目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第13話

「別に、ただ挨拶をしただけです」

「まあ、挨拶でも嫌味でも構わないけどね。山県さんのあれは性質が悪かったほうだと思うし、君が怒っていても仕方はないだろうから」肩をすくめてから瀬田は歩き出した。智和を追い抜いて、肩越しにちらりと一瞥して前を向く。その背を少しだけ眺め、数歩距離を置いてから後に続いた。瀬田が再び口を開いたのは、エレベーターの前だった。横にあるパネルの下ボタンを押す。「完全に犯人扱いだったでしょ? もしくは共犯者扱い、っていうのかな。捜査会議の中でも、君が捕まったんだから犯人は君でいいじゃないかみたいな話にもなってたしね」

「別件逮捕、ですか」

「そう。別件逮捕」難しい漢字をよく覚えてたね、と子供をほめるような笑顔で瀬田は頷く。

「――、工藤さんのほうはどうだったんでしょうか」犯人扱いされている、という事にはさして腹を立てる気にもなれなかったので、ほとほと今さらではあったけれど、工藤悠里の事を訊ねた。智和の事情聴取が打ち切りになったのなら彼女のほうも終わったのだろうが、同じように犯人扱いされていたのだろうか、と少し心配になって眉根を寄せる。「彼女は今日この町に越してきたばかりで、犯罪をするにも手を貸すにも、土地勘も何もないから無理だと思うんですけど」山県と対峙している最中にほとんど思い出す事も心配する事もなかった罪悪感からか、つい庇うような言い方をしていた。

 瀬田が息をつく。その程度の事は教えてもらうまでもなく調べればすぐに分かる事だ、とでも言いたげなため息だった。「どういうわけか、その工藤さんには警察官も丁寧だったんだよ」智和が事情聴取を受けている部屋に行くより前に瀬田は、工藤悠里のところへ行ったらしかった。「女の子だしね、かわいいし。そんなに酷い扱いを受けているとは思わなかったけど、一応男の子である君よりは優先すべきかなって思ってね」口調は言い訳がましかった。智和自身は全然気にしていないのだから、意図的に後回しにしたのではないと懸命に説明する瀬田は滑稽でもある。「でもあれは、別に工藤さんを後回しにしてもよかったかもなぁ」最後はぼやくように締めくくった。

「そんなに違ってたんですか?」智和は首を傾げる。

「部屋に入ったら完璧に立場が逆転してたんだよね。完全に」瀬田は頷いてから目を細めた。その時の光景を思い出そうとでもしている表情でもう一度、頭を打つ。「工藤さん、ちょこんと椅子に礼儀正しく座っててね。その前に、君のところの山県刑事ぐらいのいかつい刑事さんと婦警さんが座ってたんだけど。ふたりとも敬語で工藤さんに話しかけてるんだよね。しかも、工藤さんが気になって質問した事はほとんどなんでも、捜査会議でしか出てきてないような事まで律儀に喋ってたし。あれは、なんだったんだろうねぇ」訳が分からないと言いたげに首を捻る瀬田の前でエレベーターが安っぽい電子音を響かせて扉を開ける。無人のその中に乗り込んで、一階のボタンを押してから彼は、智和のほうを見た。「彼女も能力者なわけでしょ? あれかな、暗示とか?」

 小さく床が揺れて、エレベーターが動き出す。「知りませんよ。そんな、能力の事を話すまで親しいわけじゃありませんから」けれどもし仮に、第三者に暗示をかけて思いのままに操れる能力を工藤悠里が持っていたとしても、こんなところで使う必要性がどこにあるんだ。とも思った。一般人はよく勘違いするけれど、能力者にしたっていつも好き勝手に能力を使っているわけではないのだ。ここではどんな会話をすればいいか、それとも喋る事自体を控えて口を噤むべきなのか――、一般人がごく当たり前に言葉や話題を場面や場所で選ぶように、能力者も力の使いどころと使ってはいけない場面ぐらい心得ている。たまに無遠慮な能力者もいるだろうけれど、それは葬式で不用意な事を言って失笑を買う人間がいるのと似たようなものだろう。

 悠里がどういう人間か。それこそ一日そこらで、彼女の本質まで見分けられる才能は智和にはないけれど、警察で暗示なんて力を使うほど世間知らずな人間だとは思えなかった。しかも、能力者が犯人だろう殺人事件の第一発見者として、事情聴取を受けているという場面で、だ。

