目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

04.初めての

「死ぬ覚悟はできたようだなぁ、嬢ちゃん」

「戯れ言を。影人シャドウたるもの、生まれ落ちたそのときから、死を覚悟しているものよ」

「その意気や良し……ってやつだな。いいぜ、せめて末期の祈りを捧げる時間ぐらいは待ってやる」


 野を馳せる者セリアン黒喰エクリプスであるカイラは、落ち着いた美貌を悔しそうに歪め、己の腑甲斐なさを呪った。


 目の前で大剣を誇示し、剣歯をむき出しにするオーガ。

 嗜虐的な笑みを浮かべ、本当に祈りを捧げる時間を待っているようだ。


 地下世界アンダーシェイドの住人であり、度々地上侵攻を企てる『虚無の眷属』であるオーガ。

 カイラは、その地上派遣軍の斥候と遭遇し、大部分は倒すか引き離すかできた。


 そこまでは良かったが、このオーガは例外であり計算外。


 影人シャドウでも最上位の力を持つカイラでも、手に余る存在。修羅ロード種でも、相当上位の個体に違いない。


 死。


 それがちらつく中、山を下り、森を抜け、ここまでやってきた。


 里からも、かなり離れている。


 これ以上、逃げる理由も意味もない。わずかな可能性に賭ける。


 白皙の美貌と赤い瞳に決意を宿し、狼の耳をぴんと立てて飛びだそうとした――その瞬間。


 カイラの目の前を、不思議な男が落下していった。


 いったい、なにが起こったのか。

 命懸けの、この状況で。


 なぜ?


 カイラは言葉を失う。男が普通の格好をしていたならば、ここまでではなかっただろう。


 神秘的な水の衣をまとって天から現れた男は、奇妙な。けれど、仕立ての良さそうな服を身につけ、魔道書の類だろうか。薄い銀板を抱えていた。


 しかも、肩には妖精のような少女が乗っている。


 カイラの耳と尻尾が、無意識に動いた。わけが分からない。


 着地の様子から一目で分かる。戦闘の素人だ。


 それなのに、カイラが連想したのは、世界が魔に満ちるとき神が遣わすという勇者アインへリアルだった。

 かつての邪神戦役に参戦したことから、月影の里にはその伝承が残っている。


 其は天から降臨し、見慣れぬ衣装を身につけ、この世界に存在せぬ言葉を操るのだという。


 その通り、伝承だ。ただの言い伝え。おとぎ話。


「やべぇ。今、攻撃されたら死んでたんじゃ? 石500個も払ってるのにステージ復帰するとき無敵時間がないとか、ゲームバランスどうなってるんだよ!」

「そのための《渦動の障壁》ですよ!」


 それなのに、まったくわけの分からない話までしていた。


 勇者アインへリアルの伝承と一致してしまった。


 おかしい。勇者アインへリアルが、こんなのでいいのだろうか?


 感情の振幅が激しすぎて、カイラは危機的状況を一瞬忘れた。


 だが、総じて優れた武人であるオーガがこの機を逃すはずがない。なおも、がちゃがちゃと言い合っていた石板の男へ得物を振り回す。


「なにをしているの! 逃げて!?」


 これから確実に訪れるだろう惨劇に、カイラは黒喰エクリプスらしからぬ悲鳴を上げた。





「やべぇ。今、攻撃されたら死んでたんじゃ? 石500個も払ってるのにステージ復帰するとき無敵時間がないとか、ゲームバランスどうなってるんだよ!」

「そのための《渦動の障壁》ですよ!」


 上手い具合に落下の衝撃も緩和してくれたし、《渦動の障壁》様々だな!


