「僕はメフルザード。吸血鬼さ」
フリーのカメラマンさ、ぐらいの軽いノリで人外だと告白する褐色黒髪の少年――メフルザード。
さすがに面食らって、目の前の美少年を凝視してしまった。
「吸血鬼……。昼間なのに?」
「もう何百年も前に克服したよ。ただ、昼間は眠くて仕方がないね」
「夜勤明けみたいな感じか……」
卑近な例えを出して否定しようとしたが、上手くいかなかった。
普通なら子供の冗談と笑い飛ばす場面だが、とてもそんな気になれない。それどころか、とてもしっくりくる。いろんな疑問が解消される。
それよりもなによりも、
「今日はルーマニアから? それとも、戸山住宅から?」
「それはトップシークレットだね」
楽しそうにメフルザードが笑った。
人懐っこくて、釣られてこっちまで笑顔になって……しまえれば楽なんだろうけど。
今の俺に、そんな余裕はない。
このままではカイラさんと、本條さんが戻ってきてしまう。
どうしよう。どうしよう。
どうする? どうする?
「そんなに緊張しないでよ。今日は、話し合いに来ただけなんだから」
「戦争は外交の一手段って言うらしいけど?」
「そこは否定しないよ」
最終的に、そうなるかもと微笑みつつ、メフルザードと名乗った吸血鬼は俺を見上げる。
あっちは見上げているのに、精神的な優位がどちらかは明らかだった。
なにしろ、街中というのももちろんあるが、タブレット――エクスが一緒なのに、口しか動かないのだから。
「この近くに、僕の店があるんだ。そこで、落ち着いて話そうか」
「…………」
いきなり、街中で戦闘は困るでしょ?
言外にそう伝え、決断を促す……というよりは、俺たちの選択肢を奪い去り、誘導する。
「それとも、また、
「……連れを呼んでくるよ」
降参だと両手を挙げ、俺はたい焼きを買えた二人のほうへ歩いていく。
「素直な子は好きだよ」
メフルザードは、からかうように言って俺を見送った。逃げ出すなど、欠片も考えていないようだ。なんらかの対策をしているのかもしれない。
一方、エクスは完全に沈黙している。
自分の存在がジョーカーになり得ることを、知っているからだ。
まったく、頼れる相棒だ。
「秋也さん。どうかしたんですか?」
「二人とも落ち着いて聞いてほしい」
「……なにがあったの?」
たい焼きを食べようとしていたカイラさんが、一瞬で戦闘モードに移行する。
「向こうから、今回の黒幕がやってきた」
「え?」
俺が、メフルザード――黒髪褐色の美少年を指さすと、本條さんが信じられないと目を丸くする。
驚いても美人は美人だが、それ以上、なにも言えずにいた。
『残念ながらと言って良いのかは分かりませんが、事実です』
なので、タブレットの画面を見せてエクスにフォローしてもらった。
「大胆ね。もしかして、舐められているのかしら?」
カイラさんが憤懣を白皙の美貌に押しとどめ、代わりに薄く笑う。
「でも、すぐに襲ってこないということは、話し合いを求めているの?」
「そう言われたよ」
答えつつ、タブレットのソフトウェアキーボードで、カイラさんへの
カイラさんは、顔色ひとつ変えない。
しかし、赤い瞳には力強い光が宿った。
「自分の店があるから、そこで話をしたいってさ」
「行きましょう」
本條さんの決断は早かった。
「ご迷惑をおかけしますが、私は、真意を知りたいです」
「迷惑がかかるのは、俺たちじゃあないよ」
カイラさんに目配せし、そして、買ったばかりのたい焼きを意味ありげに見る。
「まあ、持ち込みぐらい大目に見てもらうしかないな」
店の人に迷惑をかけることになるけど、仕方ないよね。
メフルザードの店は、本当に近く。歩いて5分もしない場所にあった。
最近珍しい、個人経営の喫茶店。落ち着いた雰囲気で、ダンディなマスターがこだわりのコーヒーを淹れてくれそう。
しかし、店には客はおろか店員もいない。
「今日は貸し切りにしたよ。まあ、趣味でやってる店だからね」
「それはうらやましいな」
赤の他人を人質に取られるようなことはなさそうで、少しだけほっとする。
カウンターを通り過ぎて木目調で統一された個室に入ると、コーヒーがすでに用意されていた。もちろん、冷めてはいない。湯気が立って、熱々だ。
……カイラさんは、コーヒー飲めるのだろうか?
