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第4話

「どんなアドバイスですか」むしろ修羅場へ直行する片道切符のような気配のほうが強い。

「世渡り上手になるアドバイスだよ」瀬田は片目を瞑ってみせる。「もうひとついえば、あの後輩の女の子もいいと思わないか? いじらしく片思いしてるような感じとかすごくかわいいと思うんだけど、」

 嘆息して、瀬田に首をかしげる。「どうしてここに? 何の用事で?」完璧に話を断ち切って質問した。

 不快そうにする様子もなく瀬田はにっこりと笑うと、背広の内ポケットに手を突っ込んだ。そこからの動作はなんとなく察しがついたので彼が手を引き抜くよりも先に、「ここは未成年が生活している学生寮ですから喫煙は遠慮してくださいって、この間お願いしましたよね?」にべもない口調で質問する。瀬田は、「あらら。ばれたか」まったく反省している様子のない軽々しい物言いで残念そうにだけため息をついてから、空っぽの手を内ポケットから引っこ抜いてスラックスのポケットに所在なさげに押し込んだ。もうここでは吸いません、とふてくされながら了解するような所作である。

 近くにいて話している分だけでも、瀬田からは煙草の匂いがした。普通に日本のコンビニや自販機で購入できる銘柄ではないらしく、いがらっぽさよりも甘いバニラに似ている匂いがほのかに漂ってくる。あんまり高給取りには思えない所轄の警察官である彼だったが、煙草だけは別らしい。香水でもつけてるんですか? と前に一度訊ねた智和に笑顔で切り替えしてきたのを覚えている。「これは煙草の匂いだよ。銘柄を気にして使ってたら煙草だっていい匂いのするやつはあるんだから、なんでもいがらっぽくって感じが悪いわけじゃない」言って、うんうん、としきりに頷いていた。

 口寂しそうに下唇を舐めてから、瀬田は口を開いた。「この間また、切り裂き魔が出たでしょ。駅前に。それでその時間、この寮の生徒達全員がどこで何をしていたのか確認しに寮監さんに会いに来たってわけ。名簿を見せてもらって、みんながちゃんと帰宅して外出していないのを玄関の監視カメラで確認して終わり。今から署のほうへのんびり帰ろうかな、と思ってる」

「まだ僕達を疑ってるんですか」気をつけていても、険のこもった声になる。

「うん。まだ、君達を疑ってる」眦を下げて瀬田は鸚鵡返しに応えた。申し訳なさそうでも、これは警察官の義務だと公言するのでもなく、表情だけを困ったように歪めて頷いた。「だって、被害者の共通点はひとつだけで、満天会のメンバー本人だった身内にいたり、そんな人達ばっかりで。満天会と始終関係をこじらせてるのが君達の学校だからね。騒音問題だって実のところ、一番迷惑しているのは君達なんだろうけど警察は全然動いてない。まあ、何よりこの間、射殺しようとしたのにピンピンしてたのが一番の原因だけど」

「撃ち殺そうとした犯人が被弾しても平然と逃げていったって、本当なんですか?」報道では、犯人が能力者である決定的事実だと、鬼の首でも取ったかのような半狂乱で繰り返されていた情報だったけれど、今日の学校の帰りしなに悠里が首を傾げて言っていたことを思い出すと確かに、腑に落ちない点もあった。なんだかんだで法治国家の日本では、警察官が拳銃を振りかざす事を許す国民感情はまだ根付いていない。

「そりゃ、被害が出すぎてるしね。最初に発砲した刑事は、殺すつもりだったかもしれないけど」また眦を下げると、瀬田はさっきより少し情けない顔になった。「世間からの批判と、犠牲者がこれ以上増えることへの懸念で彼は板挟みになって結局、犯人を殺害してしまってもいいから事件を終わらせようと思ったんだろうな。多分」最後の言葉の意味は、僕には理解できないけれど、と正論に逃げているというよりは、逆に近い歯がゆさがあるようだった。分かってやりたいけど分からない、とため息をついて首を振っている。