 タスクキルされた《セーフティゾーン》から放り出された俺は、なんとか即退場を免れることができた。


 それもこれも、突然過ぎて誰も反応できなかったから。


 動くなら、今しかない。


「エクス、鑑定!」

「ええ? 鑑定ですか!?」

「まずは情報だろ!」


 言い争っている場合ではないと、妥協してくれたのか。タブレットのカメラをオーガへ向けた俺に従い、肩の上のエクスがホームズみたいな格好に着替えて《初級鑑定》を実行。


 カシャリとシャッター音がして、結果を告げる。


「鑑定終了。――26,000GPです」

「は?」

「あの仮称オーガの市場価値は、金貨2万6千枚だそうです! オーナーのバカ!」


 結構高そうということしか分からない……って、《初級鑑定》って、そういう!? 初級じゃ、物の値段しか分からないってことかよ!


 便利だけど、違う違う。そうじゃない。

 バカって言うエクスがちょっと可愛かったけど、そうでもない。


 やべえ……。


「黒髪の人間ヒューマか。何者なのかは知らねえが……」


 ようやく我に返ったのか、オーガが渋い声でつぶやいた。

 つぶやきだ。俺と話をしたいわけじゃないらしい。


「二兎を追う者は一兎をも得ずってな」


 その証拠に、たった一人であっさりと決断を下した。


 路傍の石でも見るような。つまり、なにひとつとして価値を見いだせないという瞳と口調で、オーガはグレートソードを振りかぶる。


「とりあえず、死んどいてもらおうか」


 無造作で、手慣れた。


 単純作業のような暴力が生まれる。


「なにをしているの! 逃げて!?」


 背後から、ケモミミくノ一さんの悲鳴が聞こえてきた。


 その声に突き動かされるように、全力で後退。トラックに轢かれた経験が生きたのか、学生時代以来の反応と速度が出せた……けど、無理っ。アラフォー社畜に求めすぎないで!?


 気付けば、巨大な鉄塊はもう目の前。


 偶然も奇跡も起こることはない。

 俺を粉みじんにするグレートソードが、シャボン玉のような《渦動の障壁》に衝突。そのまま貫き通す……ことは、できなかった。


「……あれ?」


 渦の流れにグレートソードが跳ね返され、オーガは大きくバランスを崩す。


「なんだぁ? 見かけ以上の強度じゃあねえか」

「あっぶなぁーーー」


 衝撃までは完全に消しきれなかったようで何メートルか吹き飛ばされたが、無傷と言っていいだろう。


「だが、無敵ってわけじゃあ、なさそうだ」


 見れば、《渦動の障壁》にはひびが入っていた。ぱりんって割れるタイプのバリアだったかぁ。


「俺の国には、完璧な物はいつか壊れるって信仰があるんだよ」

「そいつは至言だ。まどろっこしいがな」


 オーガのタゲは、完全に俺へと移っていた。まあ、あれだけヘイト稼げば当然だよね。

 それなのにというかなんというか、俺がどうするか分からず手出しもできないようだが、ケモミミくノ一さんは逃げようとはしなかった。


 ありがたい……と言っていいのか、どうなのか。


「《渦動の障壁》を最大強化したエクスに感謝しつつ、オーナーは次の手を考えてください!」

「そりゃあ、もう……」


 エクスにはパッシブで感謝してるから、省略。


「こうなったらやるしかねえだろ! エクス、《吹雪の|飛礫《つぶて》》を5割強化で!」

受諾アクセプト。《吹雪の|飛礫《つぶて》》、石150個を消費し、威力150%で実行します!」


 俺とエクスの目の前。ひびの入った《渦動の障壁》の向こうに、野球ボールぐらいの氷が10……20……無数に出現した。


 プラス50%でこれか! やれる!