 エレベーターが停止する。さっきと同じ電子音を鳴らして扉が開く。

「彼女がどんな話を刑事に聞いていたか、知りたい?」一階の廊下に出たところで瀬田は立ち止まって振り返った。はい、といえば教えてくれるのかも妖しい、言葉遊びのような訊ね方だった。

 なんとなく、自分がどんな返事をしても答えは最初から決まっているような予感が瀬田の顔を見遣った瞬間に閃いたので、智和はそのままの気持ちを彼に投げてみた。首を傾げ、半分呆れた声を出す。

「どっちにしても、教えてくれるんじゃないんですか?」

「図々しいなぁ、宮野君は」言葉の割りには満足げに瀬田は笑い、こめかみを掻いた。「満天会会長が殺害された今回の事件と、今までの切り裂き魔の事件の犯人は同一人物だと思うかって、彼女は刑事さんたちに質問してたよ。刑事さん達は首を傾げてたけど、宮野君はどう思う?」浮かべている笑みに苦さが混じれば、瀬田が思っている事はたぶん自分と同じなのだと智和にはすぐに察しがついた。とても簡単な話は、謎かけどころか問いかける形にする手間も、本当ならいらないのだろう。

「同じだとは思えませんけど、」だからそう即答した。相槌を打つ瀬田に、智和も頷いた。「切り裂き魔は人を切り裂くからそう呼ばれているんでしょう? 僕が見た岩崎会長の死体は、とても綺麗な状態でしたよ」そうして言葉とともにあの光景を再び思い出して、顔をしかめる事になる。

 あれはいま振り返ってみても、咄嗟には死んでいるとも気がつかない遺体だった。明らかな致命傷もないのだから、滴り落ちる血の匂いから死の気配を嗅ぎ取る事もできなかった。また息を吹き返してもおかしくはない、動き出しても違和感のない、けれど停止していた――だからこそ、死んでいるという事実が何よりもおぞましい遺体だった。死に様に戦くのではないのだ、生きていてもおかしくないものが死んでいる、その自体そのものが恐怖なのだった。

「綺麗な死体といえば、」瀬田が思い出したように言う。「あの車にはもうひとつ、遺体があったって宮野君は気づいてたかな?」

 智和は顔をしかめた。「もうひとつ、遺体?」そんなものがあっただろうか、と記憶を反芻する。

 後部座席には岩崎洋一郎の遺体しかなかったはずだった。じゃあ他のどの場所に遺体があったんだろうかと考えて出すとすぐに、運転席のことに思い至る。あの場所に車が停車されていた事実からして、誰かが運転してきたのは間違いようもないはずだ。もちろん死亡した岩崎洋一郎自身が運転し、あそこについてから運転席を降りて後部座席に座った、という事も考えとしてなくはないけれど、そんな面倒な事をどうしてしなければならないかという疑問は残る。学校帰りに同じ車を見た時は運転手がいたようだったから、岩崎洋一郎の死体とともに車の中にあったのは運転手のものだろう。

 だとすれば、あんな騒ぎの中で運転席から誰も出てこなかった理由にもなる。

 推測に智和は確信をもって頷いたけれど、返してくる瀬田の答えは智和自身が思っていた事からはかなりかけ離れたものだった。

「車のトランクに子供の死体。死後二時間ぐらいは経過した、四歳ぐらいの女の子の遺体が出てきたんだよ」

 想像にかすりもしていない発言に面食らった智和へ、瀬田は苦笑いを浮かべて肩をすくめた。「あ、やっぱり驚くよね? なんで岩崎会長の車のトランクに女の子の遺体があるんだって、謎もいいところだよ。しかも、何か事件性があるのは確かなんだろうけど、その子の遺体自体には目立った外傷もなければ不自然なところもない。見た感じ、体の中の病気で亡くなっているらしくてね」言って、その体の中をさするみたいに腹部を撫でる。「どっちかといえば、トランクの中に入れている間に死んだっていうよりは、ちゃんと死んだのを確認してからトランクに入れたって感じなんだけど」

 ちゃんと死んだ、とはやたら不謹慎で軽々しい言葉のように聞こえた。ちゃんとしていてもしていなくても、人が死んでしまう事にはなんら変わりはないじゃないかとも思う。気持ちがそのまま批判めいたものとして瀬田を眺める眼差しによぎったのだろう、苦笑いを深める彼の表情はふと苦しい言い訳をするような硬く強張ったものになっていた。

