夜が更けた頃、シリウス王子が戻ってきた。
リーゼリットはまだエルシーの真実にショックを受けた状態から落ち着かず、寝て起きたと言うのに身体は重く、頭は霧がかかったようにぼーっとしてしまっていた。
彼の表情もまた、どこか疲れているように見えた。
「ヴィヴィアンの居場所は突き止めた。だが、彼女は……」
シリウスは言葉を切った。リーゼリットの胸に、嫌な予感がよぎる。
「彼女は、どうしたの?」
「自ら、姿をくらましたそうだ。俺の隠密部隊でも追えなかった。痕跡を完全に消されて。まるで、初めから存在しなかったかのように……」
シリウスは苦々しげに言った。
「王家の隠密部隊を動かしたのですか!?」
シリウスがアークスに注意していたはずだが、大丈夫なのだろうか。
「隣国の王家だからこそ、こちらが動いたと勘付かれる心配も低い。それに、我が国の隠密は並じゃない。煙だって立てないさ」
シリウスは自信満々である。
「それでも逃がしたのですね?」
「うむ、並の魔女じゃないな」
シリウスとリーゼリットはがっかりした。
まあ、ヴィヴィアンに関しては、敵なのか味方なのか分からないし、なんなら何がしたいのかも、その行動理由すら分からない。と言うか、あの人はただ楽しいだけで動いている可能性の方が高いだろう。
「冗談ですよ。シリウス王子、隠密まで動かして調べてくれたことを感謝します」
リーゼリットは笑顔を浮かべた。
「待て、話を最後まで聞け。魔女は最後に一つ、謎のメッセージを残していた。『未来は、貴女が掴むもの。全ての真実が明るみに出た時、貴女の望みが叶うでしょう』と……」
シリウスの言葉に、リーゼリットは首を傾げた。
ヴィヴィアンの言葉はいつも抽象的で、真意を掴みかねる。
しかし、「未来は貴女が掴むもの」という言葉は、リーゼリットの心に強く響いた。
――私は、何を掴めるのかしら。
平穏に過ごせる未来?
今はドタバタだけど、これが終わったら平穏に過ごせる未来が待っているの?
「俺にもよく分からないが、全ての真実を明るみにしよう。俺がついてるからな!」
シリウスはリーゼリットを慰めるように手を強く握った。
未来は分からないが、少なくとも、今、シリウスと話をしたことで、リーゼリットの胸の痛みは和らぎ、頭にかかった霧は晴れた気がする。
そして、心が和らぐのを感じるのだった。
それからシリウスはリーゼリットが再び眠りにつくまで話し相手となってくれた。
「リーゼリットの夢は決まったのか?」
「そうね。まだ考え中よ」
「この件が片付いたら一緒に街へ行こう。いろんな仕事を見たら、やりたいのが見つかるんじゃないか?」
「そうね。その時はまたロザリアとアークス王子も誘いましょうね」
「え? あ、ああ、そうだな」
シリウスはリーゼリットをデートに誘ったつもりであったが、無邪気な様子のリーゼリットに困ってしまう。
「その時はまたあの庶民の食堂でお子様ランチを食べたいわ! 今回のお礼にみんなに奢らせてね!」
「ああ、そうだな。今度は庶民の喫茶店でも良いな」
「喫茶店って何ですか?」
「紅茶とケーキとか、デザートを食べたり、オムライスやパスタを食べたりできるんだ。お子様ランチもあるんじゃないか?」
「それは食堂とは違うのですか?」
「うーん、食堂は食事をするところで、喫茶店は会話を楽しむ所だろうか?」
「楽しそうですね! 喫茶店、行ってみたいです!」
「ああ、喫茶店に行こう」
シリウス王子との話で、リーゼリットの心は一層明るくなった。
ヴィヴィアンの言葉は謎めいていたけれど、「未来は貴女が掴むもの」というメッセージは、彼女の心に確かな希望の光を灯した。
今はまだ、平穏な未来が待っているのか分からないけれど、シリウスが隣にいてくれる安心感は大きかった。
その夜は、シリウスのお陰でリーゼリットはよく眠ることができた。
翌日。
リーゼリットは良く眠れたことで体調も良かった。アークス王子とシリウス王子、そしてロザリアを呼び、これまでの情報と、エルシーへの反撃計画を共有することにした。
「ネガが見つかったのか! やるな!」
アークス王子は目を輝かせた。
