「だ、ダメです!」
俺が覚悟を決めたその瞬間、背後からのしかかられ視界が奪われた。
本條さんの両手で目を塞がれたのか。
良くやってくれたと心で喝采を送ったのも、束の間。次の問題が発生し、俺は硬直した。
当たってる。
当たってるんですけどっっっっっっ。
マント越しだから、そこまでではない。
そこまでではないが、カイラさんより柔らかかった。それはつまり、質量の差だろう。
ああああああ。
そんな風に思ってしまった時点で有罪だ。情状酌量の余地はない。だが、ここで下手に抵抗したら、もっと酷いことになる。
「あの申し訳ありませんが、一旦、外に出ていただけないでしょうか」
「そ、それもそうね」
だから、俺はただ無心で浴槽に突っ立っていた。
色即是空空即是色。
ナウマクサンマンダボダナンアビラウンケンソワカ。
ふんぐるいむぐるうなふくとぅるうるるいえうがふなぐるふたぐん。
「ぶ、不躾なことをして申し訳ありませんでした」
カイラさんが浴室だけでなく、脱衣場からも出ていったようだ。
本條さんが俺の顔から手を離し、代わりに、申し訳なさそうに頭を下げる。
「こっちこそ、助かったよ。というか、謝るのはこっちだし」
不可抗力というのは、言い訳にはならないだろう。
問題は、謝って許してもらえるかどうかなわけだが……。
「秋也さん、ここは秋也さんのお家でよろしいんですよね?」
「ああ、うん。そこの説明抜けてたか」
「でしたら、先にお付き合いをしている方がいらっしゃると言っていただけていたら、大変ありがたかったのですが……」
「付き合ってる?」
「ではなく、ご結婚を!?」
「まさか。それはないって、カイラさん……彼女とは……」
反射的に否定したから、じゃあ恋人でもない人間がいる風呂場に出てきたんだと言われたら、答えられないことに気付いた。
女子高生と浴槽に突っ立って、フリーズするアラフォーがそこにいた。
……ちょっと、意味分かんねえな。
「ミナギくん……。これを……」
思考がとっ散らかって混乱状態の俺へ、カイラさんが浴室の扉を開いてそっとタブレットを差し出してくれた。
「あ、ありがとうございます。それと――」
「いいのよ。濡れたままでは良くないわ」
俺がタブレットを受け取ると、代わりに通勤鞄を引き取ってまた戻っていくカイラさん。
「足下気をつけてね」
俺は、本條さんに注意をしつつ、一緒に浴槽から洗い場へと出る。
「タブレットですか? なぜ、この状況で読書を?」
「しないよ。手品の続きさ」
エクスは、空気を読んでか出てこない。
なので、タブレットを操作して《踊る水》を実行。
俺たちの靴や靴下を濡らしていた水が、シャボン玉のような球状になって分離し排水溝へと流れ落ちていった。
ついでに、《女神の泉》で浴室の床を洗い流しておく。こっちのほうが、水道代かからないからお得だ。
「え? 乾いて……。水も、どこから? 秋也さんも魔法が使えたんですか? 本当に手品では……?」
「魔法とは厳密には違うらしいけどね。あと、このタブレットがないと、単なる一般人だよ」
いや、アラフォーのIT社畜なんて一般人未満か。
そう。俺たちみたいなのが一般じゃ、この世界の危機だ。
「さて、いつまでもここにいても仕方ない」
自分自身に言い聞かせるようにして、俺たちは靴を脱いで浴室から出て……その靴を持ったまま先に玄関へと向かう。
「ミナギくん、先に座っていて」
「あ、はい。ありがとうございます」
その途中で、待っていたカイラさんに二人して靴を奪われた。
「とりあえず、そこに」
来客用の座布団なんてないので床に直にとなってしまうが、テレビのある部屋に本條さんを誘導。
その隣に、俺は正座した。
正座だ。
なお、本條さんはやはり育ちが良いのか。背筋をぴんと伸ばして当たり前のように正座している。
「ミナギくん……?」
二人して並んで正座している空間に戻ってきたカイラさんが、ぎょっとして立ち止まるが、結局、俺たちの正面に正座した。
おかしい。
俺だけなら、当然のこと。理解できる。むしろ、石を抱かされるまである。
なのに、抱いているのはタブレットだけ。
代わりに、三人とも正座、正座、正座。
もう、これちょっと意味分かんねえな。
「あの……。私は、本條綾乃といいます」
「私は、カイラよ。ミナギくんの“仲間”で通じる……かしら」
俺の戸惑いを余所に、自己紹介をする初対面の二人。
よく考えたら、本條さんにとって、異世界人とのファーストコンタクトだ。
でも、《リフレクティブディスガイズ》のお陰で、耳も尻尾も見えないのか。混乱する材料が減ったのは、良かった……のかな……?
