ロザリアとの買い物は、リーゼリットにとって予想以上に楽しい時間だった。
侯爵家でエルシーにいじめられ、常に地味なメイド服を着せられていたロザリアのために、リーゼリットはデザインノートに描いた可愛らしいドレスの数々を試着させ、あれこれと品定めをした。
店員が驚くほど的確なアドバイスとセンスの良さを発揮するリーゼリットに、ロザリアは目を輝かせ、「お姉様、これ素敵です!」「お姉様が選んでくれたら何でも似合います!」と、素直な喜びを爆発させていた。
その様子を見ていると、リーゼリットの心にも温かいものがじんわりと広がっていくのを感じた。
前世では、ロザリアをいじめることしか考えていなかった自分。
今世で、こうして彼女のために時間を使い、笑顔を引き出せることが、ささやかながらも喜びとなっていた。
ロザリアの純粋な笑顔は、リーゼリットの心の奥底に染みついた「悪役令嬢」の罪悪感を、少しずつ洗い流してくれるようだった。
数着のドレスと、それに合う靴や小物を選び終え、満足して店を出た時だった。
リーゼリットの背後から、聞き覚えのある声がかけられた。
「リーゼリット? このような場所で会えるとは、奇遇だな」
振り返ると、そこに立っていたのは、隣国イグニス王国の第三王子、シリウス・アストリア・イグニスだった。
彼は普段着の、どこか庶民的な服装に身を包んでいたが、その立ち姿と整った顔立ちは、やはり隠しきれない高貴さを漂わせている。
リーゼリットは思わず顔をしかめた。
――なぜ、この男はいつも私が困った時、あるいは予想外の場所に現れるのか。
彼女の平穏な日常は、またしても揺らぎ始めた。
「どちら様ですか?」
無邪気な様子でリーゼリットにシリウスのことを尋ねるロザリア。
――(とんだ猫かぶりだなぁ)
ロザリアの本性を垣間見ているシリウスは、その内心を見抜いていた。
「隣国の第三王子である、シリウス・アストリア・イグニス様よ」
「まあ、第三王子様が護衛も連れずにこんな所で何を?」
ロザリアの視線は鋭くシリウスを射抜く。
「天気が良かったんでな。散歩だ。四六時中護衛に捕まってたんじゃ息が詰まる。まいてきた」
やれやれと、うんざりした様子のシリウスだ。
「何をやっているんですか! 護衛さんたちは今頃てんやわんやでしょう。早く城に帰ってあげてください!」
シリウスも大変だろうが、自由奔放な主を持った護衛たちの方がもっと大変なことだろう。
「嫌だね。リーゼリットはここで何をしていたんだ?」
「妹の洋服を選んでいただけです」
「荷物持ちにちょうどいいと思わないか?」
大荷物のリーゼリットから品物を奪うシリウス。
「馬車を待っているだけですから。すぐに来ますから!」
大丈夫だから返せと、リーゼリットは手を伸ばす。
「じゃあ、ちょっとだけ荷物持ちするよ」
「結構だと言っているじゃないですか!」
――何なの、私の周りには強引な人しかいないの!?
リーゼリットは頭を抱えた。
「シリウス様、お姉様が嫌がっているじゃないですか。無理やり荷物を奪うのはどうかと思います」
黙って見ていたロザリアだが、我慢の限界だった。
――なんだこの男は。絶対に姉に気がある。
そもそもお姉様を「リーゼリット」などと呼び捨てにして、馴れ馴れしいったらない。
「嫌だったか?」
シリウスはリーゼリットを見る。
そうハッキリ聞かれると、正直言えば別に嫌ではない。
シリウスに会えたのも、普通に嬉しいと感じている自分がいた。
「まあ、どうしても私の荷物を持ちたいと言うならば、持たせてあげても良いわ」
リーゼリットは腕組みし、シリウスからバツが悪そうに顔を反らすのだった。
その姿に面白くないのはロザリアである。
――そもそもこの男は何なのだ。
前世ではいなかった男だ。
リーゼリットにどういう作用を与えるのか、全く検討がつかない。
そもそもリーゼリットは恋というものをハッキリ理解してはいなかったはず。
アークス王子をロザリアに奪われたと嫉妬に燃えたのも、ただアークス王子をロザリアに奪われたことに腹を立てていただけで、アークス王子に向けるリーゼリットの感情は「結婚しなければいけない相手」という認識だった。
アークス王子を愛しているわけでは決してなかったのだ。
しかし、今のリーゼリットの様子はどうだろうか。
無自覚であろうが、シリウス王子にほんのり心を開いている素振りがある。
本当に許せない。
――ポッと出のモブみたいな男に姉を奪われてたまるか!
内心、燃えたぎるロザリアである。
そんなロザリアの敵意むき出しの視線に、シリウスは気づいていて居た堪れない。
リーゼリットの妹はとんでもなくシスコンであると分かるが、これは異常すぎる。
正直怖すぎて、リーゼリットが心配なシリウスだ。
「お姉様、馬車が来ましたよ」
やっと呼んだ馬車が来た。
「シリウス様、ありがとうございました」
シリウスにお礼を言うリーゼリット。
「僕のリーゼ、会いたかったよ!!!」
馬車から飛び降りて抱きついてくるのは、アークス王子である。
驚いて尻もちをつきそうになったリーゼリットを支えたのは、荷物持ちのシリウスだ。
荷物をちゃんと持ちつつリーゼリットも支えている。
しかもアークス王子が抱きついてきているので、その重みもあるだろうが、びくともしなかった。
――さすがに護衛をつけずに気軽に出歩くだけのことはあるわ。
思わず感心してしまうリーゼリットだ。
「アークス王子! なぜここにいるんですか!」
ロザリアはすぐにリーゼリットからアークスを引き離す。
「城から望遠鏡で見てたら、僕のリーゼがシリウス王子にナンパされているじゃないか。居ても立ってもいられないよ!」
「なるほど、お姉様のストーカーをしていたところ、ナンパを目撃したと?」
プンプン怒るアークス王子に、腕組みするロザリアである。
しかし、ロザリアは何故こんなにもアークス王子に強気で辛辣なのか。
リーゼリットにはサッパリだった。
「姉様も怒ってください! 絶対この人、お姉様の入浴シーンとかも覗き見してますよ望遠鏡で!」
「えっ!?」
リーゼリットは顔を真っ赤にしてしまう。
「そんな紳士じゃないことしないさ!」
心外だと、怒るアークス。
「どうだか。紳士はストーカーしないと思いますけどね」
ロザリアもプンプンだ。
「そんなことより、シリウス王子、リーゼは僕の婚約者だよ? ナンパするのはやめてほしいね?」
アークスはシリウスに視線を向けた。
シリウスは無言でアークスを睨み返す。
「誤解ですよ、王子。シリウス様は荷物持ちをしてくださっただけで、どちらかと言えば友人のような関係です」
慌てて弁明するリーゼリットだ。
――シリウス様も自分をナンパしたなどと誤解されては不快であろう。
なぜ自分で弁明しないのかしら。
「そうなんだね。じゃあこの四人でダブルデートしようじゃないか!」
なぜか三人の肩を組むアークス。
もはや何を言っているのか、ずっとサッパリである。
リーゼリットは不思議の世界に迷い込んだ気持ちだった。