「これで、エルシー侯爵夫人の悪事を、公の場で糾弾する準備が整ったな」
シリウス王子も満足そうに頷いた。
「憎きエルシーに『お母様、お母様』と敵意のない振りをして言いなりに動くのは苦痛でしかありませんでしたけどね」
ロザリアはフフンと、得意げに手に入れたネガで現像した写真を見せる。もう、エルシーを母と呼ぶ気にはなれないようだ。
ロザリアが並べた写真には、リーゼリットがロザリアから雑巾を奪い、ハンナに渡す場面や、リーゼリットの後ろ姿にうっとりと目を輝かせるロザリア、そしてロザリアに粗末な服を着せようとするメイドを叱り、綺麗な服を着せる姿など、リーゼリットに懐いている姿が写された写真が、時間入りで並ぶ。
そして極めつけになりそうなのが、リーゼリットがロザリアに王室からの招待状を渡す場面と、リーゼリットがデザインし、作らせたドレスをロザリアに着せる写真、そして、ロザリアの髪をブラッシングする写真である。
どれもロザリアがリーゼリットに向ける表情は、いじめられている妹の表情ではなかった。
どちらかというと、愛しい最愛の推しを見つめる、信仰に近いものを感じる表情をしていた。
「ロザリアはどうしてこんな表情で私を見ているの?」
「それはお姉様を愛しているからですわ! お母様が写真を撮ってくれたのが良かったのは、この写真が私の宝物になることです!」
ロザリアは沢山の写真を大事そうに抱きしめる。
「ロザリアがシスコン過ぎて怖いというのは置いておいて、見直したよ」
その場にいる三人はちょっと引きつつも、アークスはロザリアを褒める。
「アークス王子には見直していただかなくて結構ですが、この写真をチラつかせたことでエルシー側のメイドも私に付いてくれましたわ。エルシーにさせられていたことだと証言してくれます」
相変わらずアークス王子には塩対応すぎるロザリアだが、有能すぎる妹である。
「ロザリア、あなた、天才なのね!」
素直に感動して褒めるリーゼリット。
「お姉様、お褒めいただきありがとうございます。ロザリアはお姉様のためならなんだってするんですよ!」
ロザリアのリーゼリットへの愛は激重である。
「それで、いつ、どのようにして発表するか、だな」
シリウスが問いかけると、三人の間に短い沈黙が流れた。
「公爵主催の舞踏会がある。それが一番良いと思う」
アークスが提案した。
「公爵主催の舞踏会?」
リーゼリットは聞き返す。
公爵家は王家に次ぐ有力な家柄で、その舞踏会には多くの貴族が集まる。
エルシーの悪事を暴くには最適の場だろう。
「ああ。公爵は、エルシー侯爵夫人とはあまり良い関係ではない。彼女が侯爵家の当主の座を奪ったことに、不快感を抱いていると聞いている。もし公爵が味方になってくれれば、我々の立場はより強固なものとなるだろう」
アークスの言葉に、リーゼリットは納得した。公爵の協力を得られれば、反撃はさらに確実なものになる。
「でも、公爵を味方につけるにはどうすれば……?」
ロザリアが尋ねた。
「公爵とは個人的な親交もある。彼に直接会いに行き、状況を説明してみようと思う」
アークス王子は力強く言った。
彼の表情には、リーゼリットを救うという固い決意が宿っていた。
「僕が公爵を説得し、公爵主催の舞踏会の場で、エルシーの悪事を暴く手筈を整える。リーゼリット、君はその場で、真実を語る準備をしてほしい」
アークス王子はリーゼリットの手を握り、真剣な眼差しで言った。
「分かりました。私、やります」
リーゼリットは、その手を強く握り返した。
もはや、前世の恐怖に怯える自分はいなかった。大切な仲間たちがいる。
そして、守るべき父の尊厳がある。
「ロザリア、君は侯爵邸に戻り、エルシー夫人を油断させ続けるんだ。そして、舞踏会の直前まで、ネガが見つかったことを悟られないように細心の注意を払ってくれ」
シリウス王子がロザリアに指示を出した。
「承知しておりますわ! お姉様のためなら、ドブ川にでも飛び込めます!」
ロザリアは目を輝かせ、すぐに侯爵邸へ戻っていった。
それぞれの役割が明確になり、反撃の歯車が回り始める。
リーゼリットの心は、緊張と、しかし確かな希望に満たされていた。