ロザリアに支えられ、馬車で帰路につくリーゼリットは、疲労困憊でソファにもたれかかっていた。
舞踏会の喧騒は遠ざかり、馬車の揺れが心地よい眠りを誘う。
――一体、何だったの、今日の舞踏会は。
リーゼリットの頭の中は、疑問符でいっぱいだった。
前世の記憶とはかけ離れたアークス王子の豹変。
そして、自分を助けてくれたロザリアの、あの尋常ではない執着。
さらに、なぜかいつも現れるシリウス王子。
平穏を求めて行動してきたはずなのに、事態はますます混沌としている。
ロザリアは、舞踏会でのリーゼリットの様子を気遣うように、そっとブランケットをかけてくれた。
その手つきは優しく、家で継母に見せるような気弱さは微塵も感じられない。
リーゼリットは、ロザリアのこの「表と裏」の顔が、一体何なのか、理解できなかった。
少し、不気味にさえ感じてしまう。
しかし、アークス王子から解放してくれたことには、心から感謝していた。
あのまま踊り続けていたら、どうなっていたことか。
屋敷に到着し、自室に戻ったリーゼリットは、鏡に映る自分の姿を見てハッと息を呑んだ。
マダム・ヴィヴィアンに無理やり着せられた真っ赤なマーメイドドレス。
それは、前世で婚約破棄を告げられた、あの忌まわしい夜のドレスと寸分も違わぬものだった。
――まさか、ヴィヴィアンは私がこのドレスを着ることを知っていたの?
背筋に冷たいものが走る。
ただの偶然とは思えなかった。彼女の魔法は、単なるドレスアップの域を超え、リーゼリットの運命そのものを弄んでいるかのようだった。
この「出たがりな魔女」の真の目的は何なのだろうか。
リーゼリットの頭痛は、再び始まろうとしていた。
まるで真夏のホラーのような舞踏会であった。
しかし、翌日も何の変哲もない朝であった。
部屋を出た廊下ではロザリアが床掃除をしている。
「貴女、何をやっているの?」
――なんで何度も止めろと言うのに床掃除をするの?
もしかして、お掃除が大好きなの?
それならそうと教えてくれれば良いのに。
「申し訳ありません。朝帰りのお母様が盛大にやらかした汚物の掃除をしております」
ロザリアはとても申し訳なさそうである。
「お母様、大丈夫なの!?」
「ただの二日酔いですので、お気になさらず。少々お待ちくださいね」
ロザリアは綺麗にした廊下に消毒液をまいたうえで、清潔なハンカチを並べた。
そしてその床に、自ら寝そべった。
リーゼリットは意味が解らず、ポカンとなる。
「さぁ、お姉様、私を踏み台にして行ってくださいませ!」
「何を言っているのかわからないわ」
「お姉様に穢らわしい床を歩いてほしくはありませんので!」
「……見なかったことにしましょう」
リーゼリットは悪夢を見ているようだった。
踵を返すと、遠回りの道を選ぶしかなかった。
――頭が痛いわ。
朝食に向かうと、ロザリアと継母は先に座って待っていた。
ちゃんと一緒に食事を取ろうとしてくれているのは良いことだ。
ロザリアがいることに安心するリーゼリット。
「お姉様、先ほどは申し訳ありません。不快な思いをさせてしまいました」
「いえ、私を思ってしてくれたのよね。ありがとう」
頭を下げるロザリア。
彼女は服を着替えているが、メイド服のままだ。
「ロザリア、着るドレスがないのなら一緒に買いに行きましょうか?」
「お姉様とデ……お買い物ですか! こ、これは嬉しいです!!」
デートとか、興奮するとか言いそうになり、慌てるロザリアだ。
「午後からどう?」
「喜んで!!」
ロザリアはとても元気そうだ。
一方、継母のほうは顔色が悪い。やはり二日酔いなのか。
「お母様は今日はゆっくり休んでくださいね」
リーゼリットは継母のことも心配する。
リーゼリットは知らない。
継母が青ざめているのは、流石に廊下で吐くのはどうなんだと、ロザリアにこっぴどく叱られたからである。
いつもひ弱なそぶりで自分の言うことをびくびくした様子で聞いていたロザリアが、今日はまるで般若のような表情で怒鳴ってきたのだ。
「お母様、ここはお姉様が歩く神聖な廊下だというのにどういうおつもりなんですか!! 流石に私も切れます。この阿婆擦れ女が!!!」
と、罵倒してきたのだ。
それはそれは怖かった。継母の寿命は十年ほど減った気がした。
――私の娘、こんな子だったかしら?
我が娘ながらあまりにも強すぎて、ビクビクしてしまう継母だった。