「“仲間”ですか……」
本條さんには今ひとつ理解不能だけど、実際のところ、他に表現のしようがないんだよな。
「私は、危ないところを助けていただきまして……」
「なら、私と同じね」
にこりと安心させるようにカイラさんが微笑み。
それで、目に見えて緊張が緩んだ。
さすがカイラさんの包容力はすごい。
「ところで、どうしてこうなったのかを聞かせてもらえるかしら?」
「じゃあ、それは俺から」
本條さんにうなずきかけてから、俺は語り始める。
夜勤を終えた俺が不思議時空に迷い込み本條さんと出会ったこと。
彼女には、俺たちが使えなかった魔道書が合ったこと。
そして、それを駆使しつつファーストーンで脱出したことを。
とりあえず、未来予知の話はしなかったが、いきさつは伝わったはず。
「まさか、そんなことが……」
俺の話を聞いたカイラさんは、思いの外ショックを受けていた。
愕然とするところあった?
「ミナギくんの危機に駆けつけられなかっただなんて、私の存在意義は……」
「もっと他に、カイラさんのアイデンティティはあると思うんですけど」
どうも、自己評価が低すぎる気がする。
「とりあえず、以上がお風呂に乱入するに至った経緯です。はい」
「ミナギくん、喋り方」
「でも、大変申し訳ないことをしたわけで」
やはり、両目の視力を断つべきでは?
それとも、記憶を消去したほうがいいだろうか? 助けてよ、かずい!
「私は、怒っていないわ」
「そこは、怒らなきゃ駄目なところでしょ?」
「もう、仕方がないわね」
カイラさんが膝立ちで近寄ってきて、手を俺の額に伸ばす。
え? え?
そして、軽く俺の額を弾いた。
デコピンされた……?
「これで終わりにしましょう」
まるで、だだをこねる子供をなだめる母親のよう。
「カイラさん……」
……今ちょっと、赤い彗星の気持ちが分かりかけたかもしれない。
「こちらこそ、ごめんなさいね。私も、自分で自分が許せなかったのよ」
そう言って、表情を和らげる。
ようやくというか、なんというか。許されたという実感が湧いてきた。
そうなると、いろいろ後回しにしてきたことをどうにかしなきゃならないわけだ……が。
「あの……秋也さん……」
「ん?」
「お話が終わるまではと控えていたのですが、先ほどの経緯を全部話してしまえるということは、こちらの綺麗な方は……」
「……待ってちょうだい」
本條さんへの説明の前に、カイラさんが
さっきの慈母のような雰囲気とは一変。同一人物とは思えない、余裕のなさだ。
いったいなにが……?
「シュウヤさんって、え? もしかして、ミナギくんのこと?」
「はい。
「そうなの?」
「……あ」
そういえば、カイラさんにはフルネームを教えてなかったわ。
まあでも、別に支障はないよね?
「そう……。そうなの……」
「秋也さん、苗字しかお教えしていなかったんですか……?」
「ミナギくんは、ミナギという名前じゃなかったの……」
「な、なんとなく流れで……」
アルビノなケモミミくノ一さんは哀しそうに目を伏せ、超美人系女子高生は俺のことを信じられないと見つめる。
あれ?
どういうこと?
俺が責められる展開は納得済みだけど、想定してない方向から銃弾が飛んできてるよ?
「オーナーが、中二っぽい理由で名乗らないからですよ」
「反省いたしております」
進退窮まった。
そのタイミングで、膝に乗せていたタブレットが勝手にスリープ解除され、青い髪の妖精――エクスが姿を現した。
「って、反射的に謝っちゃったけど、エクス!? 普通に出てくるのかよ」
「はい。ここは、エクスの力が必要な場面かと」
デフォ巫女風衣装のエクスが、薄い胸を張って言った。
確かに、絶妙なタイミングだ。
「別に、オーナーはあなたをないがしろにしてたとか、そういうことじゃないです。シリアスになるシーンではありませんよ」
「いえ、少し驚いただけよ……」
エクスに諭されカイラさんは、あっさりと矛を収めた。心なしか、頬も赤く染まっている。肌が白いから分かりやすいだけで、大した意味はなさそうだけど。
「ふああ……」
一方の本條さんは、エクスに目が釘付けだ。
「秋也さん、妖精さんですか……。妖精さんですよ?」
「電子の妖精、オーナーの守護者、異世界の案内人ことエクスです」
「良かった……。コナンドイルは、詐欺写真に騙されたわけじゃなかったんですね……」
「いや、あれはあからさまに詐欺だと思うけど」
というか、気にするとこそこ?
「……とりあえず、最初から話そうか」
この際だ。カイラさんにも聞いてもらったほうがいいだろう。
俺は痺れる足をこらえて冷蔵庫へと移動し、コンビニで買ってきたお茶とお菓子をみんなに出す。長話になるだろうからな。
そして、俺は再び語り始める。
まずは、駅前でトラックにはねられるところから。