 報道では、警察官の勇気と決断を讃える一方で一個人の独断で拳銃の発砲を行ったことに対する非難も合わさり、対岸の火事の不始末に唾を撒き散らしながら罵り合うような醜態をさらしている番組もあった。切り裂き魔が実は能力者であった事実を踏まえて、今度からは警察官に対人用の麻酔弾が装填できる拳銃を渡すべきだ、と犯人の詳細が分かる以前とは打って変わって強気の発言を始めたところもある。満天会の中でテレビ映えする一部の幹部達はテレビに引っ張りだこになり、会長譲りの持論を展開しては、今回ばかりはほとんどのコメンテーターに受け入れられていた。

「ま、犯人が能力者だったから死ななかったし、撃った刑事も懲戒免職にはならなかったから良かったのかな」死んでいればどっちにしろ、世論が許してはくれなかっただろうと瀬田は頷く。「君達にすれば犯人が能力者だって分かった分だけ世間の風当たりも凄まじい事になってるのかもしれないけど」肩をすくめて智和を見る。同情している口振りの分だけ、本心からなのかどうかは曖昧になっていた。

「別に、世間の風当たりが酷いのはいつもの事ですから」いつも必ず吹いている風が今に限ってだけ歩きづらいほどの強風になっている、という感じだろうと思おうとおもえば出来た。

「だから嵐が吹き荒れてる時は出来る限りおとなしく静かにやり過ごすって発想なのかな、ここって」思ったままの事をそのまま口に出している、とは思うのだけれど、邪推すれば全然違う呆れのようなものが言葉にちらほらと覗いているような気配もあった。首を傾げてみせる瀬田の口調は、他人事半分の適当な好奇心半分で構成されているようで、淡々ともしていないし熱もこもっていなかった。「能力者が犯人でも学校の関係者とまでは分かってないし、もし関係者だったとしても犯人がOBなら、学校が責任を持つ必要もないと思うんだけどね」

 一般的にならそうである。つまり、能力者は一般的な見解には当てはまらない――ともいえた。

「とりあえず犯人を早く捕まえてください。それが瀬田さん達、警察官の仕事でしょ」ここで素人相手に世論じみたことを言っている暇があるのなら、と智和は思う。「学校が責任を持つにしてももたないにしても、警察がちゃんと犯人をあげてくれない事には、話にもならないんですから」

「宮野君は犯人が能力者だったら、捕まらなければいいのに、とか思わないわけ?」目に見えた智和の嫌味にも、瀬田はさして気にする様子も見せなかった。餓鬼が調子に乗るんじゃない、と苛立ちを見せることもない。

「能力者であっても、犯罪者は犯罪者です」擁護しなければいけない理由などどこにもない。

 仲間意識はあるだろう、と質問されたことはある。能力者には能力者のコミュニティのようなものが存在するのは当たり前で、それは言うなら一般人にとっての郷里みたいなものに過ぎないのだけれど、能力者達がひとつの場所に集うことへ恐怖じみたものを覚える一般人も少なくない。智和からしてみれば、瀬田の質問は単純に、「人間だから人間の犯罪は捕まらないでほしいと思うか?」というぐらい横暴なものであった。世の中をしらみつぶしに探したところで、そんな問いかけに頷こうとするお人よしがそうそういやしないのは明白だ。

「君は、能力者でも一般人が作ったルールに則るべきだ、って考えるんだね」聞き様によってはまるで、そのルールを守る価値はないとでも言いたげにさえ感じ取れた。

「ルール、なんてゲームをする方法とかじゃなくて、僕達が守らなくてはいけないのは法律ですから」

「たまにそういう堅苦しい考え方、するの面倒にならないか?」瀬田は眉尻を下げた。同情するようなそぶりで続ける。「君達には一般人にはない力がある。行使すれば簡単に、彼らを凌駕できる能力だ。個々の才能は様々でも、どんな重傷でも致命傷でない限りはたちどころに治ってしまう回復能力だけで、君達ならほぼ不死身の軍隊を作ることが出来る。この世の中にある大抵の武器じゃ、君達の足並みは乱せても完全に止めてしまう事までは出来ないだろう。いっその事、今の一般人達が中枢を握っている政府を武力で倒して、その上に新しい能力者の政権を建てようとか思わないのかい?」

