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第6話

 最後の問いかけはほとんど謎解きのような体裁だったので、ゆっくりと口を開いて坂田が発した言葉が嫌悪感交じりだったのは、馬鹿にされたと判じたからなのだろう。見下された、と憤っているのかもしれない。小さく映る、テーブルの上に乗っている彼女の手のひらがますます小さく硬く握りこまれ、そして震えているように見えた。

「怒らないでくださいよ。これが一番分かりやすい例え方だと思っているだけなんです、私は」岩崎のそれは、さも困っているような言い方だった。

 けれど反対論者を激昂させるなりして冷静な判断を損なわせるのは、岩崎洋一郎の十八番とも言えて、明らかに敵対しているはずの坂田恵子がまんまと罠に嵌ってしまっているのは逆に、彼女自身の不甲斐なさを露呈しているふうにも感じられてしまう。何気なくこの番組を見ているだろう、視聴者の中の何人が、坂田の弱さに呆れて岩崎のパフォーマンスに飲まれてしまうのだろうと想像すると、少しだけ憂鬱な気分になった。

「当然ですが、坂田さんがこの、他人の銀行通帳から金を引き下ろす犯罪行為をしようと思えば、必要なものはいくつもあります。まずは暗証番号。もうひとつは預金通帳。私は用心深いのでそうそう分かりやすい場所に預金通帳を置かないようにしているんです、暗証番号も家族の誕生日はもちろんのこと電話番号も社会保険番号も使っていない。これは用心のためです。自分で出来る精一杯のね。でも、能力者が私を操ってしまえば、私は自分がどれだけ用心していても能力者に通帳の在り処を伝え、暗証番号も教えてしまうでしょう。心を読まれても同じことです。――ようするに、一般人が犯罪を起こす限りなら、私達は自己防衛のしようもありますが、能力を使われれば最後、一般人の私達では手も足も出なくなる」

「でもその話だと、結局は自制心の問題、って事にもならないかな?」と、沈黙を守っていた司会者がここで口を開いた。Uの字の真ん中に座っている生真面目なアナウンサーというよりはおどけたコメディアンのほうが似合いそうな風貌でネクタイをきっちりと締めた彼は岩崎を見遣り、反論ではなく話題を楽しんでいる表情で首を傾げてくる。「岩崎会長が今例え話にした坂田さんだって、犯罪を犯せる状況にはあるわけだけどやっていない。早い話が、出来るけれどしないんだ。だったら能力者が持つ能力にしたって、彼らが持っている事そのものが犯罪に直結するとまではさすがに岩崎さんでも言えないでしょう?」

 岩崎は首を横に振った。司会者の問いかけに、付き合ってられないと厭きれてしまったようにも、問いかけそのものへの否定のようにも映った。

「私は、足を使って走る事に違和感を覚えたりはしませんよ。近所の悪がきを殴るために拳を振り上げるのも躊躇わない」岩崎の淡々とした発言に、細身の坂田の隣に座っている大柄な女性が露骨に顔をしかめるのをカメラは絶妙なタイミングで切り取っている。相次ぐ能力を持った子供に対しての悲惨な児童虐待の実状から能力者の保護を訴えている、有名な人権家である彼女からすれば、悪がきとはいえ暴力をふるうと断言する岩崎に不快感を覚えたのだろう。目ざとく察したらし岩崎が、ごまかすように唇の端を引き上げて笑った。「もちろん、不用意に暴力に訴えるつもりはありませんけど。でも、私がそう判断できるのはこれまでの人生の経験からです。そう、自制心の問題というのはようするに、経験の問題でもある。していいことを学ばせ、してはいけないことを教える、そのどちらが欠けても駄目なんです」

