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第7話

「まあ、想像にお任せするから」簡潔に、遊びに行っていたんだ、と白状するのと同じだった。遠回しな言い方でも付き合いが長ければその分だけ、相手が言いたい事は要領よく伝わってくる。

 だから、智和がひっそりともう一度ため息を付いた意味のほうも、彼にはしっかりと明確に伝わっているわけで。「まあまあ、人通りの多いところを通ってきたし。それに制服の上にちゃんとジャケットも着てたから俺が能力者だって気づくやつなんていないって、心配しなくても」言い訳なのか主張なのかは曖昧ながらも応えて、庄治は大きく頷いた。「そうだ。お前のことを柏木が呼んでたんだけどさ」ついでのように付け加えてくる。

 おそらく、というよりもきっと、付け加えられた言葉のほうが本題に違いない。怪訝に首を傾げる智和に、「ちょうど部屋に戻る時に一階の靴箱で会って、呼んできてほしいって頼まれたんだけど。あ、今日お前のクラスに転校してきた女の子も隣にいたっけ」時間にしても精々十分かそこら以前の事なのだろうが、首をひねって考え込む様子はずいぶんと昔の事を思い出しているように見える。お前にとっての昔はいつの話なんだ、とため息混じりに言ってやりたくもなったけれど、文句はひとまず噤んで、智和は疑問を口にした。

「柏木さんが? 工藤さんと?」靴箱で何を、と想像してみるけれど思いつくことはない。

「なんかとっても困ってる感じだったけど、心当たりとかあるか?」庄治も首をひねっているが、智和と同じように考え事をしているのではないらしい。続けられた不満げな声がそれを証明していた、「でもさ、たまたま通りかかったんだから、俺に頼みごとをしてもいいと思わないか? わざわざどうしてお前を呼んできてほしいなんて頼むんだろ」単に頼りにされなかった事への不満をつらつらと口にしてからため息を落として、智和を見る。「お前と俺じゃ、そんなに頼りになる度合いが違うのかねぇ」

 大げさに言えば恨みつらみにでもなりそうな眼差しを、漂う煙のように手で払いのける仕草をしながら智和は応えた。「頼りになるならないの問題じゃないと思うけどな」

 おそらくはそういう問題以前のことで、親しいか親しくないかの話なのだろう。

 柏木は一般人の親と良好な関係を築いている数少ない能力者のひとりなので、能力者組合が経営する学校に寮生として入学してきた。生徒会の仕事中にたまたま世間話程度の気軽さで聞いた話では、一般人ばかりではなく同じ同胞として能力者との関係を築いていくほうが今後の娘のためだと彼女の両親が決断して入学を薦めたらしい。親に見捨てられる事がある意味で当たり前の能力者社会で、柏木留美は明らかに異質な存在だった。そうして、異質、というレッテルを貼られた生き物が、その空間内でとても生きにくい事はどんな世界のどんな場所でも、馬鹿馬鹿しいぐらいに同じ事である。

 庄治は柏木と面識はあるし、庄治自身は軽々しい雰囲気の男ではあるけれどとてもいい奴である。けれどどうにも、柏木の警戒心を解くほどの距離にはまだいないのだろう。

「何か相談事があるみたいだったらさ、俺も一緒に行っていい?」質問にはなっているけれど、断ったところで絶対に引っ付いてくる気は満々だと分かる。

「柏木さんが嫌がらなければね」彼女なら少し顔を強張らせてもすぐに笑顔で頷いてくれそうな予感があったけれど、わざと他人に好かれようとしてそんな笑顔を作っているのが智和にはとても痛々しく思えていた。一般人の世界では能力者である事がそのまま異質である事と繋がっていて、能力者の世界では愛される家族がいる事で異質になっている。少しでも誰かの輪の中に入りたい、思って一生懸命な柏木を見ているといつか彼女が大声で泣き出してしまうような気がして、不安で不安で仕方がないのだ。「あんまり彼女に無理強いはしたくないし」

