「やべえ……。マジで入ってる……」
と言っても、思わぬスーパーゴールを決められたというわけではない。
場所は、タクシーで乗り付けたショッピングセンター内のATM。通帳に記帳した俺は、そこに印字された数字を見て呆然としていた。
246,900。
それが、『オフリコミ』と記載されて振り込まれていた金額だ。汎用性高い名義だな。
24万6900円。石の端数、823個を換金して得た金。目標である生涯年収には遠く及ばないが、それでも無心ではいられない。
課金したら、いったいどれだけガチャを引けるだろう?
新しいゲーム用のPCだって、余裕で買える。
ヘッドフォンアンプとヘッドフォンを一緒に買い換えてもいいだろう。
あぶく銭なので、使うのに躊躇しないのもいい。
これで残高が倍になった……というほど貯金していないわけではないが、労働したわけではないのに、この金額が振り込まれているという現実は圧倒的だ。
始発で出勤して、
圧倒的に、現実感がなかった。
しかし、正体不明の万能感はある。
精神の特効薬。
汝の名は現金。
「……まあ、使い道は決まってるんだけどね」
続けてATMを操作して現金を引き出しつつ、俺はつぶやく。
そう。これは、異世界で冒険者をやるための必要経費。キャンプ用品を揃えるための資金なのだ。
いわば、半年分の通勤定期を買うため、財布に現金を満載しているようなもの。
……切ない。
乗らない日もあるのに買わなきゃいけないんだよな、定期券。ファーストーンとかフェニックスウィングとかで、どうにかできないだろうか。いや、またお風呂に乱入とかしても困っちゃうんだが。
というか、ヴェインなんとか戦で消費した石が、850個だったはず。これとほぼ同額ということは、俺の命の価値も同じだ。
財布にしまうには、やや厚みのある現金の束を凝視し……俺は苦笑した。さすがに、ネガティブすぎた。
「お待たせ」
「いえ、全然大丈夫です」
「特に問題はなかったわ」
ATMから出て、その前で待っていた二人と合流した。預かってもらっていたタブレットをカイラさんから受け取りつつ、俺は改めて彼女たちを見る。
カイラさんは、純白の忍者服。
スレンダーな体型を強調する白いチュニックに、ショートパンツとキュロットスカートの中間ぐらいのボトムスに、ロングブーツ。
ベルトには【カラドゥアス】が差されている、ケモミミくノ一の完全武装。
一方の、本條さんも清楚なセーラー服のまま。
彼女のことを多少知ったからというわけではないが、カチューシャとちょっと長めの前髪も相まって文学少女という趣だ。
タクシーの中では初めてのサボタージュで挙動不審気味だった彼女も、慣れてきたのか今は堂々としている。
二人とも半端なく顔がいいので服だけが悪目立ちすることはないが、平日のショッピングセンターにいていい格好ではない。
だが、時折通り過ぎていく人たちは、必要以上に彼女たちに注目することはない。それもこれも、《リフレクティブディスガイズ》のお陰である。
なんだか本来の用途とは違うような気もするが、とにかく良し。
「軍資金は用意できたので、野営用のキャンプ用品を買いに行こう。カイラさん、アドバイスよろしく」
「勝手が違うと思うけど、精一杯頑張るわ」
「キャンプ……ですか」
目的地は、ショッピングセンターにテナントとして入っている、アウトドア用品の店。
歩幅を合わせて移動していると、本條さんが意外な告白をする。
「今回の目的とは別ですけど、私、前からキャンプに行ってみたいと思っていたんです」
「まあ、あっちで使うってだけで、こっちでも使えないわけじゃないけど」
貸し出すことは問題ないが、ちょっと意外だ。
「キャンプ場で本を読むのって、気持ちよさそうで。憧れます」
「なるほどね」
俺もキャンプ行ったら携帯ゲーム機を持ち込んでいるはずなので、その気持ちは分からないでもなかった。無線LANとか飛んでたら、完璧だ。
鞄の中のエクスは、なんか暴れているような気がするが。
というわけで、アウトドア用品の店に到着。
はっきり言って、縁遠いどころかある意味で異世界以上に異世界。
しかし、俺には登山アニメとかキャンプアニメで培った知識と経験がある。あと、事前に検索した。
というわけで、まずはテントと
異世界なので過酷な環境も考えられるだろうと、氷点下でも大丈夫なやつだ。
それから、グリルとしても使える焚き火台、コッヘル、炭と着火剤、鍋と食器にウォータージャグ。水は俺がいくらでも出せるけど、容器は必要だ。
あとは、電池式のLEDランタンもいくつか。余ったら、月影の里で使ってもらおう。
