最初のふたつのスキル。《レストアヘルス》と《トランスレーション》のときと同じく、《水行師》のスキルを取得しても特に変化はなかった。頭の中に、使用方法が流れ込んでくることもない。
「エクスの服は変えられますよ?」
「自由だなぁ」
まあ、いいさ。すでに賽は投げられたのだ。さじを投げなければ、それでいいはず。
「……課金してしまったからには仕方がない」
「おお、男らしいですよ。オーナーなのに、オーナーなのに」
なぜ二回言った?
「課金は、もう、戻ってこない」
「オーナー、なんで二回言ったんです?」
「覚悟は決まった。俺は、異世界で生涯年収を稼ぐ」
「おおっ。オーナーが、自主的に動こうとしているだなんてっ」
エクス、なんでそんな的確に俺のこと把握してるの?
「生涯年収といえば3億円ぐらいですね?」
「いや、アラフォーの生涯だし、1億ぐらいで……」
あと30年生きるとして、年300万もあれば引きこもって生きていけるだろ。今の年収と大して変わらないしな。
はは。ははは……。
「そうと決めたら、まずは《水行師》でなにができるか知りたいところだけど……」
「それなら、《レストアヘルス》なども含めて、アプリのヘルプから確認できますよ」
「それはいいけど……」
いろいろあって忘れがちだが、未だに見知らぬ森の中。しかも、モンスターの存在も保証されている世界だ。悠長にはしていられない。
同時に、危険があるかもしれない場所を己も知らずに彷徨しては、百戦どころか一戦をも危うい。
「あれ? これ詰んでねえ?」
「そんな事態を打破するのが、エクスの《マナチャージ》ですよ、オーナー!」
「また課金か……」
世知辛いな!
「安全地帯となると……《セーフティゾーン》のアプリがありますね。一時間で石500個ですが、どうします?」
「うう……」
石500個ってことは、15万円……。余裕でステレオアンプが買えるなぁ。
だが、一度やってしまうと歯止めが利かないのが課金でもある。
「そうは言っても、命には代えられない……か」
生涯年収を稼ぐ前に死んでは意味がない。血反吐を吐く思いで、俺は言った。
それなのに、エクスのリアクションは軽い。
「はい。《セーフティゾーン》アプリを購入し、実行します。よろしければ、こちらタッチお願いします」
「コンビニかよ」
ツッコミつつ、素直に指紋認証。
チャリーンという軽快な音とともに、ホーム画面にセーフティゾーンというアイコンが追加された。
「冷静に考えると、どこからインストールしてるんだろうな」
元々、タブレット……エクスのローカルにあって課金でアンロックされてるって感じなんだろうか。
それとも、神さまの世界と通信してるとか? 5GのGはGodのGなんてオチじゃねえだろうな?
まあ、タブレットが意思を持ってることに比べたら、大した驚きじゃないけど。
とか考えている間に、アプリが実行される。
エクスの衣装が警備員風に替わったかと思うと、不意に頭上で光が瞬いた。そこから蜘蛛の糸ではなく、ロープが垂れてくる。
「これどうするんだ? 引っ張ればいいのか?」
アプリで出した物だ。まさか害はないだろうと掴んでみると、自動的に巻き上げられてしまった。いい年をした大人が、ロープに引きずられて宙に浮く。
「おおおっ、なんだこれ!? 罠にかかった動物かよ?」
10秒もせず、頭からなにかを突き破るような感触に襲われた。
そこが終点。
頭からなにもない空間にずぼっと入り込んで、唐突に動きが止まる。
「おおっと」
ロープもいつの間にか消えて、何歩かたたらを踏んで転倒は防いだ。アラフォーに突然運動させるの、止めよう?
「って、ここはなんだ? 全天周囲モニターのコクピット……?」
俺は浮いていた。
社会的にではなく、物理的に。
視点は、地上から数メートル上。
目の前には360度のパノラマが広がっている。
試しに目の前に手を伸ばしてみると、硬いガラスのような感触があった。例えるなら、空中に浮いた透明な立方体の中にいるかのよう。
……例えっていうか、まんまだった。
「ヘルプを確認しましたが、ここは周囲から隔離された空間のようです。外の様子はこのように確認できますが、第三者には見えませんし、入ってくることもできません」
「危ないときには逃げ込めるし、15万の価値はあるか」
説明を受けてようやく、周囲の様子に気を回す余裕ができた。
森だと言っていたが、どうやら針葉樹林のようだ。遠くには、切り立った岩山も見える。アラスカとか、シベリアとか、なんかそんな感じのイメージ。となると、特に寒さは感じなかったから、今は夏?
仮に、ここが日本だったとしても、かなりの秘境だろう。絶対に、駅前の横断歩道から一瞬で移動できるような場所ではない。
月がふたつあるとか、分かりやすいシンボルはないが、やっぱり異世界……なんだろうなぁ。
「さあ、それよりもスキルの確認をしましょう」
「とりあえず、なんか使ってみるか?」
「マニュアルを読む癖をつけましょう?」
え? 分からなくなってから読めばよくない?
「はい。オーナーは素直にエクスの説明を聞いてくださいね~」
「あ、はい」
一時間は長いようで短い。
具体的に言うと、会議の一時間は長いけど、昼休みは短い。だって、飯も食わずに自席で寝てるからね。貴重な時間だ。
「まず……《水行師》のスキルには、数多くのアビリティが存在するようですね」
「アビリティ? 《剣術》のスキルに対する、《三段突き》みたいな?」
「その認識で、概ね間違いではないでしょう」
ふむふむとうなずきながら、水の衣みたいなのに着替えたエクスが説明を続ける。
外見は、かなり可愛いんだよなぁ。あえて言葉にしてはないが、声もわりと好みだ。
「水を湧き出させる《泉の女神》、大気中に存在する水分を含む水を自在に操作する《踊る水》、水分を奪い取る《渇きの主》などがプリセットされています。良かったですね、吸血鬼に誤解されますよ!」
わーい。やったね!