「遺体泥棒ってやつなんだろうね。日本では珍しいかもしれないけど、よその国じゃそれなりにある事らしいし。遺骨泥棒も含めて」

「満天会の会長が、そんな泥棒に手を出さなくちゃいけない理由も思いつかないんですけど」犯罪を犯す人間の心理なんて分かるはずもない。思う一方で、でもこの時期にそんな犯罪めいた事をする衝動が岩崎洋一郎を襲うのだろうかとも疑問はあった。切り裂き魔の事件を背景に、能力者を管理する法案への期待度が増している最中の事だ。世間では能力者を擁護する団体と戦う急先鋒の代表である彼が、わざわざ自分の信頼を失墜させる事をしでかすとはあまり、想像できなかった。

 犯罪をするのに時間もタイミングもないかもしれないけれど、ここ一番、という時に醜聞を晒したいと思うだろうか。

「ま、あの工藤って女の子は、その女の子の遺体の話を聞いた後で、さっきの質問をしてたんだけどさ」瀬田は首を傾げた。

「その女の子の遺体が、切り刻まれてでもいたらそれは、同一犯か関係者って事にはなるんでしょうけど」答えながらも、そういう事態にならなくてよかったと安堵している自分がいた。日本人、いや人間自体にいえる事なのかもしれないが、子供が巻き込まれる事件に対する関心の強さと憤りの激しさは、他の事件に対してよりも明白だ。子供が通り魔に襲われた、といわれるのと、通行人が通り魔に襲われた、では同じ状況を指していたとしても感じるところはまるで違ってくる気がする。外国で起こった大規模な事件や災害に日本人の被害が出ていないと分かった瞬間、ちょっとだけでもはっきりと他人事になってしまう気持ちに似てなくもなかった。

 そうしてから、でも誰かが死んでしまっている事には変わりがない、と落ち込む。薄情だな、と半分あきれる。

「ねえ」と、瀬田が声を発した。沈んだ気持ちを引き上げるのと同じ要領で顔を上げて彼を見ると、瀬田は首を傾げたままでまじまじと智和を眺めていた。「あの工藤さんって、何者?」君はその正体を知っているだろう? とばかりの言い方だった。思わず神妙に翳っていた表情が柔らかくゆるんだのは、まるで正義の味方の素顔を教えてくれとせがんでいる子供みたいな口調で瀬田が言ってきたからだった。智和は首を振って、とりあえずはぎこちないながらも薄く笑った唇を開いて答えた。

「単なる転校生、だと思います」

「思いますって、断言できないって事はそれなりに君も、あの子の事が気になってるって事?」意地の悪い揚げ足取りの第一歩、という感じではあったけれど、つつかれてもあまり嫌な気分にはならなかった。少なからず工藤悠里の事を、単なる、で形容できるような転校生ではないかもしれない、と思っている証拠かもしれなかった。

「瀬田さんが工藤さんの何を気にしているかは分かりませんけど」では智和自身が何を根拠にして彼女を気にしているのかと問われれば、さほどはっきりとした理由は見つけられなかった。形にするには曖昧すぎる小さな違和感みたいなものがひょんな偶然で一箇所に集まった結果としての、疑問、というのが一番しっくりくる例え方かもしれない。偶然とは、瀬田の疑問であり、ここで彼に工藤悠里への違和感を教えられなければ気づく事もなかっただろう産物だった。

「ま、職業病って奴かもしれないけどさ」くるりとエレベーターのほうを向いて、瀬田は言った。「なんていうかあの子、普通の学生さんって気がしないんだよなぁ。見た感じ」

「じゃあ、なんだと思うんですか?」最上階まで上がっていたらしいエレベーターがゆっくりとした速度で下りてくるのを、パネルに表示された数字が4からひとつずつ小さくなっていくので確認しながら智和は質問した。瀬田が口にした、職業病、という単語はいかにも彼が言い逃れのために用いた方便のように聞こえていて、実のところはちゃんと思うところがあるのではないかと疑ってもいた。同時に悠里のことを、自分と同じぐらい、もしくはそれ以上に知らないはずの瀬田刑事が見た目だけで何を感じ取ったのかも、はっきりと知りたい事だった。

 瀬田は笑って、「少し落ち着こうよ。宮野君」嘶いて興奮する馬でもあやすように両手を動かす。自身の口振りが気づかない間に熱を帯びていたのに、そこで気づいた。思わず赤面し口を噤んだ智和に、「別に彼女が犯人だとか、共犯者だとかは思ってないよ。君の言う通りだよ、切り裂き魔の事件はあった時には彼女はこの町にいなかったんだし、今回の岩崎会長の事件では転校初日でしょ? 誰だってそんな時に人を殺そうだなんて思わない。だから彼女は違うだろうけど、でも何か引っかかる。そんな女の子である事も違いない」


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?