「そんなやましい目的は僕にはない」つい尖った口調で言い切る。お前と一緒にするな、とまでは言わなかったけれど気持ちとしてはまさしくそれで、庄治を睨みつけた。
険しくなった智和の眼差しの先、庄治は半ば白けるように目を細める。はっきりと興醒めして熱の引いた眼差しで親友を眺め見てから、すっと、写真を握る手を智和のほうへ差し出した。玩具で遊んでいた子供が反応の薄い遊び相手に飽きてきて玩具ごと遊びを放り出すような、いじけるのにも似た態度だった。「智和ってさ本当、こういう冗談みたいなのって苦手だよな。適当に話を合わせて盛り上がればいいのに、なんでそう、ちゃんと反論してくるんだよ」下唇を突き出すと、表情は途端に幼くなる。昔から幾度も見てきた、見るたびに宥めたり呆れたりしてきた、拗ねている庄治の顔だった。
取り戻した写真を茶封筒の中にしまってから、「反論しておかないと、庄治は勘違いするだろう?」言って親友に首を傾げる。「お前の事だから絶対に、何でもかんでも恋愛沙汰にして厄介ごとを増やしていくんだ。僕が人を好きになるのは珍しいからって張り切るのは目に見えてる」そうして、恋愛経験は俺のほうが豊富だから! としまいには言い出すのだろう。あとは想像するだけでも気分が憂鬱になるような事態が待っている、長年、庄治の親友をやってきた身としては、さしたる想像力も必要なく、いらない顛末まで見通せた。
拗ねていた顔をきょとんとさせて庄治は、「まあ、うん」と、大きく一回頷く。だろうな、と返事をする代わりに智和は嘆息をついた。
「工藤さんの事を知りたかったのは、事件で落ち込んでるかもしれないし、なにか役に立てないかなって思ったからだよ」岩崎会長が殺されてから五日が過ぎたが、犯人が捕まったというニュースはまだ報じられていなかった。車から出てきた人物の事も、智和は警察に話していない。おそらく悠里も、口を噤んだままだろう。「色んな先生に聞いて、最後に恩田先生に会った時にたまたま書類を貸してくれたんだ。それだけの事だよ。庄治が期待してるような展開には絶対にならないから」最後の部分は何よりも強調して断言した。
智和の想像するところでは、きっと庄治はがっかりするに違いなかった。自身の恋愛はもとより、他人の恋愛にだって女子高生並みに嗅覚の効く親友は、常日頃からそういった変化を望んでいるところがある。自分に無関係な恋愛にまで首を突っ込むのはようするに、野次馬根性といわれればそれまでの、恋愛の空気みたいなものを間近で感じていたいと思うからなのだろう、と智和は推測していた。能力者であっても一般人であっても、人が集まる場所には感情が流動する場所があって、凝ったり揺らいだり滲んだりしては、恋にも愛にもなっていく。
けれど、智和の想像とは違って、庄治は首を傾げるのみだった。思っていたのとは違う反応に智和自身もふと首を捻ってみる。
「どうした? 庄治」智和が、恋愛ではない、と断言する以上に気になる事があったのだろうが。親友を眺めながら、自分の言葉を省みても思い当たるところはなかった。
庄治は怪訝そうな顔をして、口を開く。
「恩田って、工藤ちゃんの事には積極的に関わってくるよな」さっきの、恩田教師に書類を借りた、というところが引っかかっていたらしい。
「――まあ、そうだな」少し間を空けて頷いたのは、岩崎会長の死体が発見された翌日に工藤悠里とふたりで校長室に呼び出された時の事を思い出していたからだった。校長、教頭、担任教師、寮監、とここまでは普通の顔ぶれなのだろうが、最後に脇に控えめに佇んでいたのが恩田教師だった。質問はもっぱら教頭から出され、それはたまに生徒のふたりではなく、寮監に向けられたりもしたのだけれど、一度も恩田に対して投げかけられる事はなかった。校長室にいるからには当事者か、あるいは事情を知っておくべき人間だと判断されたのだろうけれど、質問を向けられないのなら当事者であるはずはないし、かといって一介の非常勤講師の立場で、事情を知っておかなければならないと思われている理由も分からなかった。
ただ口を噤んで、目の前で行われている事情説明に聞き入っている――恩田がしている事は、ただそれだけだったのだ。
「気になるのかもしれない。恩田先生も工藤さんも、この町に来てから日が浅いから、苦労してるんじゃないかとか不安になってるんじゃないのかな」恩田が工藤悠里を気にかけているのは、転校した初日に宮野と顔合わせをさせている時点で察する事は出来る。なにせ異性の生徒を捕まえて、仲良くしろ、なのだから。
