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第11話 賀茂祭

 四月、祭のころいとをかし。

 上達部かんだちめ殿上人てんじょうびとも、うえのきぬの濃き薄きばかりのけぢめにて、白襲など同じ様に、涼しげにをかし。(枕草子)



 今時、祭といえば賀茂祭のことである。

 祭の始まる前のうままたはひつじの日、斎王の御禊ごけいが賀茂川で行われる。

 斎王は斎院御所から牛車くるまに乗り、陰陽寮おんみょうりょう及び供奉ぐぶの諸司など二百人以上を従え、賀茂川のほとりの祓所に向かい、川に臨んでみそぎの式を行う。

 その行粧ぎょうそうは華麗で、祭当日程ではなかったが、見物客は多数に上った。


 四月十一日、庚午かのえうま

 斎院令子よしこ内親王御禊ごけい


 多分に漏れず、卯の花たちも御禊の行列見物に加わっていた。

 乙姫おとひめにとっては初めての御禊見物である。


 牛車くるま内に大人が三人、子供が一人。

 溢れんばかりに乗り合わせてくる者が多い中、優雅なものだ。


 ちなみに牛車は本来四人乗り。二人や六人で乗る場合もある。


 牛車で移動する際は、周りに二十人程度の人々が付いてまわり、騎馬で牛車を先導する者を随身ずいじん威儀いぎを整えるために同行する者を舎人とねり、傘や雨皮あまがわ(雨のとき牛車にかける覆い)を持った者を牛飼童うしかいわらわと言った。

 牛飼童の一番の仕事は、牛を使い、牛車を進行させることだ。

 童と言っても垂れ髪で、水干すいかんを着用し、むちを手に持ち、姿から「童」なのであって、少年だけではなく、三十、四十くらいの者も居た。


 実高は、あまり見栄えを気にする性質でもないので、いつでも連れて歩く供の数は最小限である。


「すごい、すごいです。うつくしいです」


 乙姫は興奮し、鼻息も荒く頬を上気させている。

 奈用竹なよたけが宥めているが、効果は無いようだ。

 熱を出さないといいけれど、と卯の花が思うほど。


養父ちち上、養父様も陰陽師の頃に御禊ごけい供奉ぐぶしたことがあるんでしょう?」


 世評高く、美しい人達は特別に呼ばれ、供奉することがあるのだ。

 卯の花の言葉に奈用竹が目を丸くする。


「まあ、玄明はるあきら様が。それは輝かんばかりのご様子でしたでしょうね。わたくしも拝見しとうございました」


 実高さねたかは苦笑する。


「昔ね。もう二度と参列などしない、と怒っていたよ。耳栓をしていても嬌声きょうせいに悩まされたそうだ」


「そうでしょうねえ」


  卯の花も苦笑を返した。


「昔は養父様の元に、恋文が山のように届いていたと聞いています。でもなしのつぶてだったのでしょう?」


「あの玄明だからね。女房殿らからも誘いが絶え間なかったが、返ってくるのが良くて冷たい一瞥いちべつか、無視だからね」


 やれやれ、といった空気が車内に満ち、乙姫が小首を傾げた。


「あねさまも、おふみをいただくのですか?」


  卯の花は苦笑を深くした。


「わたしは御覧の通り白髪の醜女しこめですので、お文は頂きませんよ」


 実高は首を傾げる。


「お前はこんなに美しいのに。男たちも見る目が無いね」


「養父上、慰めは結構です」


 にっこりと美しい笑みを浮かべ、実高は卯の花の頬を撫でた。


「お前は十分すぎる程に美しいよ。その白い髪も、弧を描いた眉も、凛とした目許も。鼻も口許も愛らしい。教養だって後宮の女房たちに劣らないだろう。がくの腕なら言わずもがなだ」


