「家だ……」
駅から徒歩15分の賃貸マンション。
3階の角部屋。1DKが俺の城だった。
「帰ってきたのか……」
鍵を開けて中の様子が目に入った瞬間、その場に倒れ込みそうになる。代わりに、通勤鞄が手からするりと抜けて、玄関に落ちた。
「オーナー! 鞄にはエクスが入っているんですからね!」
「おっと、すまない」
慌てて鞄を拾い上げ、エクスに謝罪する。また壊れたら洒落にならない。
それに、これ《ホールディングバッグ》だったな。壊れてグレートソードが出てきたりしたら、やばすぎる。言い逃れできないレベルで銃刀法違反だ。
鍵を閉め、念のため普段は使わないチェーンも掛ける。靴を脱ぎ、家の中の廊下を通ってダイニングキッチンへ。
テーブルに鞄を置いてタブレットを取り出すと、デフォの巫女風衣装エクスが飛び出してきた。
ロックとか意味ねえな、これ。
「はあ……。やっぱり、家の無線LANが一番ですね」
「旅行帰りのお母さんかよ」
家の無線LANルータのSSIDと接続して、エクスがほっと一息ついた。まあ、タブレットらしいといえば、らしいのか……?
……ん?
ということは、エクスは前からタブレットにいたってことになる? 今回の事故で目覚めたってわけじゃない?
まあ、別にいいけど。それに、エクスの冗談かもしれないし。
「オーナー、まずはご飯を食べましょう」
「え? 《水行師》のマクロ登録からだろ?」
そう。オーガを地下へ追い返す……というよりは、地上へ出てこさせない。つまり、ニンジャの里の子供を守るための第一歩。
「なんのために、コンビニで大量に水を仕入れてきたと思ってるんだよ」
そう。《ホールディングバッグ》がなかったら、思いつきさえしなかった作戦を実行するために。
「いえいえ、なにを言ってるんですか?」
しかし、エクスは目を丸くしている。
なんで、そんな信じられないものを見るかのように?
「だって、マスター。家にご飯があるんですよね?」
「ないよ。全然ないよ」
「課金カード買ってる暇があったら、この際、コンビニ弁当でもなんでも買えば良かったじゃないですかーーー!」
エクス、キレた。
まあ、わりと防音はしっかりしてるから、多少騒いでも心配はないはず。
「ほら、コンビニ弁当ってあんまり体に良くないって言うし?」
「食べないほうが、体に悪いに決まってますよ!」
そうかな? 《レストアヘルス》で健康になったらしいけど、お腹は減らないよ?
つまり、必要ないのでは?
「ほら、シュークリーム食べたし」
「甘い物は別腹です。本腹を満たしてからにしてください」
そういう使い方であってるんだっけ?
まあそれはともかく、エクスの要求がいかに無茶なものか証明するため冷蔵庫の扉を開いてやった。
「でも、冷蔵庫にはエナドリしかないぞ」
「不健康っ!」
「これしか胃が受け付けないんだ」
「減量しすぎたボクサーですか!?」
うわっ。もしかして俺、めっちゃ怒られてる? いい年してるのに? アラフォーなのに?
「もう一回、《レストアヘルス》しましょうか?」
「いしをだいじに」
「オーナーには、命を大事にしてほしいのですが」
でもねえ。アラフォーが過労死しても、特に社会は変わらないんだよ?
「分かりました」
ナース服に着替えて俺を威嚇するエクスが、神妙にうなずく。
「家中全部スマート家電にして、エクスが管理できるようにしません? オーナーの生活のすべてを」
「ディストピアものかな?」
でも、今では微妙なジャンルだよね。
就職も結婚もコンピューターが相性を計算して自動的に決めてくれるとか、むしろご褒美でしょ。
人間の自由と尊厳? それは、定時退社や完全週休二日より大切なことなのかな?
と、心の中でカンテレを奏でつつ、着替えるため寝室へ。
「あっ、オーナー!? 話はまだ終わっていませんからね!?」
そこは、PCデスクと本棚とフィギュア棚とベッドしかない、典型的なそれっぽい部屋。クローゼットも、大部分は服以外で埋め尽くされている。
むしろ、グッズの隙間に住んでるまである。
スーツを脱いでベッドの上に広げ、いつもの癖でPCの電源を入れてしまった。まあ、いいか。あとで遠征させよう。
部屋着に着替え、タブレットを回収して風呂へ。
だけど、風呂に入るわけじゃあない。
「もう。あとで絶対に、ちゃんとご飯を食べてもらいますからね!」
「分かったから。ほら、マクロ使って」
「もう、仕方ないですね……」
なんだかんだで、エクスは俺に甘い。そういうところ、好き。
「《泉の女神》、実行します」
水の衣に着替えたエクスが、俺の肩に乗ってマクロを実行。
特になんの変哲もない風呂場の、特に大きくもない浴槽の上。虚空から、水が降り注いでいく。
うちの風呂場だから、かなりうさんくさい。良く言っても、シュールな光景。
だが、それも長くは続かない。勢いは弱いが、すぐに水が溜まった。
次に、《ホールディングバッグ》からコンビニで箱買いしたミネラルウォーターのペットボトルを出してもらった。500mlのやつだ。
箱から一本取りだし、キャップをひねって浴槽へと投げ入れる。ぽちゃんと沈み、《泉の女神》で出した水とミネラルウォーターが混じり合う。
「オーナー。《水使い》のスキルで、水を圧縮しペットボトルへ格納します」
「よろしく」
「石は……とりあえず、50個必要になりますね」
「う、必要経費だ……」
経理から返ってこないだろうか?
