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39.暗闇の出会い

 結局、俺が解放されたのは10時過ぎになってからだった。

 いくらコードが日本語で分かるようになっても、隠しながら、しかも一人ではできることには限界がある。


 これでも会議はスルーしたので、上出来だと思う。


 しかし、会社を出ても、「もう、戻ってくるんじゃないぞ」と言ってくれる看守の人はいない。もしかして、ブラック企業って監獄未満なのでは? アイヌの黄金の在処を示した入れ墨彫らなきゃ。


 まあ、いいさ。今は許してやろう。


 会社を出て、気分的には颯爽と駅へ向かいながら俺は器の大きなところを見せる。


 夜勤、休日出勤、サービス残業、深夜の呼び出し。

 うちの会社は様々な罪を犯している。


 だが、余は明日が休みだということを忘れてはおらぬと、脳内で罪を数えて折っていた指を戻す。


 誰がなんと言っても、明日は休みだからね。帰り際に、「皆木くん、電話は出られるようにしておいてね」とか、チームリーダーから言われても休みだからね。


 惨劇に備えて精神防壁の構築に勤しんでいると、さわやかな風が俺の髪を揺らした。陽光は燦々と降り注ぎ、空も青い。


 とても、いい天気だ。


「寝不足には応える……」


 冴えない吸血鬼のようにそそくさと、駅へとつながる地下道へ階段を降りていった。就活生っぽい若者とすれ違いつつ、俺はこれからのことを考える。


 眠い。

 眠いが、眠気に負けてすぐに寝ると昼夜逆転して翌日以降が辛くなる。これは、経験上頭ではなく心で理解できていること。


 一眠りしてオルトヘイムへ行くとちょうどいい時間のような気もするが、石がなぁ。5千個って、往復考えるとほいほい使えるもんじゃないからなぁ。


 となると、眠気は我慢してなにかするということになる。

 大丈夫。《レストアヘルス》のお陰で健康になったから、耐えられるさ。エナドリ飲んだら、さらに万全。


 夜勤中に考えていたとおり、カイラさんを連れて買い物に行くのがいいかな。

 今日中に用事を済ませたら、明日は一日フリーになるし。そうなったら、カイラさんのリクエストにも応じられることだろう。


 せっかく地球へ来たんだから、観光ぐらいしていってほしい。普通の東京観光でもいいし、動物園とか水族館とかで世界の違いを把握するというのも悪くないだろう。


 いいな。プランはいくらでも出てくる。時間があるって、いいな。


 けれど、好事魔多し。


 気をつけなければならない。

 心を強く持たねばならない。

 理屈倒れになってはならない。


 強く自覚しなければ、結局なにもやらずに、家で天井の染みを数えてるだけで終わったりするのだから。


 ソースは、過去の俺。


 だが、しかし!


 あくまでも、過去は過去。


 俺には、エクスがいる。今はいないけど。

 俺には、異世界オルトヘイムがある。石使うから気楽には行けないけど。


 ……とにかく。


 今の俺は、昔とは違うのだ。通勤鞄は《ホールディングバッグ》だし。


 最後の一段を強く踏みしめ、俺は地下通路に降り立った。


 中途半端な時間だからか、周囲に人の姿はない。

 ちょうどいい。ちょっと早足で、俺は地下通路を抜けていく。この先に、なぜか地下にある噴水を抜けていくと、駅の改札に行き当たる。


 そこからはアニメ二本分ぐらいの時間(CMなし)で、最寄り駅に到着。


 ――なのだが。


「……人、少なすぎないか?」


 俺は、地下通路の真ん中で立ち止まってしまった。

 いくら通勤でも買い物でもないエアポケットのような時間だからって、誰とも会わないのは変だ。


 それに、とても静か……。


 ――いや、静かすぎる。


 俺は、猛烈な不安に襲われた。悪寒に、思わず背筋を震わす。

 商店街のほうまで行けば、人もいる。少なくとも、店は開いているはずと言い聞かせても不安はなくならない。


 それどころか、時を刻む度に増していく。


 そのとき、背後に気配を感じた。


 反射的に振り返り――


「うわわわっっ」


 ――俺は後悔した。


 そこにいたのは、スーツを着た、俺よりもよっぽどサラリーマンらしい男性。しかし、それはガワ・・だけの話。


 目は落ちくぼんでいながら爛々と輝き、肌は土気色。頬はくぼんで、口の端からはよだれがぽたぽたと垂れていた。


 一目でやばい。変な薬でもやっているに違いない。


 そいつが、おもむろに両手を前に出し、首を掴もうとしてきた。


「ぬおおっ」


 さっきから、変な声しか出してねえな。

 俺の冷静な部分が発する感想を聞きながら、反射的に手を払った。駒城家御育領じゃないんで、首絞めは全然嬉しくないんだよっ。


 バランスを崩したスーツの男は、糸が切れた操り人形のようにガクッと膝をつき……。


 かっと目を見開いて、今度は四つん這いで迫ってきた。


 それをきっかけにしたかのように、ばつんと電気が消えた。

 さらに、スーツの男の向こう。闇の中で、無数の金色――瞳が光を放つ。


 やっぱ、一人だけじゃなかった!


 ファンタジーが、いきなりホラーになった!? むしろ、ゾンビパニック!?