  卯の花は苦笑するしかない。


「過分なお言葉畏れ入ります。どこかの女房でも耳にしたら倒れますよ。内教坊うちなんて来たら大騒ぎです」


「そうかな」


 奈用竹が可笑おかしそうに肩を震わせる。

 実高が己の美丈夫振りに気を止めぬのは、昔からだ。

 今でさえ、我が家の婿がねにとの誘いは引っ切り無しと聞く。

 妻が奈用竹なよたけ一人であるのも、その一因だろう。

 御簾から垣間見た女房らが熱を上げるのは当然として、どこぞの姫君までが恋焦がれているという噂だ。


 右近権少将うこんのごんのしょうしょうと位はそれほど高くは無いが、何処どこぞへ婿入りすれば、婚家の力で相応の位に上り詰めるのも簡単だろうに。

 今時には珍しく、妻は一人の実高である。浮いた話もまるで聞かない。

 そんな実高は照る権少将と綽名あだなされている。


 ちなみに玄明はるあきらはその美貌から、陰陽寮のかぐやの君と呼ばれている。

 つれない態度も、まるで竹取物語のようであるそうだ。


 そんな美貌の養父二人に対して、白髪の卯の花は醜女として有名である。

 美人の条件たる黒髪とは、似ても似つかぬのだから仕方がないが、慣れはしても傷付かないわけではない。


「そうです。少しはご自覚ください。養父様のように傍若無人になれとは言いませんが。ほら、義母上からも何か」


「わたくしは、今のままの殿で十分ですよ」


 しまった。惚気のろけられた。


「………まあ、その辺りは置いておいて、行列を見るとしましょうか。ほら、乙姫様そろそろ斎院さまの牛車が見える頃ですよ」


「わあ、あねさま、ごらんください! くるまにおはながたくさん! きれいですねえ!」


「綺麗ですね。藤の花が咲き零れて」


「ととさまのおすがたに、よくにています」


「そうですね。今日の養父上のきぬは藤のかさねです。乙姫さま、よくわかりましたね」


 表が薄紫、裏が青である藤の重ねだ。

 卯の花は餅躑躅もちつつじかさね。蘇芳三匂ひて・青き濃き薄き。白きひとえ

 奈用竹は菖蒲あやめの襲。青き濃き薄き・白き・紅梅濃き薄き。白き生絹すずしひとえ

 乙姫は撫子なでしこの襲。表は蘇芳匂ひて三・白き表二。裏、蘇芳・紅・紅梅・青き濃き薄き。白きひとえなり。


「わたくしも、おべんきょうしているのです!」


 得意げな乙姫の様子に、牛車の中はほんわりとした空気に包まれた。


「ほわー、とても、とてもすばらしいごようすでした」


 上気した頬で、乙姫がうっとりと呟く。


「そんなに楽しかったなら、祭当日も見物に来ようか」


 実高が言い、卯の花が眉をしかめる。


「流石に当日は無理があるのでは? 凄い混みようですよ、毎年」


「今年も桟敷さじきには、院がお出ましになられるだろうしね。車争いも絶えないか」


「上流の方々に、良い場所は押さえられてしまいますし、下々に交じっての見物ですと、乙姫様にはいささかご負担かと思うのですが」


「あの騒音もまた一興かとも思うけれど、そうだね、乙姫にはまだ刺激が強すぎるだろうね。またの機会にしよう」


「ええー、わたくしはけんぶつできないのですか?」


「もう少し大きくなったらね」


「あねさまは、ごらんになったことがあるのですか?」


「祭の行列ですか? かえさならば一度」


 祭の当日は朝廷より奉幣使ほうへいし以下、内蔵寮くらりょう五位以上一人、近衛府馬寮まりょう五位以上各一人、走馬十二騎、中宮東宮の使、五位以上各一人、内侍ないし並びに命婦みょうぶ蔵人くろうど闈司いし各一人、中宮の命婦、蔵人各一人などを遣わし、斎王に供奉ぐぶする。


 斎王は斎院御所を出、一条大路を経てまず下社に参向、次いで上社に参向する。

 儀式の様子などは見る由もないが、この一行の行粧ぎょうそうはとにかく壮麗であった。


 検非違使けびいし、近衛の使いの中少将、内侍の使いなど多く牛車を連ね、地下じげの官人などはほこ、弓など種々の神宝を持ち、思い思いに風流を尽くし、花を飾った。

 その美しさは壮観という外ない。


 一条大路にはそれを見ようとして遠近おちこちから集い来た者が溢れ、物見車の数もおびただしく、広壮な桟敷さじきを作りつらねた。

 上は上皇、女院から、下は田夫野人でんぷやじん(振る舞いが粗野で教養のない人。いなか者。)に至るまで先を争って集った為、その混雑振りは名状し難い。

 容易に往来することができない状態で、よく車争いが起こっていた。


 源氏物語での葵上あおいのうえ六条御息所ろくじょうのみやすどころの車争いも、そこが舞台だ。


 さて、斎王は儀式を終えて神舘に一泊。

 翌いぬの日、往路と途を変え、知足院ちそくいん雲林院うんりんいんを経て斎院御所へ帰る。

 これを「祭りの帰さ」と言う。


 祭の当日と違い、自由な態度で参列するので、それもまた一種の見ものとして喜ばれた。


「当日は無いですね。話にはよく聞きますが、あの混雑に身を投じようとは流石に思いませんので」


 潰されて怪我をするのがオチだと、玄明にも言われている。

 ふくれてしまった乙姫に、奈用竹がぽんと手を叩いた。


「お邸に帰りましたら、葵を挿頭かざしにして、祭のごっこ遊びを致しましょうか」


 乙姫がぱぁっと顔を輝かせた。


「かかさま、わたくしもかざってくださいませ!」


「勿論ですよ。綺麗に飾りましょうね」


 機嫌を直した乙姫に、実高と奈用竹は視線を交わして頷きあった。


 こういう時に、ふっと疎外感を感じてしまう。

 気の回しすぎなのだが、卯の花も多感な年頃である。


 仲の良い親子に挟まれて、何とはなしに、自分だけが違うモノであるかのような。


 部外者。

 血の繋がらぬもの。

 漠然ばくぜんとした寂しさ。


 時折不意に、泣きたくなる。


 だが、実高が気付いた。



浄子きよこ



 卯の花の、真名まな

 おいそれと口にすべきでない秘めたその名を口にして。

 実高は卯の花の気をを引いた。


「お前も、大事な私の子だよ」


 忘れないでおくれと微笑む、その表情の優しさに。

 卯の花は涙を堪えて笑って見せた。

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