「まずは、その娘を狙った理由から説明したらいいかな?」
円卓に腰掛けると同時に、メフルザードが本題を切り出してきた。
「やっぱり、私を狙ったのはあなたなのですか」
「そうだよ。遊びなんか入れずに、さっさと捕獲しておけば良かったね」
「捕獲……。遊び……」
あまりにも正直なメフルザードの言葉に、本條さんはまなじりをつり上げた。
俺は、それを手で制す。
いるんだよな。とりあえず、怒らせてから話をするやつって。
「理由と言っても、だいたい見当ついてるけどな」
コーヒーに口を付けてから、平常心で答えた。
「あ、このコーヒー美味いな」
「こだわってるからね。ああ、その娘が未来予知能力を持っているのは知っているよ。もっとも、実はそれだけじゃなかったみたいだけど……」
けれど、すべてじゃない。
まあ、本を手にしたら一瞬で魔法が使えるようになったとか、普通は考えないよな。いくら、吸血鬼という非常識な存在でも。
ちなみに、例の魔道書は《ホールディングバッグ》で預かっている。悪いけど、本條さんを矢面に立たせるつもりはなかった。
まあ、今回は、だけど。
「驚いた。長く生きてる吸血鬼でも、未来を知りたいのか」
「ふふんっ。長い生に倦み疲れているとでも、思われているのかな?」
人間の尺度で導き出した傲慢な答えだねと、メフルザードもコーヒーを飲む。
とても、幸せそうに。
「そのたい焼き、僕にもくれない?」
「本條さん、余ってるの?」
「い、一応、秋也さんの分も買いましたけど……」
「じゃあ、半分ずつで」
鯛焼きを背びれの辺りでふたつにし、尻尾のほうを手渡した。
「えー? ずるくない?」
「買ったのは俺の金だ」
「この店のオーナーは、僕なんだけど?」
もっともだ。
仕方ないので、無言で交換した。
満足そうに真っ二つになったたい焼きを咀嚼してから、メフルザードは続ける。
普通に食えるんだな、吸血鬼……。
「実のところ、未来予知の能力そのものは特に関係ないんだよ。代わりに、念動力でも千里眼でも透聴でも、構わないが」
予想が外れた。
本條さんも、自らの能力を誇っているわけではないが、どうでもいいと言われて心穏やかではいられないのだろう。
綺麗な顔が、さらに厳しくなる。
「いわゆる超能力者はね……」
そんな怒りもどこ吹く風。
コーヒーで口を洗い流してから、メフルザードは決定的な一言を放った。
「血が、美味しいんだよ」
「セクハラか」
いきなりとんでもないこと言い出したぞ、このショタヴァンパイア。
「ああ。別に、処女の血だからってわけじゃないから。そこは、誤解しないでほしいな」
「決めつけるのは良くないんじゃないか?」
「あの……。確かに私は処女ですが……その……あまり口に出されるのは……」
本條さんの控えめな抗議。
しかし、メフルザードは気に懸けない。
「もっとも、処女の血を好んだり、拷問をして流した血こそ至高っていう輩はいるけれど。もちろん、僕は違うよ?」
ティースプーンをくるっと回して、「野蛮で困るよね」と、同意を求める。
知るかよ。
「和牛を育てるように、愛情込めてしっかりと飼育しなくちゃ」
非人道的。
だけど、捕食者の論理としては、それほど突飛ではない。
「人間だって、仔羊を食べたり、魚を活け作りにしたりする。それと同じだって?」
「そう、一緒だよ」
黒髪の向こうで、吸血鬼の瞳が妖しい光を放った。
俺も、口角を上げて笑う。
「不快かな?」
「まあ、そうだな。でも、立場の違いってやつだろ」
「おや。思った以上に、話が分かるね」
「だからって、こっちだって無抵抗に食われなくちゃいけない道理はないよな?」
そう言って、コーヒーを飲み干した。
「うん。全体としては共存可能だけど、個体レベルでは相容れない。妥協点を探るのも大変だよ」
「妥協?」
「そういえば、そこの白いお姉さんの血もそこそこだね」
メフルザードは話を変えた……というよりも、気まぐれでカイラさんにも食指を伸ばす。
しかし、カイラさんは今まで同様答えない。ただ、赤い瞳で吸血鬼を射抜く。
無視されたメフルザードは、外人みたいに肩をすくめた。
……外人だったわ。
「でもね、美味なるものに対価を支払うのはやぶさかじゃない」
「私に、値段を……」
カイラさんほどではないが白い肌を紅潮させ、テーブルの下でぎゅっと手を握る。
吸血鬼……食物連鎖の頂点にいる存在からすると、むしろ優しい対応なのかもしれない。
だけど、言われたほうからすると、たまったもんじゃない。
「要するに、俺を買収したいって言ってるのか?」
「お兄さんさえ懐柔しちゃえば、どうにかなるでしょう?」
いやぁ、それはどうだろうな?
