「友達かぁ」と、まるで遠くの雲を眺めて呟くような言い方で、悠里は首をかしげた。「私にも出来るかな、そういうの」年不相応に礼儀正しくも、どうしてか幼くも聞こえていた丁寧な口調をやめてしまってのその言葉は、隣を歩く智和はもとより誰に言うでもない独り言のようだった。
「出来る、というよりは作らないと」口調が説教をするようなそれに変わっているのを自覚する。「せっかくの学校生活なんだし。仲間ばかりがいる空間なんて、この学校ぐらいなんだからさ」
首をかしげたまま、悠里が笑った。「その言い方だとまるで、宮野君は一般人の人と能力者は友達になれないって思ってるみたいですね?」
「なるのが難しいとは、確かだと思うよ」友達になる以前の、分かり合うことさえ実のところは難しいのではなくて無理なのではないか、と感じる事もある。学校理念は、一般人と能力者の真の意味での共存、となってはいるけれど、同い年の生徒達が集まる学校交流というのはひとつきな臭い事件が起きれば中止になるし、国が通そうとする法案一つで市民団体が騒ぎ出したり学校側が会見を開いたりするのが日常茶飯事のことなのだ。一ヶ月前から連続して起こっている事件のこともあり、記者会見と表されてはいてもそこは、まるでどこかの法廷みたいな有様にもなっている。共存を謳いながらも自然と学校が生徒達、もしくは卒業生達、能力者の擁護に回ってしまう現状はある意味で仕方のないことだろう。
出没している連続切り裂き魔は一度は警察に包囲されたものの、発砲された銃弾の雨が体をえぐるのもお構いなしに逃亡した――。能力者特有の超常現象的な回復能力により、銃弾を浴びても即座に傷口がふさがるので逃亡するのには支障がない。つまりは、銃弾飛び交う中で一方的な的にされた犯人が自力で逃げおおせる条件というのは、智和達と同じ種類の人間である、という事実だけである。テレビではそう報道されている。
「普通の人は能力者を怖がってるからね。普段は仲が良くたって、事件が起こってしまえばすぐに険悪になる」何かしらの事件に能力者が加害者として加わっていると大抵、人の目は色眼鏡になるものだ。彼らは自分達とは違うのだからあんな事件を起こしても仕方がないのだ、とマイクを向けられた一般人達は口を揃えて言う。
「怖がらせる能力者も悪いと思いますけど」悠里の言い方は擁護するというよりは、一辺倒な矢印の上に正反対向きの矢印を乗せるようなものだった。こういう考え方もありませんか、と提案している風な口調だ。「切り裂き魔は本当に怖いと思います。私だって怖いですから、普通に切られたりしたら死んじゃう一般人の人達が過剰反応するのは、ある意味当たり前のことじゃないでしょうか」ちらりと目を後ろにやっていた。追いかけるまでもなく、彼女が市民団体のほうを見ているのは分かる。過剰反応する一般人の図、まさしく言葉通りの彼らに小さく頷く。「問題はむしろ、一度包囲したのにあっさり逃げられちゃう警察のほうだと思うんですけど。能力者に銃弾とかって、ちょっと準備を怠けすぎてません?」
警察という批判の矛先を見つけた、と言いたげな口調ではない分、理路整然としているようにも聞こえる。「その時にはまだ、犯人が能力者だって分かってなかったんだろうし」対してこっちはただの言い逃れだ、と智和は思いながら口を開いた。「人口的には一般人が九割なら僕達は一割で、犯罪率も似たようなものだろうし。いちいち犯人がどっちかなんて考えて動いてたら大変だと思うよ」
「でもそれだと、犯人が一般人だった場合、普通に射殺しようとしてたって事になりません? 日本ってそんなに簡単に犯人を射殺したりしていい国でした?」怪訝そうな顔は、夢とか希望を今まさに否定されようとしているのを怖がっているのに似ていた。日本の安全神話の崩壊だ、と嘆くみたいに顔を斜め上の空のほうへ向ける。「能力者なら確かに、足止めぐらいにはなるかなって思ってたけど」
「何か情報提供があったのかもしれないよ」言いつつも、智和の想像は途中放棄もいいところだった。目撃者がいたとしてその彼か彼女が、あいつは能力者だと確信できて、通報された警察のほうも両手を打ち鳴らして署内の警官に拳銃の携帯を通知できる情報というのは一体どんなものなのか、思い当たりもしなければ、あと少しで何か分かるんだと言いたげな違和感に似た靄も心の中には生まれていない。
能力者、とは、驚異的な身体回復能力を除けば他は個々の能力に差異はあっても傍目から、一般人が悟れるものではなかった。ごく普通に世間に溶け込もうと思えば溶け込める。大抵は幼少期に何かしらによって出来た怪我が瞬時に治ったのをきっかけに能力者だと判明し、その時点で親が子供を手放すか手元に置いておくかと選択を迫られるのが常だった。手放すと決めた場合は、智和達が通っている学校を含める能力者組合の施設に預けられる事になり、自分達で育てると決めた場合でも定期的に調査員が派遣されて子供の身体や精神のケアに努めることが法律で定められている。――射撃場の的さながらに銃弾を浴びても死なない肉体を持つ、ということは、ほとんど一般人から生まれた子供であるのに親からすれば異物であり、同時に、どれだけ悲惨な虐待をしようとも死なず傷も残らないことを意味しているからだ。
それでも、心の傷は残る。精神をえぐる傷は日増しに酷くなるばかりで、膿んで壊死して取り返しがつかなくなる頃には、その子供自身の一生さえ真っ暗に閉ざされたものになる。
――真っ暗に閉ざされているだけなら、まだいいけれど。暗闇に音も濃淡も、なければいいけれど。
