目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

38.夜の出来事

「皆木さん、お疲れ様です」

「お疲れ」


 先に来ていた同じチームの後輩の子に挨拶しつつ、自席に腰を下ろした。


 一息ついて、周囲を見回す。


 整然と並べられた机に、煌々と光るPCディスプレイが並べられている。定時退社など忘れた戦士たちが生気を失った瞳で、その机にかじりついていた。


 いつもの風景。

 見慣れたオフィス。

 代わり映えのしない景色。


 なのに、今の俺には違和感しかなかった。


 なんだろう? 家にはカイラさんとエクスがいるのに、このオフィスは本当になんなんだろう?

 俺が来た時点で空気は淀み、悲壮感を通り越して絶望感しかない。圧倒的に、明日が見えない。未来が感じられない。


 月影の里って、人間味に溢れてたんだな……。


 そうだね。比べるのも失礼だね。


 オーガの跳梁跋扈を許したら、月影の里の人たちもこんな奴隷扱いされていたのかもしれない。


 そう考えると、自分のやったことが誇らしく感じられた。


 これからやんなきゃいけない仕事のことを考えると、泣きそうになるけど。


「皆木さん、今日はいつものじゃないんですか?」

「いつもの?」

「シューエナモードですよ」

「なんで、シューアラモードみたいに言った?」


 シュークリームとエナドリのことかと気付いたのは、ツッコミを入れてから。俺のツッコミに、向かいに座った後輩の子がちょっとドヤ顔している。


 ちっ、甘やかしすぎたか。


「ヤツなら死んだよ」

「いいヤツだったのに」

「ああ。ここじゃ、いいヤツから死んでいく」

「地獄の一丁目ですね」

「外泊許可証には気をつけろよ」


 と、脊髄で会話を交わしつつメールチェック。


 うん。


 大した内容のメールはないな。ない。明日は会議なんてない。いいね? というか、これに出ろって、夜勤終わっても帰るなってことじゃねえか。


 ちったぁ、頭使えよ。そんなことだから、「皆木くん、今月残業時間厳しいから気をつけて」「じゃあ、帰っていいんですね?」「それはダメ」みたいな会話することになるんじゃねえか。


 ……みんな、死んでしまえばいいのに。


 でもって、早速仕事に入る。やりたくはないけど、やらないと帰れないのだ。

 まあ、やっても帰れないけどな!


 どこのシステムでもそうだろうが、うちは銀行系なのでバグは御法度だ。絶対に許されない。


 普通に出るけどね。


 バグのないシステムなんて、あり得ませんよ。ファンタジーやメルヘンじゃあるまいに。


 というわけで、仕様に沿って設計するわけだが、本番環境でのテストというのが欠かせない。必須だ。


 そして、その結果が出たわけだが。


「知ってた、知ってた」

「ですよねー」


 当然のように、動かない部分が出た。

 なので、手分けをしてコードをチェックしていく。


 無味乾燥なコード。

 仕事でなければ、理解を拒否するような文字列。

 実際、一時期は見るだけで吐き気を催したこともあった。別に、吐き気を催すような邪悪じゃないのにね。


 邪悪なのは、クライアントとか会社とかプロパーとか……この業界自体だった。


 みんな、死んでしまえばいいのに。


 とか、ある意味当然のことを考えつつも、コードへと没頭していく。


 集中。


 ……集中。


 …………集中。


「うあっ」

「皆木さん、どうしたんです? また、ウィキで三毛別の記事でも読んでたんですか?」

「三毛別舐めんなよ、あれ、マジやばだからな」

「はいはい、仕事してください」


 上手いことごまかせたか。


 心の中で、そっと汗をぬぐう。


 やばかった。


 コードの上に、片言ながら、日本語の意味が浮かんできたとか説明できるか!


 ここまで適用されるのかよ、《トランスレーション》ッッ!


