反撃の歯車が回り始めて数日後、リーゼリットはアークス王子から、公爵が協力を承諾したとの報せを受け取った。
公爵はエルシー侯爵夫人の行動に元々不快感を抱いていたため、アークスの説得はスムーズに進んだという。
舞踏会でエルシーの悪事を暴く計画は、着々と進行していた。
そして舞踏会当日、リーゼリットはアークス王子のエスコートで会場へと足を踏み入れた。
きらびやかなシャンデリアの光が、豪華な貴族たちの装いを照らし出す。
会場の喧騒と華やかさとは裏腹に、リーゼリットの胸中は静かな緊張感に包まれていた。
あんなに恐ろしく、避けたかった光景なのに、今はアークス王子が隣にいる。
そしてシリウス王子、ロザリアも自分の味方をしてくれている。
そう考えると、不思議と恐ろしさは感じなかった。
エルシーが会場の一角で貴婦人たちと談笑しているのが見えた。
その隣にはロザリアが控えめに立っており、表面上は穏やかに微笑んでいる。
ロザリアは見事な演技でエルシーを油断させているようだった。
エルシーがこちらに視線を向けてくるのが分かった。
その表情や口の動きから、何やら悪口を言われているだろうと察する。
彼女の取り巻きも、こちらに嫌な視線を向けてエルシーの言葉に共感している素振りを見せていた。
それでもリーゼリットはもう怯まない。ただ、静かにその時を待つだけだった。
やがて、アークス王子が公爵と共に会場の中央へと進み出た。
公爵がその手に持つ杖で床をコン、コンと二度叩くと、会場を埋め尽くしていたざわめきが瞬く間に静まり返った。
全ての貴族の視線が、中央に立つ公爵へと注がれる。
公爵の隣には、アークス王子とシリウス王子も並び立っていた。
三人がリーゼリットの味方であることを、公衆の面前で示している。
「皆様、本日はようこそおいでくださいました。さて、本日、皆様にご報告がございます」
公爵の重厚な声が、会場に響き渡った。
その言葉と公爵の刺すような視線に、エルシーの顔にわずかな動揺が走るのがリーゼリットにも見て取れた。
公爵は一呼吸置いて、言葉を続けた。
「本日、この場で、グラナート侯爵家の現当主であるエルシー・フォン・グラナート侯爵夫人の、重大な不正を糾弾いたします!」
アークス王子の声が、会場に響き渡った。
その言葉に、会場は瞬時にして水を打ったように静まり返る。
エルシーの顔から、血の気が引いていくのが見て取れた。
彼女の隣にいたロザリアは、一瞬だけリーゼリットに視線を送り、静かに頷いた。
リーゼリットは、深く息を吸い込んだ。
今、全てを終わらせる時が来たのだ。
「エルシー・フォン・グラナート侯爵夫人!」
公爵が厳かにエルシーの名を呼んだ。エルシーは顔を青ざめさせながらも、かろうじて気丈に振る舞おうと足を踏み出した。
「な、何のことでございましょうか? 不正など、私には一切……」
エルシーの声は動揺を隠しきれず、震えていた。
その視線は公爵とアークス王子の間を泳ぎ、最後にリーゼリットへと向けられた。
リーゼリットは、真っ直ぐにエルシーを見据え返した。
「一つ、貴女は前侯爵の遺言を隠蔽し、正当な後継者であるリーゼリット嬢から、侯爵家の当主の座を奪い取った。侯爵は三年前に子を成す能力を失っており、貴女の息子エリオットは侯爵の実子ではない!」
アークス王子が、第一の告発を行った。
会場はざわめきに包まれる。
貴族たちは囁き合い、エルシーに疑惑の目を向けた。
エリオットの出生の秘密は、侯爵家にとって最大の恥となるだろう。
「馬鹿なことを! エリオットは確かに侯爵の子です! 証拠もなしに、そのようなデマを!」
エルシーが血相を変えて叫んだ。その声は会場中に響き渡る。
「証拠なら、ここにあります」
シリウス王子が前に進み出た。彼の手に握られていたのは、侯爵の主治医や、当時の侍医たちの証言を記した書類だった。
それらは厳重な封が施されており、公爵がゆっくりとそれを開いて読み上げた。
「……侯爵は三年前に既に不治の病に侵されており、子を成す能力は失われていた。加えて、侯爵はその間、女性との交わりは一切なかったと、複数の侍医が証言している」
公爵の読み上げが終わると、会場のざわめきはさらに大きくなった。
貴族たちの間からは、「まさか」「そんなことが」という声が上がる。エルシーの顔は、最早真っ青を通り越し、土気色になっていた。
「そして、第二の告発だ。貴女は、リーゼリット嬢の信用を失墜させるため、卑劣な手段を用いてデマを流し、写真を捏造したな」
アークス王子が、再び声を張り上げた。その言葉に、エルシーは愕然とした表情を見せた。
「そ、そのような証拠はどこにも……!」
エルシーが必死に否定しようとした、その時だった。
「いいえ、ここにありますわ、お母様」
ロザリアが、エルシーの隣から静かに一歩前に出た。
彼女の手に握られていたのは、幾枚もの写真。
そして、その写真のネガが収められた小さな木箱だった。
ロザリアはエルシーに微笑みかけ、だがその瞳は冷たく、一切の感情を宿していなかった。
「これらの写真は、貴女がメイド達に命じて撮らせたものでしょう? そして、これは、その全てのネガですわ」
ロザリアは、ネガの木箱を公爵に差し出した。公爵は受け取ると、その中身を会場の貴族たちに見せるように高く掲げた。
「ロザリア! 何をするつもり!? この母を裏切るの?」
エルシーが叫び、ロザリアに手を伸ばそうとした。だが、その腕はシリウス王子によって阻まれる。
「これらは、リーゼリット嬢がロザリア嬢を虐げているかのように見せかけた写真のネガ。しかし、実際は、リーゼリット嬢がロザリア嬢に優しく接している場面を、悪意を持って切り取ったものです」
シリウス王子が冷静に説明した。
会場の貴族たちは、ネガとロザリアの表情を見て、騒然とする。
ロザリアがリーゼリットに抱きつく写真、リーゼリットがロザリアの髪を梳かす写真、そして何より、ロザリアがリーゼリットを見上げる、純粋な憧れに満ちた表情の写真。それらは、エルシーが主張する「悪役令嬢リーゼリット」の姿とは、全くかけ離れていた。
「証人もおります」
ロザリアは、メイド長のアンナを呼んだ。
「リーゼリットお姉様は私をいじめていましたか?」
「いえ、どちらかと言えばロザリア様を虐げていたのはエルシー様でした。リーゼリット様はよくそれを止めようとしておいででした。他のメイドからの報告書もこちらにありますが、みんな同じ意見です」
そう、アンナも堂々と証言してくれた。そして、他のメイドからの証言をまとめた用紙をアークスに渡す。
「その他にも、彼女がリーゼリットを陥れようと発言した言葉は全て妄言であると言える証拠を我々は掴んでいる。どうだ? エルシー。申し開きがあるなら、申してみよ」
エルシーは、真っ白な顔でその場に立ち尽くしていた。全てが終わったことを悟ったかのように、彼女の体から力が抜けていく。
「無いようだな。最後に、リーゼリット嬢本人から、皆様に直接お伝えしたいことがあると申しております」
公爵がそう言うと、会場の全ての視線がリーゼリットへと向けられた。
リーゼリットは、これまで感じたことのないほど、心が強く、研ぎ澄まされているのを感じた。
彼女は一歩、前に踏み出した。