魔法使いマダム・ヴィヴィアンに無理やり押し込まれた漆黒の馬車は、リーゼリットの抵抗も虚しく、あっという間に王城の広大な敷地へと到着した。
城の開け放たれたエントランスには、煌びやかなシャンデリアの光がまばゆい。華やかなドレスをまとった貴婦人や、きらびやかな衣装の紳士たちが談笑する声が、城のホールから溢れ出していた。
まさに、自分が最も避けたかった「舞踏会」の光景がそこにある。
馬車を降りると、ヴィヴィアンは意気揚々とリーゼリットの手を引いた。
「さあ、私の芸術品を見せつけてやりなさい!」
そう言って、彼女を人混みの中へと誘っていく。
胸元の大きく開いた真っ赤なマーメイドドレスは、周囲の視線を一手に集めた。
前世の記憶が蘇り、リーゼリットの心臓は嫌な音を立てていた。
あの頃と寸分違わぬ、目立つだけの嫌悪感。まさにトラウマそのものだった。
どうにか人々の視線から逃れたい一心で、リーゼリットはヴィヴィアンの気を逸らし、そっとその手を振りほどいた。
そして、王城の広間を足早に横切り、人影の少ない場所を求めて奥へと進む。
目指すは、この騒がしい喧騒から逃れられる、静かで目立たない場所。
どこでもいい、この居心地の悪さから解放されたい。
やがて、彼女がたどり着いたのは、夜の闇に沈む王城の庭園だった。
月明かりに照らされた噴水が静かに水を湛え、薔薇の香りがほのかに漂う。
舞踏会の賑わいからは完全に切り離された、別世界のような静けさだった。
リーゼリットは大きく息を吐き出し、人心地ついた。
このまま、時間が過ぎるのを待とう。
そう決めて、奥まったベンチに腰を下ろした、その時だった。
「まさか、こんなところに人がいるとはな」
穏やかな、しかしどこか諦めを含んだ男性の声が、闇の中から響いた。
リーゼリットがハッと顔を上げると、そこに立っていたのは、一人の青年だった。
煌びやかな正装をしているにもかかわらず、その表情にはリーゼリットと同じような、舞踏会への倦怠感が滲んでいるように見えた。
彼は、この国の王子ではなく、隣国イグニス王国の第三王子、シリウス・アストリア・イグニスだった。
リーゼリットは見知らぬ男に眉間に皺が寄る。
――まさかこんなところに人がいるとはな、は、こっちのセリフよ。
それに、タッチの差とはいえ先客は私のはず。
それを何なの、この男は。
そう、無意識に彼を睨みつけてしまっていた。
「失礼、人混みが苦手なもので……」
そう、声を出すのがやっとだった。
「人混みが苦手な女性が着るドレスとは、とても思えんがな」
シリウスはリーゼリットの大胆な、まるで男を誘惑するかのようなドレスを見て、フッと嘲笑った。
「私の好みではありません。出たがりな魔女が勝手に着せて、無理やり連れてきたんですよ!」
リーゼリットは溜息を吐く。
――見るに、この国の人ではないだろうし、魔女の話も知らないだろう。
頭のおかしな女だと思われただろうな。
でも、そんなことはどうでも良いから、どこかへ行ってほしい。
「それは面白そうな話だ。詳しく聞かせてみろ」
シリウスはドカッとリーゼリットの隣に腰を据えてしまった。
まさか居座られるとは思わず、リーゼリットは驚く。
「人を避けているなら、他をあたってください」
城は広大だ。静かで人が来ない場所など、沢山あるはずである。
「長旅で疲れたのだ。俺も休みたい」
シリウスは「ふぁあ」と、大きな欠伸をする。
「眠いのでしたら、部屋に案内してもらえば良いのでは?」
おそらく見た目からして、どこかの王子だろう。
誰かに言えば部屋の1つや2つ、すぐに工面してくれるはずだ。
「そうすると、俺が舞踏会をサボったのがバレるだろ」
シリウスは心底嫌そうだ。
――王子も大変なのね。
「ここで会ったのも何かの縁だ。名前は?」
「人に名前を尋ねるなら、先に名乗るのが礼儀ですよ」
「そうだな。俺はシリウス・アストリア・イグニスだ。イグニス王国の第三王子をしている」
「イグニス王国の!?」
リーゼリットは驚いて聞き返してしまった。
イグニス王国の第三王子といえば、「世界三大イケメン」の一人とか言われている王子である。
それは舞踏会に顔を出したら大変なことになるだろう。
「そう。俺は名乗ったぞ?」
シリウスから「早く名乗れ」という圧がすごかった。
「リーゼリット・フォン・クライアントです」
おずおずと名乗るリーゼリット。
「は? クライアント侯爵の一人娘? 第一王子の婚約者様じゃねぇか! ここで何してんだ!?」
シリウスは驚いて、素っ頓狂な声をあげてしまった。
「だから、人混みが苦手なのよ」
――さっきから言ってるじゃない!
リーゼリットは溜息を吐く。
「はー、アンタも大変なんだな」
「シリウス様ほどではありませんよ」
シリウスとリーゼリットは顔を見合わせ、頷く。
なんとなくお互いの苦労が分かり、苦笑してしまうのだった。