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第6話

 アークス・フォン・アルビオン王子に抱きしめられたリーゼリットは、思考が停止したまま、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 自分に浴びせられる眩いばかりの照明と、会場中の視線。

 そして、何よりも理解できないのは、目の前で「愛しい婚約者」と語りかけてくるアークスの姿だ。

 前世での彼は、リーゼリットのことなど眼中になく、むしろ忌み嫌う存在だったはず。

 婚約破棄を告げられることこそあれ、こんな形で衆目の前で抱きしめられるなど、ありえない。


「リーゼ、一曲踊ってくれるかい?」


 跪いて差し出されたその手を取った瞬間、まるで夢の中にいるかのようだった。

 アークスのリードは完璧で、流れるようなワルツのステップがリーゼリットを誘う。

 戸惑いながらも、彼女の体は自然と動きについていく。

 前世の記憶が、踊り方を鮮明に思い出させたのだ。

 しかし、リーゼリットの心は困惑と不信でいっぱいだった。

 一体、何が起きているのか。

 このアークスの豹変は、何を意味するのか。

 リーゼリットの「平穏に過ごしたい」という願いは、音を立てて崩れ去っていく。

 ロザリアに一目惚れするはずの王子が、なぜ自分にこんなにも熱い視線を送っているのか、全く理解できなかった。







 この大広間には、リーゼリット以外の、もう二人の転生者がいた。


 第一王子アークス・フォン・アルビオン。

 そして、妹のロザリアである。


 前世、アークスは婚約者であるリーゼリットの魅力に気づくことなく、ロザリアに一目惚れしてしまった。

 そしてロザリアにも前世の記憶がある。

 リーゼリットは誤解しているが、ロザリアは前世からリーゼリットのことが大好きだった。

 たとえ料理が不味いと怒られても、不細工、間抜け、鈍間と揶揄されても、掃除バケツをひっくり返されても、ロザリアはリーゼリットが愛おしかったのだ。

 ロザリアからすれば、元々育ちが良いリーゼリットのいじめ方は可愛らしいもので、むしろ彼女のツボだった。


 ――もう、お姉様は私の「推し!」である。


 美しい姉に女王様のように見下されるのは快感ですらあった。

 有り体に言えば、ロザリアは「ド変態女」だった。

 とにかく、美しく負けず嫌いで、一生懸命自分をいじめようとしてくる姿が可愛すぎてどうしようもなかったのである。

 そんな大事な姉を傷つけたアークスは、ロザリアにとって敵でしかなかった。


 だが、アークスが自分に一目惚れしたのは地獄に仏だと感じたロザリアは、ある決意をする。

 こんな軽薄な男を大事な姉と結婚させるわけにはいかない。

 出来れば姉には男など作ってほしくはない。ずっと自分だけのお姉様でいてほしい。

 そんな思いから、ロザリアはアークスに一目惚れした振りをして、姉を修道院に入れた。

 これで姉は一生独身だ、とホッとしたのも束の間だった。

 リーゼリットが入った修道院が火事になったのだ。

 ロザリアはすぐに修道院を訪れた。そこで見たのは、変わり果てたリーゼリットの姿である。

 ロザリアは絶望から泣き崩れた。

 そして結局、アークスと結婚する羽目になったのである。


 結婚後、ロザリアはいかにリーゼリットが素晴らしく、アークスがダメ男のどうしようもないクズかを、生涯にわたって詛呪のように吐き続けた。


 その結果、転生したアークスも「リーゼリット最推し!」に変貌してしまっていたのだ。


 アークスにリーゼリットは絶対に譲らないが、一先ずリーゼリットの死亡フラグだけはへし折らなければならない。

 苦肉の策ではあったが、ロザリアは今回、アークスに一目惚れされるイベントを回避することに成功したのだ。



 ――しかし、お姉様はモテすぎですね。


 誰ですか、あの男は?


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