って、エクスは傷を抉るのが趣味なの?
まあ、逆の立場だったら俺も絶対にやってるだろうから、今はスルー。
「《水行師》って、スキルってよりはクラスに近いのか?」
「単独で見ればそうなりますが、特にスキルの取得制限はないので、クラスとは異なるのではないでしょうか?」
エクスが、可愛らしく小首を傾げて言った。
一緒に、青いツインテールもふわりと揺れる。芸が細かいな。
「スキルというよりは、カテゴリーと認識すべきか……? まあ、こだわらなくていいか。エクス、続きを頼む」
「はい。基本的に、アビリティの実行はタブレット自体を操作するか、音声入力での実行となります。その際、これまた基本的に石の消費はありません」
「最初の石5万個に含まれてる……と考えればいいのか?」
「そう考えると、かなりお得ではありますね」
とはいえ、1500万円払って家を買ったら住み放題! みたいな話なので、当然と言えば当然だろう。固定資産税? なにそれ美味しいの?
「ただし、あえて石を消費して発動させることも可能です」
「そう来たか」
できないよりはできるほうがいいが、悩ましいな。
「通常より効果範囲とか威力を拡大できるけど、石もその分消費量が大きくなるとか、そんな感じ?」
「理解が早くて助かります。先ほど例に出した、水を湧き出させる《泉の女神》ですと、基本は200リットルですが石1個消費する毎に倍で増えていきます」
「300円で200リットルはお得に感じるけど……」
基本使い放題なんだから、よっぽど急いでいるとき以外は課金する必要はないな。そもそも、水を出すのに急ぐシチュエーションが分からない。水攻めか?
「また、《渇きの主》のように相手の抵抗を受けるアビリティの場合、それを克服するためにも追加で石の消費をすることもできます」
「要するに、石を使って威力を上げるわけだ」
「そうですね。逆に言えば、石さえあれば無謬に近づけるとも言えます」
そう言って、エクスがちょっと悪い顔をする。
ええ……。
あんまり消費前提で動きたくないんだけど?
「続けます」
だが、俺の希望は通じなかった。
「ある程度は使用者の意思で能力を振るうこともできるようですが、プリセットされたアビリティに比べると魔力水晶の消費量が増えます」
アビリティでできることは、アビリティで。
そうでないことは、想像力次第で。
ただし、お代は高くなりますと。
まあ、妥当か。使うかどうかは別にして。
「そして、プリセットされたアビリティを増やすこともできるようです」
「マクロを組むようなもんかぁ……。まあ、いいけど」
VBAを思い出して微妙に仕事気分になるなぁ……って、ここは異世界だ。生涯年収を稼ぐまでは仕事に行かなくちゃあならないが、今は忘れよう。
気にすると、夜勤に間に合うのかとか、無断欠勤したらどうしようって心配しか出てこないからね。
「マクロ、確かにそうですね。アビリティのことは、以後マクロと呼びましょう」
「呪文とかじゃいけないのか?」
「呪文や魔法は、また別に存在しますから」
「ああ、そうか。《水行師》は、理論も技術もなく、ただ現象を引き起こすって感じなんだな」
「イグザクトリィ」
その通りでございますと、頭を下げるエクス。
巫女っぽい格好でやられるとちょっと違和感がある。けど、たぶん、お気に入りなんだろうな。ツッコミは止めておこう。
こういうの他人から言われると、死ぬほど恥ずかしいからな!
「こちらが、マクロの一覧です。確認をお願いします」
「ああ……。当たり前だけど、結構あるな」
俺の肩へ移動したエクスと一緒に、画面をスクロールさせながら、ざっと目を通していく。
水の壁を作る《渦動の障壁》。厚みや高さ、長さは消費する石に左右される。自分の周りにだけ張ったら、バリアになるようだ。
汚れた水を浄化する《覆水を返す》。
水中で思うままに活動できる《水域の自由者》。
氷系の《吹雪の|飛礫《つぶて》》、《凍える投斧》、《純白の氷槍》なんてマクロも、当然のように完備。叩き、斬り、刺しまで揃えてるし。
変わり種だと、火を制する《青の|静寂《しじま》》のように、他の属性に影響を与えるマクロもある。
さすが石5万個。1500万円も払っただけあって、かなり充実していた。
やたらマクロ名が凝っているのは、ツッコミ入れるべきか、ちょっと悩むけど。
「マクロになりそうなので思いついたのもいくつかあるけど、すぐには試せないから、ぼつぼつやっていこう」
「さすがオーナーですね」
恐らくというか確実に、「さすが」の前には「中二の心を忘れないなんて」という一言がついていたはずだ。
しかし、今の俺にはノーダメだ。
「一応、言っておこう。それ、俺がアラサーなら皮肉になったけど、アラフォー相手には痛くもかゆくもないからな」
「アラフォーのオーナー強い……。っと、それはともかく、マクロの登録にも石を使うので、急ぐ必要はありませんよ」
「世知辛いなっ」
なにがなんでもモンスターを倒させようという、強い気概を感じる。ここまでいくと、いっそ清々しい。
と、この流れでなんだが、俺には確認しておきたいことがあった。
「ところで、鑑定みたいなスキルってないかな?」
口調だけなら軽い感じだったが、内心はかなり切実だった。