「生徒会長としては部下を気遣うのは当たり前って?」庄治が首を傾げる。

「茶化すなよ」言いながら、これは本当にからかわれているんだろうかとも怪訝に思っていた。

 テレビの電源を落としてから一階へ向かう。階段を下りきると、「先輩!」慌てた声と一緒にスリッパで軽快に廊下を叩きながら柏木が駆け寄ってきた。何か問題が起こったんだな、とは庄治が「柏木が呼んでいる」と言った時にはもう思っていた事だったけれど、落ち着かない目で自分を見上げてくる後輩の赤らいだ顔を見下ろしているうちに、何か問題、ではなくて、大変な事が起こったんだな、と感じ始めていた。「とりあえず落ち着いて、柏木さん。何があったのかな?」出来るだけゆっくりとした口調で訊ねながら柏木を見る、彼女がまだ制服を着ているのに気づいて少しだけ動揺した。

 柏木よりは静かに近づいてくる足音に顔をあげる。柏木の頭越しに、少し眉をひそめた悠里と目が合った。「少し困った事が起きてしまって」

 だからどんな事が起こったのかな? と再度、柏木になのか悠里になのか、はっきりしないまま質問しようと口を開きかけたところで返事が返ってきた。柏木でもなく悠里でもなく、落ち着いた男の声は、最初のふたりと同じぐらいには困っているようにも聞こえたけれど、ふたりほど途方にくれているようではなかった。

「工藤さんの引越しのダンボールが届いてないんだよ」顔を動かして、彼のほうを見る。智和の視線を受け止めて、寮監は小さく肩をすくめた。すでに学校を卒業し、能力者組合の職員としてここの寮の監督をしているわけでが、その所作は同年代ぐらいに子供っぽく見えた。「どうにも配達会社に聞いてみたら配達場所を間違えて全然違うところに行っちゃったみたいでね。一応こっちに配達してくれるようには頼んだけど、それでも届くのは明日になりそうなんだ」いかにも困ったね、と眉を下げる。

 それが大変な事なんですか? と喉まで出掛かってどうにか堪える。目を悠里のほうへやると、当人もさっき見たままの困り顔でこくりと頷いた。「届いてないダンボールの中に、その、いろいろ入ってて。授業でいる教科書とかはあるから、明日の学校の事については平気なんですけど、」

 言いづらそうに一旦切られた言葉に首を傾げる智和へ、ほとんど叱責の形に近い声がすぐさまぶつかってきた。

「先輩!」すぐ間近、いきなり張り上げられた声に智和がぎょっとして見るからに体を震わせて驚くと、顔を上げた柏木はさすがに罰が悪いと表情を歪めてから声をひそめた。思わず、叫ばずにはいられなかった、といった感じだった。おずおずと遠慮がちに顔を近づけてくる。「――、あの、察してください。お願いですから」

 疑問もなにも口に出すより先に、シャツの後ろ襟を思い切り引っ張られて、ぐっと喉にネクタイの結び目が食い込んだ。柏木の赤らいだ顔が少しだけ遠ざかり、耳元で露骨にため息が落とされて、庄治の声が聞こえてきた。「ようするに、服の類が全部ないんだよ。その別のどっかに配達されたダンボールのほうに洋服はもちろん、下着とかブラジャーとかも入ってたから困ってるんだろうなぁ」

 理解できるまで、束の間、沈黙があった。庄治の言葉が脳の隅々まで行き届いた瞬間に赤面する智和から、理解したのだと納得した様子で寮監が口を開く。

「まあ、そういう事なんだよ。普通に服がないだけなら他の女の子に借りてくれとでもいえるけど、さすがにね、肌の直接つけるものまで貸し借りしろとは言えないでしょ?」

「そ、それで」舌先が乾ききってしまったみたいに言葉がうまく出てこなかった。一度唇を閉じてからもう一度開く。「それで、どうして僕が呼ばれたんですか?」

 寮監は腕組みをした。長身で同性から見ても整った顔立ちをしている彼がそうするとそれだけで飾られる芸術品のように見栄えがいい、「ないんだったら仕方ない、買いに行くしかないだろう?」と、言ってまた困った顔をする。「でも、工藤さん一人を行かせるわけにはいかない。彼女はまだこのあたりの地理には疎いし、最近は切り裂き魔の他にも組合関係者を狙った事件が増えてるから、用心しなくちゃ」