それからついでに、登山用の服と靴の一式も、カイラさんの意見を参考に購入する。
最終的に予算を若干超えてしまったが、必要経費をけちっちゃいけないよ。
車で来ているという設定で台車にまとめてもらい、運ぶ振りをして人目のないところで《ホールディングバッグ》へ格納。
水のペットボトルを大人買いしたときと同じ手口だ。
「これ……。悪いことができちゃいますね」
「気付いた?」
「本当に、秋也さんで良かったと思います」
「そうね。ミナギくんが、
「そんな大層な話じゃないんだが」
密輸とかやろうとしても、そっちに伝手もコネもないから無理なんですよ。わざわざ、危ない橋を渡るのもあれだしさぁ。
小市民に力を持たせても、有効活用できないんだよな。困ったもんだ。
でも、今度、骨董市みたいな催しには行きたい。
「買い物終わったし、次はいよいよラーメン食べに行こうか」
「はい!」
「……そうね」
本條さんは満面の笑みで。
カイラさんは、あまり表情を変えず。でも、耳をぴこぴことさせて答える。
「秋也さん……」
「ああ……」
プロは多くを語らない。
ただ、本條さんと一緒に和むのみ。
そんなこんなで、異世界人と女子高生の期待を一身に背負い、選んだのがこの店。
むしろ、この店に行くためにさっきのショッピングセンターを選んだまである。
のれんにはラーメンと書かれているだけで、屋号がどこにもない。路地裏にひっそりとある、昭和の残り香漂う店だ。
一時期はブームに乗って支店がいくつもできたんだが、代替わりのごたごたで路線変更があり次々と閉店。
今は、この一店舗だけで営業している。知る人ぞ知る……というよりは、知っていても誰にも教えない店だ。
「ここが、ラーメン屋さん……ですか?」
「うん。ちょうど、ピーク過ぎた頃だね」
横開きの扉を開いて、のれんをくぐる。
客の入りは、そこそこ。
そして、こんな超美人が来ても、注目されない。みんな、ラーメンに集中している。
いい店だ。
ちょうどテーブル席が空いていたので、なにか言われる前に勝手に座った。
戸惑い気味のカイラさんと本條さんがカルガモの子供のようについてきて、きょろきょろと周囲を見回した。
水は、セルフサービス。
メニューは醤油ラーメンだけなので、注文しなくても勝手に出てくる。
店主は奥の厨房から出てこず、奥さんらしい人が店を切り盛りしている。
「ふ、不思議なお店ですね……」
「底知れないわ、英雄界……」
ほんの数分で、戸惑う二人の前に丼が到着した。
琥珀色の澄み切ったスープ。
その中を泳ぐのは、やや多めの麺。
具は、メンマとネギとなると。それから、紙のようなチャーシュー。
ラーメンというよりは、中華そばと呼びたくなる佇まい。
貧相?
違う。これは無駄を省いたラーメンの本質だ。
「…………」
「…………」
カイラさんと本條さんが、どうすればいいのかと、こちらを見つめる。
お手本なんか要らないだろうけど、俺はレンゲですくって、まずスープを一口。
染みる……。
美味いとか不味いとかを通り越して、じんと染み渡る味だ。
それと同時に確信する、これは中華そばではない。歴としたラーメンだと。
「いただきます」
「いただくわ」
二人は俺の真似をして、しかし似ても似つかないほど上品にスープをすする。
喉がこくりと動くと、驚きに目を開いて見つめ合った。
なかなか好感触のようだ。
スープを堪能した後、俺は麺を手繰る。
スープによく絡む、もちもちとして腰のある麺が、つるっと喉を越えていった。この感触は、いっそ官能的ですらある。
「ナルトだわ」
「なるとだね」
なぜか嬉しそうなカイラさんは、器用に箸を操っていた。さすが、
本條さんは、髪を押さえながらちょっと不器用に食べていたが、一生懸命で好感が持てる。
そして、二人とも……。まあ、俺もそうだが、箸を止めることがない。
およそ商売っ気というものが存在しない店だが、味は確か過ぎるほどに確か。
この普通というのが、最初には大事だと思うのだ。
二人ともいわばラーメン経験がない。初心者さんだ。
そこにいきなりインパクトの強い丼を与えても、いいことはないと個人的には思う。
例えば、「大盛りぐらい余裕だって」とか騙して500グラムのつけ麺食べさせるとかね。
ダメ、絶対。
「これが、ラーメンなのね……」
「もっと美味しいものを食べたことがあるはずなんですが、なぜか満足してしまいました」
気付けば、みんな揃ってスープを残さず食べきっていた。
美味い。
だが、美味すぎはしない。
食べた直後はまた来ようなんて考えないが、気付けばふらっと立ち寄っている。
そんな店だった。
