターに置いた。

「八日……いや、正式には九日前か。西の街道からサルヴァ山へ向かう途中で、『暁の獅子』と『翠の鷹』が一緒に居るのを見たって話が一件だけある。正直、信頼性は低いがな」

 上澄みを掬い小皿に注ぐと、熱さもものともせずに味を見る。

 黙って頷くロコウ。

「『翠の鷹』?」

 獲物を狙う猛禽類のように目を細めながら、ロコウを見据えるグレイ。

「剣士アレク、戦士ヴィクトル、僧侶エレナ、魔術師アリアの合計四人のBランクパーティだ」

「評価は」

 促すグレイ。

「冒険者にしては珍しいくらいの品行方正さで、ギルドのみならず他の連中からの信頼も厚いって話だぞ」

 何か手元を動かしながら、さほど興味も無さげに言い放つロコウ。

「徽章はあるか?」

 パーティを組む冒険者の中には、そのパーティの象徴となるような共通の“証”を持つことがある。

 同じ色の布をどこかに巻く、パーティ名にちなんだ紋章を刺繍したりするなど、形は様々だ。

「鷹の紋様が彫られた──そうだな、金貨と同じくらいの大きさのメダリオンを持っているらしい。緑色のな」

 『翠の鷹』。その名を象徴するにはうってつけの徽章だろう。

「しかしだな、仮に一緒に居たって情報が確かだとして、AランクとBランクが一緒に居るような用事って何なんだよって話だ」

 カウンターに置かれたスープボウルを回収し、金貨はエプロンのポケットに、スープボウルは洗い場へと放り込む。

「……そうか」

 用は済んだ。そんな雰囲気を発しながら、グレイは席を立つ。だがロコウは、それを手で制した。

「待ちな。こいつは“釣り”だ」

 言いながらグレイに押し付けたのは、蝋を塗った紙に包まれたサンドイッチだった。

 金の勘定には厳しく、しかし“貸し”は作らない。それがロコウの主義だ。

 一瞬、グレイは動きを止めるが、ロコウの言わんとしたことを理解したように、押し付けられたサンドイッチをポケットに仕舞う。

「……邪魔したな」

 一言呟きながら、グレイは再び、夜明け前の薄明かりに消えていった。

 ロコウの食堂は再び、開店前の慌ただしさの中へと戻っていく。

 先程まで客が居た痕跡すら、塗り潰すかのように。


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