「では、水を圧縮します」
オルトヘイムのほうで俺が語ったアイディアに従い、エクスがスキルを実行した。
うん、そうなんだ。俺が使うわけじゃあないんだよ。
水面が淡く光り輝き、次の瞬間浴槽の水が消え去った。まるで、Ctrl+zしたかのように。
エクスが上手いことやってくれたようだ。
浴槽の底に残ったのは、水が満タンのペットボトルだけ。
試しに手に取ってみるが……びくともしない。
そして、内側から破裂するようなこともない。
「……成功かな?」
「はい」
もちろん、水を消したわけじゃない。
「ほんと、水を圧縮とか非常識な発想ですね」
「そうかな?」
むしろ、その水で氷の剣を作るまである。やらないけど。剣で戦ったりなんて、できねえよ。そういうのは、クール系の美少年がやるものだ。
それはともかく、《泉の女神》で作った水が、200リットル。だいたい、風呂に入る水の量と一緒だ。
それがすべて、500mlのペットボトルに圧縮・格納されたことになる。
「とりあえず、《ホールディングバッグ》にしまいますね」
「よろしく」
重量は変わらないので、ペットボトルの重さはグレートソードの非じゃあない。
しかし、《ホールディングバッグ》は重量ではなく、体積で計算する。上限は2メートル立方。日本人に分かりやすく例えると、だいたい六畳間ぐらいだろうか。ペットボトルなんて、何百本でも収納できる。
「エクス、もう一回やってみよう」
「まさか、オーナーが自発的に石を消費するなんて……」
「必要経費をけちっちゃ、いい仕事はできないんだよ」
決心が鈍る前にキャップを開けてペットボトルを浴槽に置き、同じようにエクスが《泉の女神》で水を満たす。
「いきますよ!」
次の瞬間、水が圧縮され消え去った。
また蓋を閉め、浴槽の縁に立てかけたタブレットで撮影して《ホールディングバッグ》へ。
完全な流れ作業。
夜勤に出るのが夕方だから……このペースなら、100本単位で準備できそうだ。
「初めて作戦を聞いたときはどうなることかと思いましたが、上手くいきそうですね」
「まさか、本当に水攻めをすることになるとはなぁ」
水攻めというか、圧縮した水を一気に解き放ち、地下と地上を結ぶ洞窟を破壊してしまおうという作戦だ。
「では、この水を圧縮する水の操作をマクロに登録しますね」
「マクロ名は、分かりやすく《水圧縮》にするか」
「了解しました、《水圧縮》……登録に、石500個必要になります」
「ちょっと多くない?」
相場としては、そんなもんなのか? 冷静に考えると、まあ、50個使うスキルを500個で使い放題になるんだから、お得と言えばお得だけど。
「どうやら、名前を変えると減らせるようです」
「他のマクロと、統一感がなさ過ぎたってことなんだろうか……」
しかし、名前……。求められると、逆に難しい。
水……。
水を圧縮……。
水圧……?
「《深海の》……いや、《深き海の法則》なら?」
「あ、石100個に減りました」
「そういうことなの?」
だから、元々のマクロもちょっと一捻りしたような感じになってるのかよ。
「まあ、ストレートすぎると相手にも伝わっちゃうし、意味がないわけじゃない……」
ないわけじゃないけど、これ、絶対に運営の趣味だろ。
いい趣味してるぜ。
「それで、オーナー。どれくらい準備します?」
「ちょっと調べてみる」
浴槽の縁からタブレットを取り上げ、ネットで検索。
ふむふむ……。
「日本で一番の滝が、毎秒1トンの水量らしい」
「このペットボトル5本分ですね……」
「なら、100本分ぐらいあれば……?」
ペットボトルは必要だけど、スーパーで買えば100円もしないしなぁ。
「とりあえず、1諭吉で用意できる範囲で準備するか」
「そうですね。あまりお金を使いすぎるのも良くないですしね」
「……なんか、俺、エクスに財布の紐を握られつつあるんじゃない?」
「そんなことはないですよ。オーナーがメーカーを応援するため、やりもしないTRPGのルールブックを買っても、エクスはなにも言いませんから」
「あ、ありがとうございます?」
「あと、セールになる度デジタル積みゲーが増えるのも許容します」
理解ある相棒で嬉しいな……。
……ということで、いいんだよな? な?