「まるで、今の能力者の人達には、それが欠けているような発言に聞こえますけど?」坂田のそれは、反論ではなかった。率直に、岩崎の謝罪を求めるものであった。

「彼らが通っている学校の教育プログラムをご存知ですか? きっと坂田さんは息子さんが通っていたのだからご存知でしょうが――、さて、他の方々はどうでしょう?」言葉を切り、一度ぐるりとUの字のテーブルをなぞって目を動かしてからまた、岩崎は坂田へ視線を置いた。そうして首を傾げる。元の位置に戻ってきたのではなく、この場にいる論客たちのうちで坂田恵子を一番最初に倒してしまおうと意気込んでいる風に、続けられた言葉はさっきまでよりも薄く熱を帯びている。「実は普通の学校のカリキュラムとほとんど変わらない、数学を教え社会を教え国語を教え、違うのは能力の制御と応用にかかわる授業が週に二回程度あるだけです。他の、九割の一般人である子供達と同じように教育を与えようとした結果の愚策、だと私は思っています」

 反論しようと口を開きかけた坂田を遮ったのは司会者だった。これは聞いておかなければならない、と使命感に燃える口調で岩崎に問うた。「愚策だと思う具体的な理由はなんですか?」

「私達は無意識に、戦中、能力者を積極的に徴用して戦地に送り続けていた罪悪感を持っているんですよ」質問に岩崎は眼差しを司会者にやってから至極冷静な口ぶりで返答した。そうしてから、言いかけた言葉を喉に詰まらせでもしたような渋面をする坂田を一瞥し、重々しく頭を垂れた。罪を今まさに懺悔しようとしている、そんな風に映ってしまうのがとても卑怯に感じられて、間近で見ている坂田ばかりではなくブラウン管越しの智和でさえ無意識に、眉をひそめて険しい表情を作っていた。

「確かに戦時中、政府は能力者を重宝しました」岩崎の声は態度と同じくとても重々しかった。「記録にもはっきりと残っている、銃弾を浴びても簡単には死なない驚異的な回復力はさぞ敗戦色の濃くなった時期には魅力的だったでしょう。到底正気とは思えない作戦に駆り出され、一般人にはない回復能力でも追いつかないほどの怪我を負い、いまだ遺体も遺品も見つかっていない人々はたくさんいます。能力者の戦死者は明らかに多すぎるものでした」

 司会者がちらりと視線をテーブルへやった。「何年か前に発見された資料では、能力者は軍人としてではなく兵器として戦地に投入された、と記録があったそうですね」カンニングペーパーでも読んでいる、とても単調な調子で言ってから顔を上げて坂田のほうを見遣った。この事に関しては貴方が一番詳しいでしょ、と話題を振っているのだろう。「派遣でも派兵でもなくて、投入、なんですよね」

「戦前は、能力者の人権、というところにまで政府の目は行っていませんでしたから」応える坂田の表情が物静かに翳った。伏せられる瞼がかすかに震えているのを、アップした場面が映し出す。「九割と一割です。能力者の中には神がかり的な力だと祭り上げられたものもいますが、ほとんどが忌み子や鬼子と呼ばれて忌み嫌われていたそうです。政府は能力者を集めるのに、当時では簡単に手に入らなくなっていた物資を与えると住民をそそのかしていたとも記録には残っています。人柱か生贄のように差し出されて、激戦の最前線に送られた者もいました」

 しかも扱いは「兵士」ではない。口を利ける便利な「兵器」としての処遇がどんなものだったかを想像しても分かるのは、どす黒い色をした絶望ぐらいなものだ。

「それで罪悪感を持つな、とは確かに無理な話ですね」司会者は苦笑いして首を振る。言葉のままの悲惨さを受け止めているわけではない、どちらかといえば重たすぎて両手から投げ出してしまっているような感じだった。不謹慎なほどに軽々しく、言葉を選んで喋っているのが伝わってくる。「戦争なんだから仕方ない、って話もあるにはありますけど」

 岩崎は頷いた。その通りだ、と言いたいのは明らかだった。「敗戦後、戦勝国の指示は明らかでした。彼らは能力者を二度と無理に徴用して戦地に投入する事を禁止した。そして今までの能力者に対する様々な差別を撤廃するために法律を作り、私達に守るように命令してきました。もちろん、敗戦国である我が国がその命令を無視できるわけもありません。その結果誕生したのが今の、能力者組合なわけです」