「なんて……魔力量なの……」

「行けっ!」


 驚愕の声がきこえているが、それどころじゃない。

 オーガはその巨体からは想像できない俊敏さで、咄嗟に回避行動を取る。


「させませんよっ」

「曲がっ、ぐっ、がああっっっ!!」


 雪女風の衣装に変わったエクスがなにかしたのか、それともそういう機能があるのか。こぶし大の氷塊が、すべてオーガに着弾した。


 盛大に靄がかかり、その向こうから苦鳴が聞こえた。


 動画サイトで見た、マシンガンの試写動画を遙かに超える迫力。この威力に対抗できる生物なんているはずが……。


 はずが……。


「うげぇ……」


 マジか……。マジか……。


「あの魔力量で倒しきれないなんて……」


 ケモミミくノ一さんが、俺の気持ちを代弁してくれた。あ、魔力とか分かるんですね。さすが、耳と尻尾が生えてるだけのことはある。


「いえ、今ならっ」


 靄の向こうに見えるオーガのシルエットへ、ケモミミくノ一さんが疾走した。ほとんど四つん這の低い姿勢で。

 白い綺麗な髪が踊り、同じ色の装束がはためく。


 無謀とは言えない。ダメージの程度は分からないが、オーガも決して軽傷ではないはず……。


「ああ……。生きてる、生きてるな、オレは」


 なのに、普通に喋ってやがる。

 化け物かよ。化け物だったよ。


 その怪物へ向かって、ケモミミくノ一さんが跳躍。


「キエェェイッッ」


 両手で構えた忍者刀を、オーガの角の間に突き刺した。


「邪魔だ、女」


 しかし、角度が悪かったのかなんなのか。額の肉を浅く削っただけ。オーガはハエでも相手をするみたいに、軽く振り払った。


 ケモミミくノ一さんは、空中で華麗に一回転して着地。怪我はしていないようだが、整った顔は悔しそうに歪んでいた。


「逆境のオーガを舐めるなよ」

「くっ……。これがオーガの底力セカンドウィンドなの?」


 死にかけに強いとか、そういうスキルみたいなのがあったの!?


「オーナーが、微妙にけちるから……」

「でも、そんなに派手にばらまけないだろ! さっきので5万だぞ。一発でほぼ家賃じゃねえか」

「命には代えられないって、さっき言ってたばかりじゃないですかぁ!」

「悪かったよっ」


 しかも、俺の金じゃなくてエクスの配布石だった。生涯年収稼ぐという目標に囚われて、損得勘定を見誤ったか。


 だが、後悔しても遅い。


「咆哮しな、《雷切》」


 血塗れになったオーガが振り上げた、グレートソードの切っ先。

 そこから、眩い光が放たれた。


 雷光が大気を斬り裂き、一直線に迫り来る。


「オーナー? どうします!?」

「大丈夫。雷ならシミュレート済みだ」


 若い頃に妄想でな!


「エクス、《覆水を返す》を」

「ええっ? あ、はい!」


 対象は、《渦動の障壁》。

 エクスも途中で気付いたようで、俺の意思をしっかり反映させてくれた。


 水のシャボン玉が淡い光を放ち、完全に浄化された水と雷光が衝突する。


 しかし、不純物がなくなった水は電気を通すことなく、雷光は地面へと吸収されていく。


 靄が晴れ、静寂が戦場を支配した。


 それを破ったのは、傷だらけオーガの楽しげな声。


「カカカ。兄ちゃん、地上の呪い師かい。どんな手管で、オレの《雷切》を防いだのやら。皆目見当もつかねえな」

「純水は電気を通さないんだよ」


 恐らく通じないだろう知識を披露しつつ、内心舌を巻いていた。

 全身傷だらけなのにこれとか。どんだけレベル高いんだよ、このオーガ。やっぱ、ゲームバランスおかしいって。


「それで、次はどんな手品を見せてくれるんだ、呪い師?」

「まだやるつもりかよ」

「あったりめえだろ? こんな中途半端なところで終わらせてたまるかよ」

「もう充分です。オーガ! あなたの相手は、この――」

「女は、すっ込んでろ!」


 突然の大喝。理不尽な憤怒に、ケモミミくノ一さんが思わず首をすくめる。いや、それは俺も同じだ。

 そういうの止めろよ。俺まで怒られてるみたいじゃないか。


 そう思っていたら、勝手に体が動いていた。


「まったく水を差しやが……って、あぁ?」


 無造作に、オーガの傷だらけの懐へ入り込む。なんでもないように。そうするのが当たり前かのように。


「エクス! 《渇きの主》を全ぶっぱで!」

「あっ。はい! 《渇きの主》、《渦動の障壁》を解除して実行します!」


 え? 解除しなきゃいけないの? そういう仕様?


