未沙は身を起こし、ベッドのヘッドボードにもたれかかった。手を伸ばしてナイトテーブルの引き出しを開け、ノートを取り出す。
それは、彼女が初めて清水家にやってきた頃、書き留めていた日記だった。
表紙の文字はすでに薄れている。あの時、彼女はこう記していた——
「今日、初めて清水家に来て、何もかもが新鮮だった。お義母さんは本当の娘のように接してくれるし、良助も、ずっと大切にすると約束してくれた!」
ページをめくりながら、あの頃の無邪気な自分を見つめる。
そこには、良助が作ってくれた朝食や、折ってくれた折り鶴、風邪をひいた時に焦る姿、そして、彼がこっそり誕生日にベランダいっぱいのキャンドルを灯してくれた日のことが綴られていた。
それなのに、今、同じ顔をした人が目の前に立ち、「弟がいなくなったから、私があなたを守る」と言う。
なんて皮肉なことだろう。
未沙はノートを閉じ、窓辺へ歩み寄った。冷たい月明かりが床に薄く降り注いでいる。
下の階からはかすかに人々の話し声が聞こえてくる。
「警察から何か連絡あった?」
「今のところ手がかりはないって。あそこは人里離れてて、監視カメラもないそうよ」
「ひどい話だ……」
「雅子は本当に立派だよ。自分でお金を出して懸賞金までかけて……あんなにできた義姉、他にいないよ」
「本当よね。他の人なら、絶対そこまでできないわ」
未沙はその声を聞き、冷ややかな笑みを浮かべた。
いい義姉、だって?
雅子がなぜそこまで必死なのか、彼女には分かりきっている。
それは自分の「痕跡」を消すためだ。
もっともらしい「善意」の仮面で、その裏の毒を隠しているだけ。
この人たちも、決して愚かではない。ただ、見て見ぬふりを選んでいるのだ。
もし自分が雅子を舞台に引きずり出そうとすれば、皆は無意識に彼女を庇うだろう。
それは信じているからではない。「信じたくない」だけなのだ。
あの「清水家を支える賢い雅子さん」が、実は冷酷な女だなんて、誰も認めたくはない。
未沙は、簡単にその仮面を剥がすつもりはない。
だが、決して諦めることもない。
思いが交錯する中、扉の向こうから控えめなノック音が響いた。
「未沙、起きているの?」
和子の声だ。
未沙は閉じられた扉を一瞥し、開けようとはしなかった。
「まだ」
「今日は一日中動き回っていたそうね。病み上がりなんだから、無理しないで」
「お気遣いありがとう」淡々と返す。
「ご両親のことで何か必要なことがあれば、うちにもいろいろな伝手があるし、医者の手配もできるから」
「今のところは大丈夫だ」
しばらく沈黙が続き、和子は小さくため息をついた。
「最近は……本当に大変だったわね。でも心配しないで、清水家はいつだってあなたの味方よ」
「そうなの?」
未沙はかすかに笑い、「それなら、これからはこの“味方”をしっかり頼って生きていくよ。」と静かに言った。
和子はそれ以上何も言わず、「早く休みなさい」とだけ残して、足音が遠ざかっていった。
やがて階下の灯りも次々と消えていく。
未沙はベッドに戻り、天井を見上げた。
本当は、すべてを捨てて、過去を忘れた方がいいかもしれない。
だが、それはできなかった。
両親は雅子に殺されかけ、自分は利用され、信じていた夫にさえ裏切られた。彼は自分の「兄」の顔で、この馬鹿げた芝居を続けていた。
そんなことが、何もなかったことにできるわけがない。
彼女はすべてを忘れない。一つ一つ、心に刻みつけていく。
借りは、必ず返してもらう。どんなことがあっても——。