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第7話 私たちの茶番は、もう終わりよ。

修司はその場に固まったまま、すぐには身を引かなかった。

一瞬、彼はかつての甘く優しい日々に浸り、雅子の腕の中に自ら溺れていく錯覚にとらわれていた。


「修司、あなたは私だけのものよ。」


ただ、雅子の唇から絞り出されたその言葉は、

まるで雷鳴のように、彼の意識を一気に現実へと引き戻した。


「未沙!」


修司は雅子を突き放し、慌てて湖を見渡した。

湖には誰もおらず、無人のボートだけが虚しく水面を漂っている。


「未沙!」


彼はかすれた声で叫び、狂ったように冷たい湖へ飛び込もうとした。

だがその時、湖のほとりに少し離れた場所に、ひとりの人が静かに立っていると気づいた。


それは彼女だった。

未沙だ。


全身びしょ濡れで、髪から水滴が落ちている。

だが、その瞳は冬の夜の湖のように静かで冷たい。

涙もなければ、感情の波もまったく見えない。


その瞬間、修司の張り詰めていた心が一気にほどけた。


取り繕うように、彼は未沙のもとへ駆け寄り、必死に平静を装いながら言い訳を始める。


「未沙、本当に心配したんだ……」

「さっきは……君が泳げると思って、先に雅子を助けてしまったんだ……」


話しながら、目は泳ぎ、引きつった笑みが口元に浮かぶ。


未沙は無言のまま彼を見つめた。

その視線は、修司の下手なごまかしを見透かし、真実だけを見据えている。


彼女ははっきりと覚えていた。

泳ぎを教えてくれたのは、良助だった。


修司?

彼女が泳げるかどうかさえ知らない彼が、とっさにそんな言い訳を口にするはずがない。


未沙はそれを指摘することもなく、

静かに背を向け、濡れて重いスカートの裾を持ち上げて、湖のほとりの小道を歩き出した。


一歩ごとに水の跡を残し、幽かな影のように遠ざかっていく。


その背中を見つめながら、修司の胸に言葉にできない恐怖が押し寄せた。

追いかけようとするが、近づき過ぎてボロが出るのが怖くて、躊躇してしまった。


「未沙……」


呼び止める声には、思わず慎重さがにじみ出ていた。


未沙は立ち止まったが、振り返らない。


「兄さん。」


呼びかけるその声は、妙に穏やかだった。

だが、その穏やかさの奥にあるものは、どんな平手打ちよりも痛烈に修司の胸を打った。


「私は一度死んで、ようやくわかったの。」


「泳げるだけじゃない。私は……」

未沙はゆっくりと振り返り、悟りきったかのような静かな眼差しで続けた。

「身を引くことも覚えたの。」


「私たちの茶番は、もう終わりよ。」


そう言い残し、未沙は迷いなくその場を去った。


修司は彼女が視界から消えるまでじっと見送るしかなかった。

胸が何度も強く打ち付けられるような痛みで、呼吸ができなくなる。


毛布を羽織った雅子がそっと寄り添い、不満そうに声を漏らす。


「未沙って、どうしてあんなふうになっちゃったの?」


修司は何も答えなかった。


冷たい風が湖面を吹き抜け、水面をさらに波立たせる。

彼の心の奥にも、不安の波紋が静かに広がっていった。


未沙はもう変わってしまった。

もう遺影の前で泣き明かし、薬に頼るだけの彼女ではない。


綿密に仕組まれたこの嘘も、いまや崩れかけている。


湖のほとり。


未沙は裸足のまま、重い足取りで歩き続けていた。

髪から落ちる水滴が、石畳に暗い跡を残す。


周囲の視線を気にもせず、彼女はひたすら両親の手がかりを探していた。


茶屋、屋台……

あらゆる場所を探し回ったが、見覚えのある姿はどこにもなかった。


「お父さん……お母さん……」


ひび割れた唇をわずかに動かし、目は必死に人混みを追いかける。

声を絞り出そうとしても、喉は枯れて言葉にならない。


「どこにいるの……」


手元には何もなく、携帯電話もすでに湖の底。

長椅子のそばで立ち尽くし、意を決して通りかかった着物姿の女性を呼び止めた。


「すみません、あの……電話を貸していただけませんか……」


女性は少し戸惑いながらも、携帯を差し出してくれた。


未沙の指先は震えたが、慣れた手つきで番号を押す。

呼び出し音が長く続いた後、ようやく通話がつながった。


「どなたですか?」


冷たい男性の声がした。


未沙は携帯を強く握りしめ、かすかに唇を震わせながら、ようやく小さな声を絞り出す。


「琉生……私よ。」


一瞬、電話の向こうが静まり返る。

次の瞬間、驚きと喜び、そして涙ぐむほどの声が爆発した。


「未沙? 本当に君なのか?!」


その声は、長い絶望の時を超え、ついに大切な人を取り戻した喜びに満ちていた。


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