「私なら大丈夫です」悠里が断言する。根拠のない主張にも聞こえるが、そもそも用心なんて必要ないと割り切っているふうでもあった。「地図さえ書いてくれれば私一人でちゃんと行けます」

「――だと、彼女はずっと言い張るんだけどね」困った表情に少しばかり苦笑を滲ませて寮監は智和に肩を竦めてみせてから、視線を悠里のほうへやった。「でも何か問題が起こったら全部、君の不始末じゃなくて僕の責任にもなるからね。寮監っていうのはようするに、寮で生活している子供たちの安全を管理するのが仕事だから、危ない事になるかもしれないって分かってるのに、ここで君一人を行かせるわけにはいかないんだよ」

 駄々をこねる妹をあやすような言い方だった。事実、寮監にしてみればそんな気持ちだったのだろう。寮で生活している子供達はみんな、僕の弟や妹みたいなものだから、と彼が照れくさそうに話をしているのを聞いたことがある。

「でもだったら、寮監が付いていけばいいんじゃ?」庄治が首を傾げた。それは智和も気になっていた事だった。

 話の流れからいけば、悠里の買い物に付き合ってほしいんだけど、と寮監に頼まれそうな感じである。もともと彼女の世話は恩田教師から頼まれているし、断る理由もないのだけれど、一人で行けると言い張る彼女に無理に誰かをつけようとしているなら、人に頼むよりも先に自分が率先してついていくのが寮監の性格といえばそうだ。それに一人から二人に変わったところで、寮生である事は違いなく、切り裂き魔や能力者を標的にした犯罪に巻き込まれない確率が増えるわけでもない。ひとまず、迷子になる事はなくなるだろう、ぐらいの事だった。

 疑問の矛先を向けられた寮監は困り顔で頷いてから、視線を少しだけ上向けた。

「まあ、そうなんだけど」廊下の壁にかかっている時計を見遣り、そうしてから智和を見る。「ちょっと外せない大事な用があって、外に出なくちゃいけないんだ。工藤さんの買い物に付き添う時間がなくてね。それで智和君に白羽の矢を立てたってわけだよ」言って、小さく頭を打つ。

「あ」その大事な用事というのが何かわかった気がして、智和は小さく声を上げた。「お母さんと会う約束でも?」

「母と?」どうして? と言葉にするまでもなく顔にでかでかと疑問符を浮かべて寮監は首を傾げた。あれ、違うのか。その反応に智和は目を瞬かせてから、「あ、いや。すいません、ローカルチャンネルの生放送で寮監のお母さんが出演してたから、てっきり」言い方は少し謝るようなそれになった。確かあのテレビ局は車で三十分ほどの場所にあった。寮監をやっている以上滅多な事では長時間外出も難しいので、親が近くまで来ているときを見計らって会うんじゃないかと思ったのだ。

 得心した様子で寮監は頷いた。「あぁ、そういえば母さん、生討論会に出るとかいってたよ。でも、終わったらその足ですぐ事務所のほうに戻らないといけないらしい。あの人もあれで大忙しだからね」それでも一目、息子に会いに来る事ぐらいはできるんじゃないか、と思いはしたものの、口に出すことはできなかった。――能力者の間で家族の話は禁句だ、たとえそれがあんまりに世間的に有名な母子であっても同じ事だろう。

 ただ、坂田恵子が息子に会いにこない。その事に多少なりとも、がっかりしている自分がいることを智和は無視できなかった。


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