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第16話

 三人の声が遠ざかり、リーゼリットの意識は闇の底へと沈んでいく。

 だが、それは安らかな昏睡ではなかった。

 意識の淵で、熱と苦しみが襲う。

 前世で炎に包まれたあの日の感覚が、皮膚を焼き、肺を炙る。


 ――まただ。

 またこの苦しみが、私を苦しめる……。


 幻覚の中で、修道院の燃え盛る炎が見えた。

 自分を責める人々の声が聞こえる。

 そして、煤けた天井が崩れ落ちる音。


 「リーゼリット!」


 その時、幻覚の向こうから、切羽詰まったシリウスの声が響いた。


 「しっかりしろ! リーゼ!」


 アークスの焦った声も。


 「お姉様! 死なないで!」


 ロザリアの泣き叫ぶ声も聞こえる。

 彼らの声は、炎の熱を打ち消すかのように、リーゼリットの意識に食い込んできた。


 リーゼリットは、薄く目を開けた。そこは図書室の暗闇ではない。

 豪華な装飾が施された天井。白いシーツ。

 どうやら、誰かの部屋のベッドに寝かされているようだった。

 額には冷たいタオルが乗せられている。

 ぼんやりとした視界の中で、最初に飛び込んできたのは、心配そうに顔を覗き込むロザリアの顔だった。

 目元は赤く腫れている。


「お姉様! 目を覚ましたのですね! よかった……!また私を置いて死んでしまわれるのかと心配しましたよ!」


 ロザリアはリーゼリットの手を握りしめ、安堵の涙を流した。

 その隣には、アークス王子とシリウス王子が、やはり心配そうな顔で立っていた。


「リーゼ、本当に心配したんだよ! 君が急に倒れるから……」


 アークスがリーゼリットの手の甲を撫でる。

 その必死な様子に、リーゼリットは少しだけ心が揺れた。


「リーゼリット、何か苦しいところはないか?」


 シリウスが冷静に問いかける。彼の顔には疲労の色が見えた。


「大丈夫……。ここは?」


 リーゼリットは掠れた声で尋ねた。


「ここは、僕の部屋だよ。君を連れ帰ったんだ」


 アークスが誇らしげに言った。

 ロザリアが不満そうに彼を睨む。


「勝手に連れてくるなんて、変態行為ですわよ、アークス王子! 私が連れて帰ろうとしたのに!」


「僕の方が早かったんだ! リーゼは僕の婚約者だから当然だ! それに君の家にはあの継母も帰ってくるだろう。危険すぎる」


「私は別邸に連れて行くつもりでした!」


 二人の言い争いに、リーゼリットはまたしても頭痛を覚えた。

 しかし、二人とも私を思って動いてくれたのよね。

 彼らが自分のために必死になってくれたことが、温かく感じられた。


「お姉様、あの後、お母様が更に酷いことを言っていました……! お姉様は悪役令嬢で、修道院に入れるべきだとか……!その証拠にアークス王子が居ながらシリウス王子にまで色目を使うアバズレ女だとか、魔女と手を組んで悪さを企てているだのと。私の母親ながら、本当に頭がおかしいのですわ」


 ロザリアが悔しそうに顔を歪める。

 リーゼリットの表情が再び暗くなった。


 やはり、運命は変わらないのね。


 それも以前より酷い濡れ衣まみれである。


 ――最悪だ……。


「大丈夫だ、リーゼリット。誰も君を修道院になどやらせないからな。この国がそうするならば、俺は君を無理やりでも俺の国に連れて帰るつもりだ」


 シリウスが静かに言った。彼の声には、確固たる意志が込められていた。


「しかし、君に濡れ衣をきせたままにはしておけない。エルシー侯爵夫人の企みは、すべて俺が暴いてやるからな!」


 シリウスの言葉に、アークスとロザリアも頷く。


「シリウス王子だけではありません。私もお母様の嘘を必ず暴いて白日の下に晒してみせますわ!」

「もちろん、僕も全力でエルシーの悪事を露見させてやるさ!シリウス王子の国に連れて行かれる必要なんて無いからね!」


 シリウスに続いて意気込むロザリアとアークスだ。

 リーゼリットは驚いてシリウスを見つめた。


「お母様はどうしてこんな事を……」


 リーゼリットにはエルシーの行動理由が解らなかった。いや、わかりたく無かったのだろう。


「君を貶める為に他ならないだろう。侯爵家の次期当主発表、そしてアークス王子との婚約変更。それから、あの捏造された写真。全て、彼女の周到な計画だ」


 シリウスはバッサリと言い切る。


「君の父上、前侯爵は、亡くなる前に遺言を残していた。本来なら、君が侯爵家を継ぐはずだった。だが、エルシー夫人はそれを隠蔽し、当主の座を奪った。それに、あの息子だと言うエリオットも怪しいものだ」


 リーゼリットは息を呑んだ。


 ――まさか、息子まで偽装したの?


