そこは書斎だった。何の変哲もない机に見えるが、傷のような物があり、ずらすと動く仕組みになっていた。
そして、数字を打ち込むボタンが現れる。
『私が最も愛する者』
そう、ヒントが書かれていた。父の字だ。
「リーゼリット様、何か心当たりのある数字を」
そう兵士に言われて考える。
「そうね、母の誕生日かしら、3月3日だけど」
0303と打ち込む。しかし、何の変化もなかった。
「おかしいわね。じゃあ、私の誕生? 6月6日よ」
「リーゼリット、君の誕生日は6月6日だったのか! なぜ言わなかった!!」
「それどころじゃなかったの」
リーゼリットの誕生日は既に過ぎてしまっていた。
嘆くシリウス。しかし、今はそれどころではない。
0606と押すが、なんの異変もなかった。
「もう、何なのよ!!」
イライラしてくるリーゼリット。
まさか愛人がいたなんてことないわよね!?
念のためにエルシーの誕生日も入れてみる。動かなくて良かった。
ロザリアの誕生日も違う。
「足してみましょうか」
「そうね」
0909を入れてみる。駄目だ。
「もう、本当になんなの!?」
「引いてみたらどうだ?」
「馬鹿ね。引いても0303よ!」
「そうだな」
イライラしてしまうリーゼリットと、ハハッと苦笑するシリウス。
おそらく、シリウスは和ませようと冗談を言ってみせたのだろう。
「そうね、お父様は変なところで捻くれたところのある人だったわね。間をとってみましょう。0502ね」
そういえば5月2日に母と私の誕生日間記念日とか言っていたっけ。
0502で、カチャリと音が聞こえ、床が盛大に開いていく。
地下へと続く階段が現れた。
リーゼリットとシリウス、隠密部隊は息を呑みつつ、暗い階段を降りていく。
地下に降りると、そこには広い空間があった。
「電気も通っているな」
シリウスが部屋の電気を見つけてつける。
ここも書斎のようだ。机に置かれている書類を見るに、亡き父の字だった。懐かしい。
その色褪せた書類の山の中に、ふと、一枚の古地図が目に留まった。
「これは?」
手にとって広げると、そこには侯爵領の北に位置する地図のようだ。小さな赤い印がある。
――修道院……。
こんな所にも修道院があるの?
知らなかった。
ここは、断崖でなかなか人が近づけない場所である。
リーゼリットも行ったことの無い場所だ。
前世で自分が送られた修道院は、断崖絶壁にあり、周りを海に囲まれたまさに孤島であった。
記憶の中の火事の光景が、不意に脳裏をよぎる。
「リーゼリット、顔色がよくない。大丈夫か?」
シリウスが心配して、リーゼリットに声をかけた。
「大丈夫よ。それよりこれ」
そう、シリウスにも地図を見せた。
なぜ、父は修道院を印したのだろう。
この地図を何のために?
リーゼリットの胸には、拭いきれない疑問が渦巻いていた。
シリウスはその地図を慎重に広げ、赤い印がつけられた場所に目を凝らした。
「この場所は……『嘆きの修道院』か。廃墟になっていると聞くが、こんな詳細な地図が残されているとはな」
シリウスの声には、かすかな緊張が混じっていた。
「嘆きの修道院……」
リーゼリットは、その名前に覚えがなかった。
「噂では、古くから王家や有力貴族の血筋に現れる**『魔女の血』**を持つ者たちが、ひっそりと隠棲させられていた場所だと言われている。彼らは、その力を公にすることが許されず、秘匿されていたそうだ」
シリウスの言葉に、リーゼリットの心臓が大きく跳ねた。
昨夜、盗賊が口にした「魔女の血」。そして、自分が体験した、あの不可解な現象。
全てが、この修道院と繋がっている?
「父は、このことを知っていたのでしょうか……」
リーゼリットは震える声で尋ねた。
シリウスは沈黙し、地図の印を指でなぞる。
「その可能性は高い。この要塞、そしてこの隠し書斎の存在自体が、君の父上が何かを秘密裏に調べていた証拠だろう。彼はきっと、君に流れる血のことを知っていたのだろうな。そして、助けたかったのだろう」
その言葉に、リーゼリットは目を見開いた。
父が、自分を守ろうとしていた。
そのために、密かにこんな場所を作り、秘密を調べていたのだとしたら……。
父の深い愛情と、知られざる苦悩が胸に迫り、リーゼリットの目頭が熱くなる。
シリウスは、地図の隣に置かれていた、一冊の古びた手記に気づいた。
表紙には、見慣れた父の筆跡で、小さく『嘆きの記録』と記されている。
リーゼリットが手に取ろうとすると、シリウスが先にそれを手に取った。
「これは……君の父上の手記だな。中に何か、手がかりがあるかもしれない」
シリウスが手記を開くと、そこには几帳面な字で、修道院に関する調査記録や、不穏な組織についての考察が綴られていた。
そして、あるページで、リーゼリットの目が釘付けになった。
そこには、彼女自身の名前が記されており、その横には、『覚醒の兆候』という言葉が、赤く強調されていたのだ。
リーゼリットの体は、再び微かに震え始めた。
父は、全てを知っていた。
そして、その『魔女の血』は、やはり自分の中に流れている……。
「やはり、君が狙われたのは、この『魔女の血』が理由だったんだな。そして、その覚醒を、彼らは恐れている」
シリウスの言葉は、冷たい真実を突きつけた。
リーゼリットは、自分が単なる侯爵令嬢ではない、危険な運命を背負った存在であることを、この父の隠し書斎で、はっきりと認識させられたのだった。
侯爵領の立て直しという目的は変わらないが、それに加えて、自身のルーツと、それを巡る巨大な陰謀に立ち向かわなければならないという、新たな使命が彼女の目の前に立ちはだかっていた。