少し、昔のことを話す。
修論を出したその日に車に轢かれた。死にはしなかったけど、左足をすねからごっそり轢き潰され、再建は叶わなかった。
入院してる間に内定が取り消され、義足ユーザーかつ障害者になった私は、障害者として就職活動をし直した。
ある程度の企業には、一定率の障害者を雇う義務がある。その枠のことを、障害者枠と言う。
障害者枠で出世が望めるかと言うとかなり怪しいが、採用枠自体はある。そして、身体障害者は、精神障害者より障害者枠を埋める人員として採用されやすい。
そういう訳で、新卒カードを失って、障害者枠でピペット土方をやって10年目。一人暮らしに困らない程度の収入はあるけど、それだけである。
で、修論で題材にしたのが、ある植物だった。一言で言うと、謎植物だ。
適当なことは言っていない、本当に謎なのだ。ダージリンの産地で発見された植物で、プチトマトのような赤い実をつけるのだが、何をどう調べてもトマトが属するキク類ナス目ナス科ナス属ではない。世界のあらゆる植物と比較して、双子葉植物であることは分かったが、由来がまったく謎の植物。
今思えば、異世界から来た植物だったのだ。
とにかく、私はその植物の成分の詳細を調べ、その植物の実は男性ホルモン様物質を含むことを修論に書いた。
これは結構すごいことである。女性ホルモン様物質を含む植物はあっても、男性ホルモン様物質を含む植物というのはあまりないのだ。
そんな訳で、私はその謎植物、ナグリのことを少し知っていた。そして、男装の子クラレンドが服用させられていた男性ホルモン様物質は、ナグリの実由来だったのである。
なので、私は勇者だった時、ナグリについて知ってることをクラレンドにできるかぎり話した。自分がナグリに関する論文を書いたことはごまかしつつも。
で、現在に戻る。
……私は、なんで外務省の偉い人と会わされてるんだ?
檜山と名乗る彼は、なんかいきなりうちの職場に来て、会社の偉い人に話を通して私を接客室まで引っ張ってきた。
「『e.nagriが生成する男性ホルモン様物質の分析』を書いたのがあなたですね?」
私の修論タイトルである。
「は、はい……」
それが外務省とどう関係があるんだ……?
檜山氏は言った。
「10日前のみなとみらいの騒ぎ、知っていますか?」
「はあ、なんか異世界からいきなり人が来たとか」
私はとぼけた。本当はもう少し知っている。異世界とこの世界が行き来できるようになったこと。異世界から新しいエネルギー源が来たと全世界から注目されていること。そして、日本はサマセット国および魔国と親交を深めたい、となっていること。
檜山氏は言った。
「クラレンド・シンブリー氏一行が、こことは別の世界の、サマセットという国から来ました。彼らは重要な力とその使い方を持っていて、今後国賓扱いとなります」
そりゃそう! 原発に変わりうるエネルギー源だ! そうかだから外務省か!
私はなるべく、何もわかってないふりをした。
「なんか、すごいですね」
「シンブリー氏は、サマセットで勇者として名を馳せた人を探しています」
「はあ、こっちの世界にいるんです?」
「魂がこっちの世界にいるとのことです、ただ、生死は不明です」
あ、そうだ、私帰る前に仲間たちに言った。「車にひかれて気づいたらこっちにいた、あっちで無事かどうかわからないな」って。あー、死んでるかもと思われてるのか。うん、死んだと思ってくれ。
「私の修論となにか関係あるんです?」
「勇者、センと名乗っていたそうですが、セン氏は非常にナグリに詳しかったそうです、特に実の成分に」
そっから身バレ!?
いや落ち着け、私はずっと自分の性別を明かさずに勇者をやってきた。五体満足な成人男性しか人権がない世界で、性的マイノリティに人権がない世界で、男の身体に女の魂が入ってると知られたらどうなるかわからなかったから。
落ち着け。クラレンドたちは、勇者を男だと思ってる。
「私は、少しナグリの成分を知っていますが、あの辺の研究してる人ならだいたいそうじゃないでしょうか?」
「シンブリー氏は、魔力という、発電可能なエネルギーの提供を約束しています。その代わりに、セン氏を探すための全面的な協力を求めています」
女っぽくなる手術への協力じゃないの!?
檜山氏は、言葉を続けた。
「セン氏は、莫大な魔力を持つ人間とのことで、我々としても彼に協力してほしいと思っています。そしてセン氏は、あなたの修士論文にしかない知識を知っていたのです」
致命的なミス!!
いや、でも、挽回は効く、いくらでも。
「私の修論は大学の図書館に納めましたし、一部の成果は論文投稿もしましたし、知ってる人は多いんじゃないでしょうか」
「英語論文の方も拝見しましたが、修論にしか記載がないものでした。大学の図書館にしかない日本語の論文、それは限られた人間しか読まないでしょう」
「そ、そうですか……」
「なので、あなたの修士論文を読んだ可能性のある男性を、片っ端から挙げていただけませんか?」
あ、そうなるか! 勇者センを男だと思ってるから、あくまで男を探してるのか!
それなら、いくらでも誤魔化しが効くな。
「そうですねえ、まあ指導教官は読みましたし、研究室のボスも読んだかもしれません。あとは、学会で会った人に修論の内容を話したかもしれませんが、正直そこまでは把握しきれません」
き、切り抜けたぞ……。
檜山氏が聞いてきた。
「指導教官は、英語論文の著者にいる方ですか?」
「そうです、あ、あと共同研究者も修論は読んでるかもしれません、あ、でも、一人は女性だから除外ですね」
「なるほど」
檜山氏は頷き、そして私の左足を見た。ミモレ丈のスカートからは、鉄骨の義足がのぞいている。いやまあ、ジロジロ見られるのには慣れてるけど……。
「……失礼ですが、修士時代に論文を投稿できる方なら、研究開発の道もあったのでは?」
「車に轢き潰されましたね、足と内定は」
こいつ、本当に失礼なこと聞くな。
「……失礼しました。いきなり押しかけて申し訳ありません、ありがとうございます」
そう言って檜山氏は「このことは他言無用で」と帰っていき、私は後で上司と同僚に質問攻めにされた。
「えっ国の偉い人でしょ!?なんで来たの!?」
「何の関係があるんだ!?」
私はそれらを曖昧な笑顔でかわした。
「他言無用って言われたので……でも、そのうちマスコミとかが言い出しますよ」
人探しは拡散したほうが早い。勇者センの特徴は、いずれ報道され出すだろう。
私は、サマセット国で性別はごまかしていた。でも嘘ばかりもつけないし、自分のことを聞かれたら嘘でない範囲で答えていた。
例えば「元の体のセンはどんな感じなの?」と聞かれて「大した事ない、チビの童顔だよ」くらいは。
その辺の特徴をかき集めて、勇者セン探しは始まるだろう。
ただ、私にはたどり着けないし、たどり着かせない。勇者センは、『男』なのだから。