「ああ、僕は君の父親とも親しくしていたが、三年前は君の母親が亡くなったばかりで、君の父親が他の女性に手を出せるような心境じゃなかったはずだよ。侯爵は君と元夫人を深く愛していたからね。僕が保証する。そもそも僕もおかしいとは思ったんだ。君の父上が遺言も残してないなんてね。あの時、僕が徹底的に調べていれば……」


 そうアークス王子は『クッ』と、悔しそうに拳を握った。


「あの写真も恐らくメイドに撮らせたものですわ。口八丁でメイドを丸め込んだのね。本当に悪女とはお母様のことを言うんでしょうね。でも大丈夫ですよ、お姉様。おそらく前後も撮影しているはず。そのネガさえ押さえれば証拠になりますわ」


 ロザリアは自分の母親の悪事を暴いてでもリーゼリットを助けたいという意思を全面に押し出している。

 母親が国民を騙そうとした悪人となってしまえば、ロザリアもただでは済まないだろう。


 それなのに……。


 リーゼリットは感動してロザリアを見つめる。


「ああん、お姉様、そんなに見つめられると照れますわ」


 ウフフっと、照れるロザリア。

 リーゼリットはすぐに視線を外した。

 ――後半は見なかったことにしよう。


「エルシーは君が侯爵家の権威を取り戻そうとすると厄介だから、先に悪評を広め、完全に孤立させようとしたのだろう。そして、アークス王子との婚約をロザリア嬢に押し付け、侯爵家と王家との繋がりも手に入れようとした。一石三鳥だ」


 シリウスは真剣な面持ちでエルシーの企みを推理する。

 リーゼリットの胸が傷んだ。

 エルシーの冷酷すぎる企みに凍える。


 ――自分は少なくともエルシーを新しい母親として、新しい家族として見ていた。

 父が亡くなった時だってそうだ。

 一人なら耐えられなかった。

 でも、エルシーとロザリアが居たから耐えられた。

 そう思っていたのに……。


 エルシーにとって、私は邪魔者でしかなかったのね。

 父と結婚したのも、始めから侯爵家を乗っ取るつもりだったのかしら。

 既に病気だと分かっていた父と結婚してくれるなんて、優しい人なのだと思ったのに。


 リーゼリットは裏切られた気持ちでいっぱいである。


 ――前世でも、エルシーは同じことを企んでいたのかもしれない。

 しかし、エルシーが決行する前にアークス王子がロザリアに一目惚れしたから、やらなくて良くなったのね。


「僕とリーゼの婚約は、王家の承認を得たものだ! それを勝手にロザリアに変更するなど、本来許されない。僕も許さない! ロザリアと結婚なんて二度と嫌だ!!」


 アークス王子は怪訝な表情を見せる。


 ――二度ととはどういう意味だろうか?


 おままごととか?

 まさか、ロザリアとアークス王子は幼馴染とか、激アツ展開があったりするのかしら?


 リーゼリットは勝手にワクワクしてしまう。


 でもあれ?

 ロザリアも「また私を置いて死……」って言ってなかった?


 まさか、アークス王子とロザリアも前世の記憶があるのかしら?


 まさかね。

 前世の記憶があったら尚更私の事を嫌っているはずだし。

 こんな変な展開になったりしないわ。


「この件は、僕が王家に報告する。エルシー侯爵夫人の悪事は、必ず裁かれるだろう」


 アークス王子の言葉には、揺るぎない自信が満ちていた。


「ああ、俺の方でも探りを入れる。隠密は我が国の専売特許みたいなところがあるからな。任せろ」


 リーゼリットは、シリウスの顔を見上げた。

 彼の瞳には、これまで見たことのない、強い光が宿っていた。


 アークス王子も、ロザリアも誰一人リーゼリットを疑っているものは居ない。

 みんな、私を助けようとしてくれている。

 リーゼリットは三人の強い意志を感じた。


 ――本当にこの運命を打ち破ってくれるかもしれない。


 リーゼリットの心に、これまでになく、確かな希望の光が灯った。


 私も、弱気ではいけないわ。

 こうなったらやってやるんだから!


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