 俺の戸惑いを置き去りにして、渦の壁は消え去った。オーガ相手に、無防備な体を晒す羽目になる。


 だが、混乱しているのは、俺だけじゃない。


 オーガも、厳つい顔をぽかんとさせている。そりゃそうだ。普通、敵の目の前で防具脱いだりしないよな。

 ダメージチャートのあるTRPGだと、たまに脱ぎたくなるけど。


「ええいっ。やるしかねえ!」


 大剣を握ったオーガの腕に、右手で触れた。流れる血のぬめりと、岩のように堅い筋肉の感触。改めて、やばい相手だと身震いする。


 だが、もう、準備は整った。俺の意思とは関係ない。


 直後、俺の掌に青い光が点る。でも、魔法を使ってるような感覚はなかった。当然だ。エクスにチャージされた石を消費しているだけなんだから。


 だから、結果を見ることでしか実感は湧かない。


 そして、それはすぐに訪れた。


 一瞬で丸太のようだったオーガの腕が老人のように萎れ、枯れ木同然になる。その範囲は、どんどん広がっていった。保持しきれず、大剣が地面に突き刺さる。


「やりやがッ」


 オーガは、一瞬悩んだ。

 距離を取るか、俺を殺すか……ではない。障壁を解いた俺は、本当に無防備なのか。なにか、切り札を隠しているのではないか。


 悩んで、無事な左手で脱水され続ける右腕を引っこ抜くことを選んだ。


 血が舞った。


「ある意味予想通りだけど、本当にやるかよっ」


 それを見届け、俺は全力で後退った。逃げたんじゃない。戦略的撤退だ。嘘だ。ガチで逃げた。やべえよ、こいつ。


「……ちっ。こいつは失態だな」


 距離を取った俺と、足下のグレートソードに視線を向けてオーガは顔をしかめた。

 最初に追っていたケモミミくノ一さんを完全スルーしているのは、いいことなのかどうなのか。


「地上の呪い師、名は?」

皆木みなぎだよ」

「ミナギか。オレは、ヴェインクラル。こいつを預けとくぜ」


 と言って、突き刺さっていた《雷切》を残った手で引き抜いて放り投げる。


 は?


 グレートソードは地面から抜けてくるくると宙を舞い、俺の足下に再び突き刺さった。


 え? え?


 やべえ。まったく反応できなかった……。あっぶねえぇぇぇっっ……。


「次やるときに、手前てめえの首と一緒に返してもらうぜ」

「俺の首は、俺のものなんだけどな。いや、首だけじゃないけど」

「はははっ。違いない!」


 鬼の厳めしい顔にさわやかな笑顔を浮かべ、そのでかい体からは連想できない俊敏さで姿を消した。


 ラグビーとかアメフトやったら、億単位で稼げそうな身体能力だった。


 えええ……? 《吹雪の飛礫》と《渇きの主》でダメージ与えてこれ?


 ただ、まあ、最初はこっちが逃げ出せればいいなと思ってたのに、相手を追い払えた。最高ではないけど、悪くない結果ではないだろうか。


 ……ん? 逃げ出せば……?


「あっ……」

「オーナー、どうしました? どこか怪我を?」

「体はなんともない……けど……」


 しまった、今さら攻略法を思いついてしまったぞ。完全に舞い上がっていたらしい。


「初手でオーガ……ヴェインクラルに《渦動の障壁》を使って閉じ込めてたら、その間に逃げられたなって……」

「それは……」


 倒れそうになったのでグレートソードに寄っかかりながら言った言葉に、エクスが絶句する。


「発動した瞬間に避けられるリスクはありますが……決まれば一発でしたね……」


 少なくとも時間稼ぎにはなったよなぁ。


「ああ……。石もったいねえ……」


 こうしてなんとか異世界……どころか人生初の戦闘は終わり。

 俺は助けたケモミミくノ一さんのことなど完全に忘れて、赤字にうめいていた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?