四月、祭のころいとをかし。
今時、祭といえば賀茂祭のことである。
祭の始まる前の
斎王は斎院御所から
その
四月十一日、
斎院
多分に漏れず、卯の花たちも御禊の行列見物に加わっていた。
溢れんばかりに乗り合わせてくる者が多い中、優雅なものだ。
ちなみに牛車は本来四人乗り。二人や六人で乗る場合もある。
牛車で移動する際は、周りに二十人程度の人々が付いてまわり、騎馬で牛車を先導する者を
牛飼童の一番の仕事は、牛を使い、牛車を進行させることだ。
童と言っても垂れ髪で、
実高は、あまり見栄えを気にする性質でもないので、いつでも連れて歩く供の数は最小限である。
「すごい、すごいです。うつくしいです」
乙姫は興奮し、鼻息も荒く頬を上気させている。
熱を出さないといいけれど、と卯の花が思うほど。
「
世評高く、美しい人達は特別に呼ばれ、供奉することがあるのだ。
卯の花の言葉に奈用竹が目を丸くする。
「まあ、
「昔ね。もう二度と参列などしない、と怒っていたよ。耳栓をしていても
「そうでしょうねえ」
卯の花も苦笑を返した。
「昔は養父様の元に、恋文が山のように届いていたと聞いています。でもなしのつぶてだったのでしょう?」
「あの玄明だからね。女房殿らからも誘いが絶え間なかったが、返ってくるのが良くて冷たい
やれやれ、といった空気が車内に満ち、乙姫が小首を傾げた。
「あねさまも、おふみをいただくのですか?」
卯の花は苦笑を深くした。
「わたしは御覧の通り白髪の
実高は首を傾げる。
「お前はこんなに美しいのに。男たちも見る目が無いね」
「養父上、慰めは結構です」
にっこりと美しい笑みを浮かべ、実高は卯の花の頬を撫でた。
「お前は十分すぎる程に美しいよ。その白い髪も、弧を描いた眉も、凛とした目許も。鼻も口許も愛らしい。教養だって後宮の女房たちに劣らないだろう。
卯の花は苦笑するしかない。
「過分なお言葉畏れ入ります。どこかの女房でも耳にしたら倒れますよ。
「そうかな」
奈用竹が
実高が己の美丈夫振りに気を止めぬのは、昔からだ。
今でさえ、我が家の婿がねにとの誘いは引っ切り無しと聞く。
妻が
御簾から垣間見た女房らが熱を上げるのは当然として、どこぞの姫君までが恋焦がれているという噂だ。
今時には珍しく、妻は一人の実高である。浮いた話もまるで聞かない。
そんな実高は照る権少将と
ちなみに
つれない態度も、まるで竹取物語のようであるそうだ。
そんな美貌の養父二人に対して、白髪の卯の花は醜女として有名である。
美人の条件たる黒髪とは、似ても似つかぬのだから仕方がないが、慣れはしても傷付かないわけではない。
「そうです。少しはご自覚ください。養父様のように傍若無人になれとは言いませんが。ほら、義母上からも何か」
「わたくしは、今のままの殿で十分ですよ」
しまった。
「………まあ、その辺りは置いておいて、行列を見るとしましょうか。ほら、乙姫様そろそろ斎院さまの牛車が見える頃ですよ」
「わあ、あねさま、ごらんください! くるまにおはながたくさん! きれいですねえ!」
「綺麗ですね。藤の花が咲き零れて」
「ととさまのおすがたに、よくにています」
「そうですね。今日の養父上の
表が薄紫、裏が青である藤の重ねだ。
卯の花は
奈用竹は
乙姫は
「わたくしも、おべんきょうしているのです!」
得意げな乙姫の様子に、牛車の中はほんわりとした空気に包まれた。
「ほわー、とても、とてもすばらしいごようすでした」
上気した頬で、乙姫がうっとりと呟く。
「そんなに楽しかったなら、祭当日も見物に来ようか」
実高が言い、卯の花が眉を
「流石に当日は無理があるのでは? 凄い混みようですよ、毎年」
「今年も
「上流の方々に、良い場所は押さえられてしまいますし、下々に交じっての見物ですと、乙姫様には
「あの騒音もまた一興かとも思うけれど、そうだね、乙姫にはまだ刺激が強すぎるだろうね。またの機会にしよう」
「ええー、わたくしはけんぶつできないのですか?」
「もう少し大きくなったらね」
「あねさまは、ごらんになったことがあるのですか?」
「祭の行列ですか?
祭の当日は朝廷より
斎王は斎院御所を出、一条大路を経てまず下社に参向、次いで上社に参向する。
儀式の様子などは見る由もないが、この一行の
その美しさは壮観という外ない。
一条大路にはそれを見ようとして
上は上皇、女院から、下は
容易に往来することができない状態で、よく車争いが起こっていた。
源氏物語での
さて、斎王は儀式を終えて神舘に一泊。
翌
これを「祭りの帰さ」と言う。
祭の当日と違い、自由な態度で参列するので、それもまた一種の見ものとして喜ばれた。
「当日は無いですね。話にはよく聞きますが、あの混雑に身を投じようとは流石に思いませんので」
潰されて怪我をするのがオチだと、玄明にも言われている。
ふくれてしまった乙姫に、奈用竹がぽんと手を叩いた。
「お邸に帰りましたら、葵を
乙姫がぱぁっと顔を輝かせた。
「かかさま、わたくしもかざってくださいませ!」
「勿論ですよ。綺麗に飾りましょうね」
機嫌を直した乙姫に、実高と奈用竹は視線を交わして頷きあった。
こういう時に、ふっと疎外感を感じてしまう。
気の回しすぎなのだが、卯の花も多感な年頃である。
仲の良い親子に挟まれて、何とはなしに、自分だけが違うモノであるかのような。
部外者。
血の繋がらぬもの。
時折不意に、泣きたくなる。
だが、実高が気付いた。
「
卯の花の、
おいそれと口にすべきでない秘めたその名を口にして。
実高は卯の花の気をを引いた。
「お前も、大事な私の子だよ」
忘れないでおくれと微笑む、その表情の優しさに。
卯の花は涙を堪えて笑って見せた。