 言語、言語。

 CもCOBOLもJavaも確かに言語だわ。


 はは。

 ははははははは。


 読める。俺にもコードが読めるぞ。


 一瞬、頭にフリーとか独立という単語がよぎる。


 だが、それに伴う諸々の手続きとか、営業とか、契約とか。そもそも、そこまでして仕事を続けなくちゃいけないのかという疑問が上書きしていった。


 とりあえず、これ、間違った部分を探すのにはめっちゃ使えるわ。


 逆になー。


 書く方は難しそうだな。


 日本語を書ければ小説も書ける……というわけじゃないのと、同じだな。言語を理解できても、アイディアとか文章力とかが自動的に備わるわけじゃないからね。


 ……悲しい。


 早々に目星は付けたので、俺は同じチームの仕事を手伝ったりは……もちろんしない。


 仕事ってのは、できるやつのところに降ってくるもんだ。つまり、俺だけ早く終わらせてもなにひとつとして得はしない。

 逆に、お金は一緒にどっかへ行く。女子高生かよ。いや、最近の女子高生なんて知らないけど。


 というわけで、俺の意識は早くも夜勤明けに飛んでいった。


 ささっとオルトヘイムへ行くか、しばらく地球で過ごすか。

 この二択なら、地球で過ごすほうに一票だ。コンビニじゃなくてスーパーとかデパートとかに行って、向こうで売れそうな物を一緒に探してもらいたい。


 あとは、カイラさんの地球での服とかも必要だろう。いくらスキルでごまかせるからって、忍装束のままってのもなんだしね。


 問題は、俺に女性の服を買った経験がないことだ。


 こういうとき、お約束では幼なじみの女の子がサポートしてくれるものだが、もちろん、そんな相手はいない。


 いたとしても俺の幼なじみだとアラフォーである。


 それは、ちょっと。うん……。


 これ以上、いけない。


 エクスとカイラさん、ちゃんとやってるかな?