「宮野君」呼ばれて、智和は目を瞬いた。我に返る、というよりはとても浅いところで見ていた夢から覚めるような感じで意識が現実に戻る。隣を歩いている悠里のほうを見て、そうしてから横に誰にもいないのに気づいて振り返った。いつ立ち止まったのか、数歩離れた距離で悠里は足を止めている。おそらくはさっきの、おぼろげながら夢でも見ているような感覚で聞いていた幻聴に近いもの、真っ暗で狭い空間の薄っぺらい壁の向こう側から聞こえてくるような、男にしては甲高い罵声や女特有の悲鳴を耳の奥で再生しているうちに、彼女は立ち止まっていたのだろう。
悠里は肩越しに振り向いていた。視線をたどるまでもなく、だから市民団体のほうをそんなまじまじと眺めていてはいけないんだって、と智和は何度目かになる注意をしようとして、口を開きかけた。けれど半ば口を開いて声を出そうとしたところでようやく、今まで何気ない様子で彼らを眺めていた悠里の表情が不思議そうにしかめられているのに気づいて、閉じる。
気づけば、音が止んでいた。「能力者には能力者の義務がある。それを能力者に果たさせようとしない学校の運営方針は間違っている」だとか、「無法すぎる自由が能力者の犯罪に手を貸しているのが貴方達には分からないのか」だとか、「生徒の皆さん、聞いてください。貴方達の力を彼らは金のために利用しているに過ぎないんです。貴方達を育てれば教育助成金が出るからそれ目当てに貴方達に間違った教育をしているだけなのです。貴方達はちゃんとした学校でちゃんとした能力の使い方を学ぶべきなのです」とか、とにかく何でも言いたいことを言いまくればいいのだと開き直っているように叫び散らす声のボリュームを上げていたスピーカーが気づけば、静かになっていた。同時に今まで、学校の正門を睨みつけ、出てくる生徒には心底同情するかのようなまなざしを向けていた横断幕を広げている彼らの視線が、体ごと別の方向を向いている。
彼らの視線の方向を智和は辿り、スピーカーを積んだ車の鼻先に顔を近づけるようにして停車している車を見つけた。乗用車、という表現が陳腐でちんけに聞こえるぐらいには高級感を滲み出している黒塗りの外国車のようで、相変わらず智和にはどこの国のものなのかまでは分からなかったけれど、ボンネットに鎮座している金色の鳥に似たオブジェがいかにも、「私はそこらへんの日本車とは違うのよ」と公言しているようだった。一般道を走行していれば思わずごく普通のドライバーは道を譲ってしまいたくなる、そんな威圧感に溢れている。
「あの人、誰ですか?」と、悠里が言った。指を不躾に向ける事もあごをしゃくる事も、言葉を続けることもしなかったけれど、彼女の言う「あの人」がどこにいるのかは、聞き返すまでもなく理解できた。
目を外国車全体からひとつの窓へとやる。智和の立っている場所から見える窓全部には遮光フィルムが貼られていて、中の様子はまったく見えない。ただそのうちの一枚だけ、ちょうど市民団体の彼らがいる場所に一番近い窓だけが開かれていて、一人の男が顔を出していた。窓に横断幕を持っていた男の一人が、さきほどまでスピーカー任せに自分の正論を騒音にさせていた男が駆け寄り、深々と頭をさげている。車から出てくる様子もなく、開いた窓から会釈と呼ぶには慇懃すぎるそれを眺めて、車の中の男は微笑んだようだった。口を開いて何を言っている、さすがに聞き取れやしないけれど、頭を下げ続けていた男の動作がそこでぴたりと止んで、彼はおずおずと顔を持ち上げた。
「会長だよ」智和は応えた。「あの市民団体の会長。というか、代表みたいなものかな」
男の姿で見ることが出来るのはかろうじて、窓から見える顔のみだ。けれど男が実際どんな体格をしているのかは、想像の域も必要もなく智和は頭の中に描くことが出来る。背はとても低い、ふくよかででっぷりとした、肥えた人間特有の人のよさそうな笑みを浮かべている顔の下に寸胴のようにつながった体がある。智和が知っている中で一番男に近いものは、グリム童話の白雪姫に出てくる森の中の七人の小人達だった。笑えば子供のように無邪気に見えることだろうし、普通にしていても優しげな中高年のおじさんにしか見えない。善意はあっても悪意はない、白雪姫を匿うことは出来ても実際に悪い継母から彼女を救う役目はあっさりと別の誰かに取られてしまう。でもそれを妬んだり後悔したりはしない。そんな小人のような背格好の男である。
けれどその、温厚そうな外見とは裏腹に過激な市民団体の代表にふさわしい一面を持っているのは、誰もが知る周知の事実だった。テレビの取材は進んで受け、いつも自身の持論を新聞や報道で主張しては様々な別団体から反感を買っている。
だから滅多に生身の体を不特定多数の人間の目の前にさらしたりはしないらしい。積極的に受ける取材にしても、記者は指定された場所に赴いて、なおかつとてつもなく厳重なボディチェックを受けるそうだ。自ら外に出かけなければならない時も車を使い、必要以上に車から外へ出ることはしない。出たとしても安全を最大限考慮した上で行う、――報道で語られる男はいつも、自分は命を狙われているのだと公言してもいた。能力者政策は常に利益を独占しようとする者と、能力者の人権を守ろうとするものとで対立する。私は能力者の人権とこの国の平和を守るために命を賭して戦い、だから反対勢力に狙われるのだと、下手な三文芝居の台本にも出てこないような台詞で彼は主張する。その主張が一部の人間の神経を逆撫でることはもちろん、別の方面からは英雄され崇められる事も当然に、計算尽くなのだろう。