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第7話

 アークス王子とのダンスは、リーゼリットにとって悪夢としか言いようがなかった。

 彼のリードは完璧で、流れるようなステップは体の記憶を呼び覚ます。

 前世の「悪役令嬢」としての経験が、図らずも彼女を舞踏会の中心へと引き戻した。

 しかし、リーゼリットの心は常に悲鳴を上げていた。


 ――なぜ?  なぜ私がアークスと踊っているの?  ロザリアはどこに?


 彼女の視線は、隙あらば会場の隅へと向けられていた。

 前世では、この舞踏会でアークスはロザリアと出会い、一目惚れしたはずだ。

 そして、自分が嫉妬に狂って彼らに嫌がらせをし、最終的に破滅を迎える……

 そのシナリオが、今のリーゼリットの脳裏を常に過っていた。


 アークスは、リーゼリットの困惑した表情など気にも留めない様子で、愛おしげに彼女を見つめ続けた。

 その瞳には、前世では決して向けられなかった熱情が宿っている。


 ――おかしい。あまりにもおかしい。この状況は、私の知る前世とあまりにも違いすぎる。


 リーゼリットは、自分が回避しようとしていたはずの「破滅フラグ」とは全く異なる、新たな不穏な予感に包まれていた。

 ロザリアの様子も気になった。

 彼女は舞踏会を楽しんでいるのだろうか?

 そして、シリウス王子は。

 あの、同じく舞踏会から逃げ出していた彼は、今どうしているのだろうか。

 頭の中は疑問符でいっぱいだった。


「あ、あの……」


 一曲と言ったはずなのに、流れるように二曲目に入ってしまったアークスに、リーゼリットは困惑しかなかった。


「駄目だよ、僕の可愛いリーゼ。余所見をしないで。君の瞳が映していいものは今、僕だけのはずだよ?」 


 アークスはうっとりとした表情でリーゼリットを見つめる。

 まるで女神様でも見つめているかのようなアークスに、リーゼリットは軽く引いてしまう。


 ――アークス王子ってこんな人だったかしら?

 もっと刺々しい冷たい方だった記憶だけど。


 だんだんとリーゼリットは自分の記憶に自信が持てなくなってきた。


 ――もしかして、全部私の妄想なんてことはないわよね?


 その時、リーゼリットとアークスの間に、救いの女神が現れた。


「アークス王子、お姉様はお疲れのご様子。今夜はもう休ませてください」


 三曲目にまで突入しようとした王子を止めたのは、ロザリアだった。


「それとも、私が代わりにお相手いたしましょうか?」


 いつもの可愛らしい笑顔でアークス王子を見つめるロザリア。


 ――これだわ! アークス王子は今、ロザリアに一目惚れしたはずよ!

 間違いないわ。


 リーゼリットは内心ガッツポーズをとった。


「そうか。そうだよね、リーゼ。君に会えたことが嬉しくて離れたくないよ。婚約なんてすっ飛ばして早く結婚したいな」


 しかし、アークスはリーゼリットを強く抱きしめた。

 周囲からは「王子はリーゼリット嬢を溺愛しているなぁ」「将来は安泰ね」「良いことだ」などと、無駄に囃し立てる声が聞こえてくる。


 ――全然安泰ではない!


 あまりの怖さに、リーゼリットは思わずロザリアに視線を向けてしまう。

 ロザリアはリーゼリットの視線に気づいた。


 ――お姉様が私に助けを求めている! この雑魚王子、早くリーゼリットお姉様から離れろ!


「アークス王子、お姉様は疲れているのです。離してください」


 ロザリアはリーゼリットの手を引いた。

 そしてアークスに笑顔を向けるが、アークスはロザリアのこの笑顔には(次はねぇーぞ、タコ)の意味が込められていると知っている。

 ガチでタコ殴りにされかねないので、アークスはリーゼリットを離すしかなかった。


 ――ああ、僕のリーゼリット。早くその凶暴な変態妹から助け出すからね。




「ありがとう、ロザリア。助かったわ」


 ロザリアのおかげでアークスから離れることができたリーゼリットは、心から感謝した。


「いえ、お姉様お疲れでしょう?  もう、帰りましょう」


 ロザリアはぐいぐいとリーゼリットの手を引く。


「でも、お母様は?」


 リーゼリットはキョロキョロと継母の姿を探す。


「お母様なら、男の人と奥へ行ったのでそっとしておきましょう」


 我が母ながらあまりにもはしたない女で、ロザリアは呆れてしまう。

 まあ、母も今は未亡人であるし、好きにしたら良いだろう。


「お母様は新しい良い人を見つけたのね」


 リーゼリットはホッとした様子だ。


 ――あまりにもリーゼリットは純粋だ。

 お姉様は知らないだろうが、母は何股もかけている不埒な女である。 


「私は二人乗り馬車を呼んできます。お姉様はソファで座って休んでいてください」


 ロザリアはリーゼリットをエントランスのソファに座らせ、馬車を呼びに出ていった。



 今のロザリアは、家にいるときの彼女より強気ではつらつとしている気がする。


 ――いつもこんな感じなら良いのになぁ。


リーゼリットは本当に少し疲れて、うとうとし始めてしまう。



「うわっ、大丈夫か?」


 顔面から床に激突しそうになったリーゼリットを支えたのは、シリウスだった。


「どうも、すみません……」


 リーゼリットは寝ぼけている。

 シリウスは大人しくリーゼリットの肩を支えるのだった。


「お姉様…… どちら様ですか?」


 馬車を捕まえ、リーゼリットを呼びに戻ってきたロザリアは驚く。

 少し目を離しただけだと言うのに、魅力的な姉はまた男を呼び寄せてしまっている。

 しかも、こんな無防備に眠ってしまっているなんて。


「随分とシスコンそうな妹だな」


 ロザリアに睨みつけられ、シリウスは苦笑してしまう。 


「姉はアークス王子の婚約者ですよ」


「存じ上げておりますよ。しかし、床に顔面を強打しそうなのを見過ごすわけにもいかないでしょう」


「そうですか。失礼します」


 ロザリアはリーゼリットを抱きかかえると、馬車に運ぶのだった。

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