「それに、スープも全部飲んでしまって……罪の味がします」
「だから、気に入った……ということかもしれない」
美味いもんは、体に悪いんだ。
おっと、「オーナーは体に悪いものすら摂取していませんでしたけどね!」って、エクスに言われちゃうな。
「ごちそうさま」
世界で一番美味しいラーメンを食った後の水を堪能してから、俺たちは店を出た。
「美味しかったですけど、なんだか甘いものが食べたくなっちゃいました」
「甘い物……」
学校をサボったテンションで、本條さんがちょっと羽目を外し始めた。
いい傾向だ。
そして、カイラさんは尻尾をぱたぱたさせている。
賛成多数だ。
「そういや、途中にたい焼きの店があったな。買ってくるといい」
と言って、千円札を渡す。
たい焼きだからって、食い逃げをしてはいけない。
「え? そんな、これ以上……」
「150万円に千円加わっても、大したことなくない?」
「カエサル理論を、身を以て味わうことになるだなんて」
それに、贅沢は、若いうちにするべきだよ。
「ううぅ……。お言葉に甘えて、行ってきます」
「あー。カイラさんも、一緒にお願いします」
「ミナギくんは?」
「俺はお腹いっぱいです」
少し残念そうな表情をしていたが、本條さんはカイラさんと連れだって買出しへ行った。
確かに口の中には微妙にしょっぱい味が残っていて甘い物で中和したくはあるが、その後に訪れるだろう胃もたれが欲望にブレーキを掛ける。
これが若さか……。
俺はシャッターの閉まった店の前で、二人を見送る。家と一体化してるので、廃業しても次のテナントが入ったりしないんだよな。
そして、鞄からタブレットを取り出した。
『オーナーも、一緒に行って良かったんですよ?』
『無理』
タブレットの中にいるエクスが、文字でそう俺を魔境へ送り出そうとする。
こっちからはソフトウェアキーボードで返事をするが、文字入力が面倒なので必要最低限。
ふと顔を上げれば、視界の先にたい焼き屋に並ぶカイラさんと本條さんの姿があった。二人とも、笑顔だ。
まぶしい。
太陽を直視してしまった吸血鬼のように、俺は慌てて目を伏せる。
『今のところ、反応はありません』
『それは良かった』
『では、二人でしかできない話をしましょう』
『珍しい反応だな』
『オーナー。今日のデートは楽しかったですか?』
『デートじゃない』
俺は、速攻で否定した。
どっちかというと、リハビリだ。
本條さんは今のところ大丈夫そうだけど、いつ襲われた恐怖がフラッシュバックするか分からない。
変に萎縮しないよう間を置かず、俺の目が届く間に外へ出たかったというのもある。
『もう、それはそれとして楽しめばいいんですよ!』
『楽しくないとは言っていない』
そして、もうひとつ。
本條さんと俺を“結界”に閉じ込めた“敵”からのコンタクトを待つという目的もあった。どうせ対峙するのなら、緊張感のある今のほうがいい。
だからずっと、《オートマッピング》は起動させていた。
逆に言うと、このフルメンバーで待ち構えてダメだったら手に負えない。そのときはもう、2秒で《ホームアプリ》を実行して異世界で修業するしかないな。
とはいえ、“敵”もそんなに暇じゃあないらしい。
最初にエクスが言った通り、特にアプローチはなかったのだが……。
『オーナー、UNKNOWNが一体近付いています。まったく、空気読んでくださいよ!』
『マジか。飯食い終わるまで待ってくれたのかよ』
反射的に目を上げると、少し先に無邪気な笑顔を浮かべる子供がいた。
褐色の肌に黒い髪。
アラブというか、中近東というか。
明らかに日本人離れした、10歳ぐらいの子供だった。
可愛いと格好いいの良いとこ取りをしたような。とにかく、美少年と言っていいだろう。将来、石油王になりそうな感じだ。
最近、俺の周囲の美的偏差値が急上昇している……って、まっすぐこっちに向かってきた。
カイラさんと本條さんに警告を飛ばそうとするが、間に合わない。二人にスマホを買うのが先だったか……と、後悔先に立たず。
「初めまして、お兄さん」
「……初めまし……て?」
ぎこちない笑顔で返しながら、俺は焦っていた。
世間体が。世間体がっ。
ダメだよ。
アラフォーに女子高生とか子供とか近づけちゃダメだよ。通報(される)案件だからね?
まさか、社会的に殺しにきたのか? 敵がこんな相手を送り込んでくるとは予想外。
「やだなぁ、もっと笑ってよ。待ち人来たるなんだからさ」
「は?」
「お探しの
そう言って、褐色黒髪の少年は屈みながらにこりと笑った。
……どうするよ。
いきなり本命釣れちゃったよ、おい。