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第16話 未沙を自分の妻として大事にしてほしい

車は清水家の邸宅前で停まった。未沙はシートベルトを外し、ドアを開けようとしたが、その前に修司の手がドアノブにかかった。


「未沙。」


彼女は動きを止めたが、振り返らなかった。


修司はそっと未沙の膝の上に置かれていた手に自分の手を重ね、抑えた声で語りかける。


「良助が死ぬ前に……お前のことを頼まれたんだ。」彼は未沙の横顔をじっと見つめ、その瞳には抑えきれない想いが宿っていた。


「兄さん、俺がいなくなったら未沙を頼む。寒がりだから気をつけてやってくれ。横向きで寝る癖がある。具合が悪くても薬はなかなか飲まないから、うまく宥めてやれって……」


喉が詰まるように、彼の声はますますかすれ、悲しみに沈んでいく。


「それから、『もし俺がいなくなったら、自分のことだと思って、未沙を自分の妻として大事にしてほしい』って……。」


その言葉には切実な想いが込められていた。


だが、言葉が終わるよりも早く、未沙は彼の手を静かに、だがはっきりと払いのけた。


彼女はゆっくりと顔を向け、修司の目を真っ直ぐに見返す。その瞳には冷たい嘲りが宿る。


「ずいぶん熱のこもった芝居ね。」


声は控えめながらも、氷のような言葉が修司の胸を刺した。


彼女はドアを開けて車を降り、一度も振り返らず、毅然とした背中を見せて去っていった。


修司はその場に立ち尽くし、未沙の凛とした背筋を見送りながら、心の中に渦巻く不安を抑えきれずにいた。


未沙が冷静であればあるほど、彼の心を締めつける不安は強くなるばかりだった。


清水家の玄関をくぐると、まるでスイッチが入ったかのように、人々が一斉に集まってきた。


「未沙、帰ってきたの?」


「おじさんとおばさんは大丈夫だったの?」


「検査の結果は? 怪我はなかった?」


「こんなひどい事件、絶対に許せない!」


誰よりも声高に心配してみせたのは、雅子だった。


ゆったりした部屋着に身を包み、髪を無造作に垂らしながらも、計算された焦りと不安を顔に浮かべて未沙の手を取る。手のひらは大げさに震えていた。


「未沙! 本当によかったわ! ご両親も無事で……私、ほんとに嬉しい!」涙ぐんだ目で、今にも泣きだしそうな様子を見せる。「昨日は一晩中眠れなかったの。ずっと心配して……」


未沙は淡々と「ええ」とだけ答え、手も引かず、何の応答も返さなかった。


「犯人はわかったの? 警察は何か手がかりを掴んでるの?」和子が食い入るように聞く。「こんなこと、絶対許しちゃだめよ!」


「そうよ、懸賞金を出してでも犯人を捕まえないと!」すぐさま賛成の声が上がる。


「そうよ、こんな奴、絶対に許せない!」雅子が一番大きな声で叫ぶ。「懸賞金、私が出すわ!」


未沙の手をぎゅっと握りしめ、興奮気味に言葉を続ける。「犯人が捕まるなら、百万円……いや、二百万円でも出す!」


未沙は静かに雅子を見つめ、口元にかすかに笑みを浮かべた。


「随分とご立派だね。」


「もちろんよ!」雅子は未沙の手の甲を強く叩く。「私たちは家族じゃない。あなたを守るのは当然よ。」


「そういえば……」未沙はふと何かを思い出したように、輝く雅子の顔を見つめて言った。「さっき一晩中眠れなかったって?」


雅子の表情が一瞬引きつり、取り繕っていた心配の顔が崩れかける。


「わ、私……年のせいか、眠りが浅くて。」


「そうなの。」未沙の微笑みが深まり、柔らかな声の奥に冷たい響きが混じる。「眠りが浅いのは……あまりにも気にしすぎているからだろう。」


そう言い終えると、さっと手を引き抜き、そのまま階段を上がっていった。


階下ではざわめきが続いていたが、未沙は静かに自室へ入り、扉を閉めて、外の喧騒を遮断した。


部屋の中は灯りもつけず、窓からの微かな明かりだけが差し込んでいた。


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