 智和は顔をしかめた。「警察官が犯罪をそそのかしてどうするんですか」しかも真剣に、冗談を言っているようにも思えないのは致命的だった。瀬田は間違いなく能力者ではないはずで、学校や寮に足繁く通う熱意と同じぐらいに今回の事件の犯人たる能力者が学校関係の人間だと思っている。悪意のないことが最低だと智和が思わず感じてしまうほど素直に、瀬田は一度だけ智和に犯人に心当たりはないかと訊ねたことがあった。

「まあ、クーデターは確かに悪だけど」両ポケットに押し込んでいた手のひらを出して、瀬田は降参のポーズを作る。「血の流れない革命っていうのなら多少、外野を騙して利用してもいいのかね」

「騙している時点で誠意はないと思いますけど」応えながら、これは一体何の話だと瀬田を見る。

「騙されてるほうは気づいていないから、いいんだよ」自分ひとりだけ納得するように頷いて、彼は言葉を続ける。「ただ、騙すほうっていうのは騙されるほうの感情を操るのは得意なんだろうけど、自分達にとって得な結果が出た後の後始末まできちんと考えているかどうかといえば微妙な話だと思わないかい?」

 智和は眉間にしわを寄せた。「瀬田さんの言いたい事が、全然分からないんですが」一方で、ようするに、と仮説を立てるような心持で瀬田の言わんとすることを解釈しようともしていた。騙すほうは騙すだけの理由があってそれをする、騙されるほうはその理由に見当がつかないから騙される。けれど、騙すほうは結局騙した結果が一番大事なのだから、その後の事までは考えていない。だから後始末はずさんなもので、この時点で騙されていたことになる人間は気づいてしまう。――何かに置き換えれば見えてくるのだろうか、と、頭を巡らせはじめたところで、両手のひらを打ち鳴らす乾いた音に智和は思案を遮られた。

 重ねた両手を離してからもう一度鳴らし、瀬田は笑む。「ま、たいした理由はないんだけどね。世論を誘導するっていうのはようするに、そういうことなんじゃないのかな、と思って」

「満天会が世の中を騙してるっていうんですか?」声高に叫べば叫ぶほど、それが真実だと思う人間がいることはいる。学校が常に選択し続ける、沈黙することの美学、みたいなものは世間で必ず受け入れられ賞賛されるものとも限らなかった。黙っているのは不利になるからだ、とまったくありもしない事を深読みでもしたかのように叫ぶ人間もいた。

「さあ、それはどうだろうな」はいにもいいえにもならない返事をしてから、瀬田は左腕の袖を少しあげて手首に巻いた時計を見遣る。確認した時間に苦笑いをして顔をあげた。「駄目だね。宮野君と無駄話をするのは楽しくて仕方ないんだよ。仕事がないんならもっとじっくりゆっくりと話をしてみたいのに。たとえば将来の話とか」

 思わず、智和は笑った。子供が大人に将来の話をする、というイメージから連想するもののどれにも、自分とこの警察官はふさわしくないように思えたからだった。無条件に目の前に広がっている未来が輝かしいものだと断言して、存在するわけもない仮想のヒーローを夢見るのでも、大人びて現実を受け入れた上でぼちぼち平凡な将来を選択するほろ苦さも、智和が口にする時点で、語る相手が警察官というのはいささかおかしな気分がある。僕は将来、こんなことがしたいんです。と彼に語る日が来るとするなら、そのしたかった事を諦める時ではないか、とも感じていた。抱いている夢をそっとおすそ分けするような気持ちで打ち明けるよりはずっと、捨てようと決心した夢を夢のゴミ捨て場に捨てる心境で白状するほうが近いだろう。


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