馬車に揺られ、リーゼリットは広大な侯爵領の景色を眺めていた。
道中、彼女の目には、父が心血を注いだと聞いていた領地の荒廃ぶりが痛いほどに映し出される。
畑は手入れが行き届かず痩せ細り、村々は活気を失い、人々の顔には疲労と諦めが浮かんでいた。
エルシーの親族たちが、いかに領地を食い物にしてきたか、その実態を目の当たりにし、リーゼリットは怒りに震えた。
「これは……想像以上だわ」
彼女は小さく呟いた。
護衛の騎士たちも、沈痛な面持ちでその光景を見つめている。
特にひどかったのは、侯爵領の北西に位置する穀倉地帯だった。
かつては豊かな収穫を誇った土地が、今では見る影もなく荒れ果てている。
そこでリーゼリットは、明らかに飢えに苦しむ子供たちを何人も見かけた。
彼らの痩せ細った体と、空虚な瞳は、リーゼリットの心を深くえぐった。
その夜、宿泊先の小さな宿屋で、リーゼリットは深い溜息をついた。
今日一日見た光景が、脳裏に焼き付いて離れない。
この惨状を目の当たりにし、侯爵家を立て直すことの重責を改めて痛感した。
「どうか、気を落とされませんよう」
護衛の騎士の一人が、そう声をかけてきた。
「いえ、落としてはなりませんね。私が、この領地を、民を救わねば」
リーゼリットは自らに言い聞かせるように呟いた。
その日の夕食中、宿屋の女将が困った顔で話しかけてきた。
「奥様方、申し訳ございませんが、今夜はお早めにお休みください。最近、このあたりで盗賊が出没しまして。特に女性が一人でいると危ない、と噂になっております」
盗賊。エルシーの親族たちの仕業だろうか? あるいは、領地の困窮が原因で、民がやむなく手を出しているのか。
どちらにせよ、事態は想像以上に深刻だった。
夜が更け、リーゼリットはなかなか寝付けずにいた。
昼間の光景と、盗賊の噂が頭から離れない。
ふと、窓の外に目をやると、闇の中に複数の人影が動いているのが見えた。
彼らは宿屋を取り囲むように、静かに近づいてくる。
「っ……!」
リーゼリットは即座に護衛を呼ぼうとしたが、時すでに遅し。
宿屋の戸が蹴破られ、屈強な男たちがなだれ込んできた。
彼らは顔を布で覆い、手には得物を持っている。紛れもない盗賊だ。
「金目のものを出せ! さもなくば命はないぞ!」
怒号が響き渡り、宿屋は一瞬にして修羅場と化した。
「リーゼリット様!!」
護衛の騎士たちも気づいて部屋に飛び込んでくる。
応戦するが、相手は数が多い。
あっという間に乱闘となり、宿屋の従業員や他の宿泊客が悲鳴を上げる。
リーゼリットはとっさに身を隠そうとしたが、一人の盗賊が彼女に気づき、大股で近づいてくる。
「おっと、こんなところに品の良いお嬢さんがいるじゃねえか。ちょうどいい、お前も連れていくぞ!」
盗賊の手が、リーゼリットの腕を掴もうと伸びてきた。
「やめて!」
その手がリーゼリットに触れようとした瞬間、彼女の頭の中に、甲高い不協和音のような声が響き渡った。
同時に、脳裏に一瞬だけ、盗賊たちの行動が未来視のように鮮明に浮かび上がる。
男が腕を掴み、別の男が背後から回り込み、そして…
リーゼリットは、とっさに身をひねり、男の手をかわした。
そして、無意識のうちに、自分の周囲に微かな風の渦が生じるのを感じた。
それはほんの一瞬の出来事だったが、盗賊はバランスを崩し、よろめいた。
「な、なんだ!?」
盗賊が戸惑いの声を上げたその隙に、護衛の騎士が間に入り、リーゼリットをかばった。
「リーゼリット様、ご無事ですか!」
騎士の問いかけに、リーゼリットは呼吸を整えながら頷いた。
彼女の心臓は激しく脈打っていたが、それは恐怖だけではなかった。
今、自分に何が起こったのか、その正体不明の力に、戸惑いを覚える。
――今のはなに?
しかし、リーゼリットには戸惑っている時間は無かった。
戦闘はさらに激化していく。
護衛の騎士たちが奮戦するものの、盗賊たちの連携は想像以上に巧妙だった。
状況は刻一刻と不利になり、リーゼリットは再び危機に瀕する。
その時だった。
宿屋の外から、けたたましい馬の蹄の音が響いてきた。そして、剣戟の音と共に、聞き慣れた声が響き渡る。
「リーゼリットは無事か!?」
それは、シリウス王子の声だった。
「シリウス!? 私はここよ!」
咄嗟にシリウスに助けを求める声を上げるリーゼリット。
「リーゼリット!」
窓から部屋に入ってきたシリウスはリーゼリットに気づく。
敵を拳と蹴りで打ち倒し、リーゼリットに駆け寄った。
「無事か!? 怪我は!?」
「大丈夫」
リーゼリットに手を伸ばすシリウスに安堵したリーゼリットは、その手を握りしめた。
「計画通りに排除するぞ! 決して逃がすな!」
シリウス王子は援軍を率いて駆けつけてくれたのだ。
シリウス軍の突然の介入に、盗賊たちは一瞬ひるんだ。
しかし、リーゼリットの直感は、彼らがただの盗賊ではないと告げていた。
彼らの動きは統率が取れており、まるで軍隊のようだ。
乱戦の中、リーゼリットは再び意識が引き込まれるような感覚に襲われた。
今度は、盗賊たちの会話の断片が頭の中に直接流れ込んでくる。
「……リーゼリットの命を狙え……指示だ……」「魔女の血は……覚醒を阻止しろ……」
リーゼリットはハッと目を見開いた。
やはり、彼らはただの盗賊ではない。
私の命を狙っている。
しかし、魔女の血とは何なのだろうか?
彼女はまだ、その言葉の意味を理解できていなかった。
この戦いは、単なる盗賊との遭遇ではないようだ。
これは、リーゼリットの存在、そして彼女の内に秘められた謎を巡る、本格的な戦いの幕開けだった。