「占領政策の庇護のもとで能力者組合は能力者の自立と自由を謳い、現在のような組合体系を作ってきたって話ですね?」司会者はまたちらりと視線を落とす。自分の発言が正しいかどうか確認している様子で、「あー……、以前は共存を理念にしていたこともあったみたいですけど、いろいろあって断念したみたいですね」小さくあごを引いて頷いてから顔を持ち上げた。「日本社会は能力者が生まれるとまず、家庭内で抱え込んで問題が深刻化することが多々あった。だから虐待を受けている可能性のある能力者の児童を強制的に親元から引き離す施策が取られ、そんな子供のための養護施設が出来た。続けて学校。これは確か、一般人の学校では能力の制御について教えるのは難しいという判断からでしたっけ?」

「聞こえがいいからといって騙されてはいけないんです」岩崎は表情を硬く強張らせた。「まず最初の児童を保護する制度ですが、これは能力を持つ児童の肉体には物理的証拠が残らないので、その子供が本当に虐待されていたのか確認する術はありません。中には、保護しようとする組合の職員に半ば脅されるようにして子供を奪われたのだと主張する親御さんもいます」

 途端、岩崎の言葉に食って掛かるかのようにテーブルを激しく叩く音がした。椅子を押し倒す強さで立ち上がったのは、Uの字のテーブルで真ん中から見て坂田のほうに座っている男で、智和は白髪交じりのその初老の男が何者なのかは同じように下に出てくる紹介文を読まなくても理解できた。能力者組合の幹部、智和が通う学校で校長をしている伊沢だった。「それこそ、虐待する親の言い訳でしょう!」記者会見でぶつけられる悪意にも滅多に荒げない声で叫ぶのは、さすがにここまでの岩崎の発言に怒りが抑えきれなかったかららしい。苦々しく顔を歪め、口を開いていた。「一般人の親子の間にも虐待はあります。死んでしまった我が子にさえ、あれは躾だったのだと嘯く親もいるぐらいなんですよ。能力を持つ子供はただでさえ傷が残らない。親が、虐待はなかった、職員が勝手に連れて行ったと主張し続けることも出来るでしょう。けれど、近所の住人の皆さんらは聞いているんですよ。泣き叫ぶ子供の悲鳴も、助けを求める声も!」

「もちろん私も、すべてが能力者組合の職員によるでっちあげだとは思っていませんよ?」でっちあげ、の部分だけを不自然に強調してから岩崎は首を振った。「でも、そう主張する親御さん全員が嘘をついている、とも決め付けられないんじゃないですか? 私が言いたいのは、能力者組合は過剰反応をしてはいないか、ということです。能力者の人権を守るために、別の一般人の人権を侵害してはいないか、という話ですよ。そう、根本的な問題はね、能力者の保護を組合に一任して、人権云々も結局、組合任せになっているということです。能力者のことは組合に聞け、と政府でも何でもそう言い出すほどにね」

 扉を遠慮がちに叩く音が聞こえたのはこの時だった。リモコンでテレビのボリュームを下げてから、「はい?」と返事をすると、「ああ。智和、俺なんだけど」と扉越しに友人の声がした。

 リモコンをベットの上にまた放り出して、扉を開ける。智和が組合の経営する養護施設に引き取られてからずっと同じ生活をしてきた友人、庄治は視線を、出てきた智和の頭のてっぺんからつま先まですっと一回落としてから、「なんだ、帰ってきたのにまだ制服から着替えてなかったのかよ」と顔をしかめる。そういう彼も制服のままだが、通り魔が出没して学校に厳しい偏見の目を向けてくる住人が多くなっている最中でも繁華街に繰り出せる無謀さを持っているのがこの友人なので、きっと寄り道でもして帰りが遅くなったんだろうぐらいにしか思わなかった。

 一応ため息をついてから、目を細めて親友を見る。「こんな時にどこに行ってたんだ?」


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