たぶんというか確実に、俺が一番弱いのに。
「ところで、お兄さんの勤め先を調べさせてもらったよ」
「……ほう」
会社の同僚を人質にでも、するつもりか? それで、本條さんを差し出させようと?
バカめ。
同じチームとか、よく話す同僚以外に人質の価値なんかないぜ。むしろ、会社のビルを爆破させるとかどうですかね?
「いやぁ、酷いね」
「へ?」
「常態化しているサービス残業、過労死ラインの無視、無茶な納期。給料も安いってものじゃない」
あ、はい。
イグザクトリィ(その通りでございます)。
「労働基準法を、いったいなんだと思っているんだろう?」
「うるさい規制だと思ってるんじゃねえかな……」
だが、一応、守ろうという意識があるだけでマシと言えなくなくもない。
「なにが、SIerだよねぇ。お兄さんみたいな技術者を現場に派遣して上前はねてるだけなのに。それで、確かな技術力で社会に貢献しますとかサイトに書いてあるんだよ? バカじゃないの? 技術力は会社じゃなくて、現場で頑張ってる社員にあるんじゃないか」
「言って。もっと言って、もっと言って」
「あの……。秋也さん……?」
本條さんが呆然と俺の名前を呼ぶが、女子高生の声は俺の心に響かない。
たぶん、あれだ。吸血鬼だから魅了の魔眼とか使ってるんじゃないかな。
おのれ! 卑怯な!
「だから、ちょっとお兄さんの会社を買い取っちゃおうかなって」
「は?」
買収? 吸血鬼が?
それ以前に、そんな金があるのか?
「そうそう。僕が経営者になったら、もっとまともな待遇を約束するよ。これはお兄さんだけでなく、社員全員をね。そして、利益だけ貪ってる無能な上層部には消えてもらう」
ああ……。
後光が差して見える。
吸血鬼なのに。
なんで、吸血鬼なんだよ。チクショウ。
「秋也さん、秋也さん。気を確かに!」
社会戦。
これが、社会戦か。
惜しい。
本当に惜しい。
でも、足りない。
本條さんを見捨てる対価には、全然足りない。
「吸血鬼ってのは、本当に恐ろしいな」
俺は、テーブルを、とんとんと指で二回叩いた。
お茶のおかわりの合図……じゃない。
「待っていたわ――」
届いたのは、二杯のコーヒーではなく、光の刃。
「――《光刃》」
俺の合図と同時にカイラさんがカラドゥアスを抜き放ち、テーブルと一緒に、メフルザードの体を真っ二つに切り裂いた。
褐色黒髪の美少年が、縦に裂ける。
「傲慢さの報いを受けなさい」
「残念」
――が、泣き別れすることなく、噴き出た血同士がふたつの体を結びつけ、自動的にくっついた。
どういう理屈なのか。服も一緒に再生。
完全に元通りだ。
「その程度じゃ、僕は殺せないよ」
「無茶苦茶だな、吸血鬼!?」
予想はしてたけど、当たってほしくはなかった。
あー。もう、仕方ない!
「交渉決裂でいいかな、お兄さん?」
白く鋭い牙が覗く。
それだけで。
本当に、それだけで。
オーラとでも言えばいいんだろうか?
威圧感が物理的な圧力すら伴って、個室を完全に支配した。
あ、こりゃ無理だ。
カイラさんはともかく、本條さんは完全に固まっている。
まだ具体的になにかされたわけじゃないのに、ヴェインクラルなんか目じゃねえ。
俺だって、一言しか発せそうにない。
「エクス!」
「
だから、俺たちは異世界へと逃げ出した。
150万円払って命が買えるのなら、安いもんだよな。