 頼み事さえちゃんとやっといてくれてれば、なにをしてもいいんだけどさ……。





「本当に、これで良かったのかしら?」

「オーナーと他数名が出てこれそうな水場は、家の中にはここしかないですから」

「それならいいのだけど」


 エクスが《女神の泉》で水を張った浴槽にファーストーンを沈めたカイラは、やや首をひねりながら部屋へと戻っていった。


 タブレットを、両手で握って。


 念のため、ファーストーンの欠片をひもで縛り、蛇口に繋いでいるので流されることはない。


 しかし、ミナギからの頼まれごとを早々に終えてしまい、カイラは手持ちぶさたになる。


「オーナーからは、あなたに地球のことをいろいろ教えるように言いつかっていますが」

「ええ」

「いきなり勉強してもなんなので、マンガでも読んでもらいます」

「マンガ?」

「はい、じゃあこっちへ」


 エクスは答えず、カイラにタブレットを持たせたままミナギの部屋へ誘導。

 本棚の前に立たせると、兄を追って里を脱走し抜け忍になったくノ一風衣装へ着替え、その一角を指さした。


「これが、地球のニンジャ……。あなたたち影人シャドウのような人たちを描いた書物になります」

「……かなりあるわね」

「切りがいいところまでで、構わないですよ。読んで学習しましょう!」


 そう言われては、否やはない。


 少年誌で連載されていたニンジャマンガを抱え……どこへ行こうか、迷うカイラにエクスが声をかける。


「そこのベッドでいいですよ」

「それは……」

「大丈夫です。オーナーはむしろ喜びますから」

「喜びはしないと思うけど、そこまで言うのなら……」


 エクスの勢いに押し負けて、カイラはミナギのベッドに座り足下にマンガを積み上げる。


「これが、アースガルズの影人シャドウが描かれた書物……」


 カラーの表紙を珍しそうに眺めてから、カイラはおもむろにページをめくった。

 1ページ1ページ時間をかけて、しかし、決して手を止めることなく一巻を読み終える。


「ふう……」


 そして、エクスが合いの手を入れる暇もなく、二巻へ。


 同じことを、何度も何度も繰り返していき、13回目でカイラは大きく息を吐いた。


「すごかったわ……」


 まるで酒精を含んでいるかのような、熱く艶めかしい吐息。

 見れば、彼女の白い肌は、はっきりと分かるほど赤く上気している。


「さすが、英雄界の影人シャドウ。いえ、こちらでは忍者や忍びと呼ぶのよね。とにかく、すさまじいわね」

「すごいのは、あなたの集中力では?」


 一睡もせず……なのは、カイラにとってまだ体感的には昼過ぎなので当然だが、一気に中忍試験が終わるまで読み切ってしまったのは、エクスの言う通りすさまじい。


「集中しなければ、文字が読めないもの」

「そういうことじゃないですからね?」


 思わずミナギのようなツッコミをしてしまうエクス。

 どちらがどちらに似たのか。答えは、言うまでもないだろう。


「ひとつ、分からないことがあったのだけど……。ラーメンというのは、どういう食べ物なのかしら?」

「そこに興味を持ちましたか。ええ、ええ。オーナーの好物ですから、今度と言わず、明日にでも連れていってもらうといいですよ。マストで」

「……なんで、そこまで力が入っているのかよく分からないけれど」


 それは楽しそうだなと、カイラは素直に感じた。


「その前に、コンビニで買ったご飯を食べたらどうです?」

「そうね……」


 言われてみれば、確かに小腹が空いていた。

 それ以上に、集中しすぎたせいか頭痛も感じる。


 さすがにベッドで食べるわけにもいかず、カイラはタブレットを持ってダイニングテーブルへと移動した。

 エクスも、デフォルトの巫女衣装に着替えている。


 テーブルの上に置かれていたコンビニの袋から、梅のおにぎりを取り出した。紙のパッケージの上部分を切り取ると、黒い紙に巻かれた白い粒状の物が見えた。


「それは海苔というちゃんとした食べ物ですよ」

「疑ってはいないわ」


 と言いつつも、それ以上なにか言われる前に、カイラは梅のおにぎりを口へと運んだ。


「……う」


 口いっぱいに酸味が広がる。カイラは思わず顔をしかめてしまったが、最初に感じたインパクトが過ぎると不快ではなくなった。


「これは、確かに酸っぱいわね」


 だが、素朴で確かにこの米という食材によく合う。

 米自体も、冷めてはいるがよく噛むと甘みと旨味が感じられ、粘りけもあって美味かった。


 驚くほど……というわけではないが、どこか懐かしく、心に染みいる味だ。


 里の皆も喜びそうに感じる。子供たちは、半々と言ったところだろうが。


「納豆巻き?」


 次に袋から取り出したのは、やはり、カイラの知識にはない食べ物だった。

 海苔で細く巻かれた米と納豆が、細かく切りそろえられてパッケージの中に並んでいる。


「…………」


 エクスが無言なのは気になるが、器用に包装を破いて小さく切られたそれをひとつ口へ運んだ。

 目を閉じて、ゆっくり咀嚼。


「これは、なんと言ったらいいのかしら……」


 小さくてよく分からなかったが、少なくとも不快な味ではない。

 二個三個と食べ進めていっても、独特すぎて上手く感想が出てこなかった。


「味はどうですか?」

「美味しいとは思うのだけど……よく分からないわね」

「オーナーも、きっと感心すると思いますよ」

「ミナギくんにほめられれば、なんでもやると思っていない?」


 わりと事実ではある。


「別に他意はないですよ。ええ、他意は」

「それならいいのだけど……」


 不承不承うなずきつつ、それでも、カイラは納豆巻きを完食した。


 このあと、納豆の正体を知り悶絶することになるのだが。


 それはまた、別の話だ。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?