「逃げるんだよォォーー」


 まともに相手なんてしていられないと、俺は全速力で逃げ出した。

 電車も横断歩道の赤信号も、走らず次まで待てばいいやと走ることを拒否するようになったアラフォーにこれはきつい。


 フォームもなにもなく、ばたばたとした足音が地下通路に木霊する。


 幸いにして、移動速度は遅い系のゾンビだったようで、俺の全力疾走には追いつけなかった。少し余裕が出た俺は、荒い息を吐きながら曲がり角の先で立ち止まる。


 う、膝と腰に来るな。あと、腹筋にも。


 運動不足を痛感しながら、俺は通勤鞄に手を突っ込んで、ミラージュマントを取り出した。ばさりと翻し、ためらわず装備する。


 相変わらずスーツとの組み合わせは最悪だが、命には代えられない。

 念のため、ディスポーザーもベルトに差した。はぎ取りじゃないからボーナスはないけど、普通の武器として使うことはできる。


 まだ、抜きはしないが。


 これで一息ついたが、やはり、他に人の姿はない。この状況だと、人の姿があってもさっきの二の舞になりかねないが……。

 いや、下手すると、人じゃないけどサメはいるということもあり得る。


「……そうだ、エクス」


 バカな考えを追い出し、代わりにスマホを取り出した。

 以前、エクスから着信があった番号にリダイヤルしようとしたが……。


「圏外……って、さすがにそれは……」


 今時、地下だって早々圏外にはならない。

 というか、ここで何度も歩きスマホしてるので、圏外じゃないことは知っている。


「いやいやいや。それはない、それはない」


 まるで、昔流行った伝奇ものの“結界”みたいだ。

 一般人を隔離して、その中で好き勝手異能バトルするための便利設定。


 そんな非現実的な想像が頭をもたげる。

 俺は苦笑しようとし……惨めに失敗した。


 オルトヘイムに行ってからの俺じゃ、否定はできない。家に帰れば、もっとファンタジーな二人がいるもんな。


 そうなると、ツンデレなヒロインが出てきて助けてくれるか、死亡して特殊な力に目覚めるかの二択だ。


「いや、死亡してからの覚醒イベントはやってるじゃん」


 なんてひどいオープニングフェイズだ。ハンドアウトを確認させろよ。


 と、ゲームマスターに愚痴りつつ、俺は、駅の改札へと向かうことにした。

 さすがに戻って戦闘する気にはなれない。それ以前に、戦っていい相手なのかも分からない。


 エクスがいてくれたらとは思うが、いたらいたで困ったことになっていたかも知れなかった。


 さらに走るのは体力的に辛いので、俺はスマホのライトで周囲を照らしながら、早足で改札へと向かう。


 途中、地上への階段も何カ所かあったが、例外なくシャッターが降りてた。


 やはり、おかしい。


 警戒レベルを一段階上げ、俺は前だけを見て歩き続けた。


 ……が、それが悪かったんだろう。


「きゃあっ」

「うおっ」


 横合いから誰かにぶつかって、お互いに悲鳴を上げた。

 パンこそくわえていないが、まるで少女漫画だ。


「あの……。申し訳ありません、お怪我は――」


 申し訳なさそうに頭を下げる女子高生。

 スーツの男のような異常さは、欠片も感じさせない。


 スマホの頼りないライトの中でも分かる。清楚を形にしたかのような、美しい所作だ。


 だが、一概に普通とも言い切れなかった。


 古式ゆかしいセーラー服に、白いカチューシャの黒い髪がまばゆい。性格は別にして、かぐや姫が実在したら、こんな感じかもしれなかった。


 そこらのアイドルよりも、よっぽど可愛い。まあ、最近のアイドルは別にそれほど可愛くないというか、そもそも三次元のアイドルなんてほとんど知らないが。


 要するに、客観的に見て可愛いということになるのか。いや、可愛いというよりは、美人と表現すべきかもしれない。たぶん、容貌に25CP振ってる。


 つまり、美人過ぎてとてもとても普通とは言えない。


「――まさか、本当に?」

「え? なにが?」


 その大きな瞳がさらに見開かれ、驚きの表情を浮かべる。

 美人は、どんな表情でも美人だな……っと、危ない。セクハラにならないよう、俺は慌てて視線を逸らす。


 けれど、挙動不審な俺に彼女は気付かない。


「ご、ごめんなさい。そんなつもりではなかったんです……」


 顔をうつむき、謝罪をする。

 語尾が小さくなって、闇に消えていった。


 まあ、女子高生にとってアラフォーなんて宇宙人みたいなもんだろうし。驚くのも無理はない。


 しかも、マントを装備してるしな。ただの怪しいコスプレおっさんでしかない。


 ……やばい。これは、客観的にヤバイ。下手したら事案だ。


「あの巻き込んでしまって、ごめんなさい」

「いや、それはこっちかもしれないし……。いや、それはどうでもいいから」


 今は、そんな言い争いをしてる場合じゃない。


「とりあえず、逃げよう」

「は、はい。噴水ですね、お供します!」


 俺が手を引くと、素直に返事をしてついてきてくれた。


 良い娘だな!


 でも、あとで、こんな怪しい男についていくなって注意しないと。

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