「確かに、うちの学校縄張り意識は強いほうだもんなぁ」庄治の声はいかにもうんざりとしていた。面倒くさそうにこれ見よがしなため息をつく。「岩崎が死んだから少しは静かになるかなって思ってたけど、登録法推進派っていうか、俺らを軍人にしたい先生達の勢いは留まるところをしらないねぇ」能力者登録法に関しては能天気なほどに無関心な庄治でも、さすがにそれを露骨に推奨している教師陣営の一角にはほとほと疲れ果てているらしい。このままだらりと地面に蹲ってしまいそうなぐらいに肩を落とす親友に、智和は苦笑いを浮かべた。
「ちょうどいい後ろ盾をなくしたんだから、先生達も躍起になってるんだろうね。半ば殉死扱いだし」
テレビで報道されている岩崎洋一郎の死因は、急性心不全、というようするにどうして死んだのかよく分かりません、といったものだった。
実際に遺体を目撃している智和としても、その死因が体の内部にあってさほど苦しまずに死んでいったらしいと思うほかはなかった。ただどんな死に方だったとしても、苦しまずに死ねる方法、なんてものがあるのかは疑問だ。急性心不全にしたって、心臓がいきなり止まって血液が全身に行き渡らなくなるまでの数秒間、岩崎会長が苦しまなかったのはどうしてか、と気にもなる。――暗示の能力者が岩崎の身体活動すべてを一瞬で停止させる暗示をかけて殺した、それが今最もマスコミで信憑性を帯びている説だった。岩崎会長は能力者登録法を推進している満天会の会長だから、彼を殺せば少しは事態がよくなるだろうと判断した誰かの、短絡的な犯行である。と、説は締めくくられる。
だから、と、言葉を続けるのが能力者登録法推進派の者達だ。その中には、能力者組合の人間も少なからず数えられる。だから、第二の岩崎洋一郎を生み出さないためにも今のうちに能力者の教育方法と社会への適応手段を明確にさせておかなくてはいけないのだ。と、彼らは叫ぶ。
しかしその、彼らの拠り所となっている暗示能力者による殺害という死因も、例え何十万人が信じたところで、暗示の能力の限界を詳しく知らない人間が騒いでいる世迷言の域を出られないのが現実だった。
「まあ、能力者が満天会の会長を殺したなんて話になってればなぁ」庄治は苦笑いする。そして、出来るわけもない事を出来ると騒いでいる人間を無知だと見下している調子で口を開いた。「暗示って、寮監の能力だろ? あの人も言ってたじゃん? 本人が望んでいない方向にはどうしたって、暗示は深くかからないって」
自慢する事でもなく常識なんだけどな、と思うものの、機嫌がすこぶるよさそうな親友に水も差すのも悪い気がして智和は、とりあえずのつもりで頷いた。
確かに、暗示の能力というのは一般人がテレビで披露している代物とたいして差はない。道具がいるかいらないか、かかる速度、所詮違いといえるものはこの程度のものしかないだろう。
「新種の病気とか言われるよりは、能力者の力っていうほうが落ち着きがよかったんだろ」しかし個々の能力には種類があるから、暗示では無理だから能力者ではない、と断言できるわけではなかった。けれど、人やウィルス、想像に頼れる領域を超えた出来事が起これば、能力者の仕業だと一般人が思い込む仕組みがないともいえない。煽り立てる報道と、都合の悪い詳細を黙して断定調子に語る訳知り顔の知識人達が大抵は、ことの先導役を勤めている。事件か事故か、最初に方針を決める警察官さえ、ミスリードの旗振り役になりかねない時もある。
庄治が顔をしかめた。「なんか理解できない事が起これば全部俺達のせいだよな?」で、お前はいつもそんな連中に怒らないんだよな? とひがみ気味に睨んでくる。
僕も怒っているよ、とでも茶を濁せればよかったのだろうけれど、そんな分かりやすい嘘に引っかかってくれるほど庄治はお人好しではない。幼馴染に近いこの関係は、今みたいに相手の苛立ちをかわしたい時にはむしろハンデみたいなものだろう。庄治の嘘が分かるように、智和の嘘は庄治にばれる。だったら言わないほうが身のためだから、智和は返事をしない代わりにさっきから少し気になっていたことを質問した。
「でも庄治、お前どうして生徒会室に来たんだ?」いまさらといえば物凄くいまさらな質問に、しかめていた顔をきょとんとさせる庄治へ智和は首を傾げる。「ここ、お前大嫌いだろう?」
生徒会室には生徒会関係者しか入ってはいけない、というルールはない。けれど暗黙のうちに出入りする人間は限られてきて、現生徒会役員を除けば、次の選挙で立候補が期待されている有能株や教師に手伝いを半ば強要されてやってくる生徒達ばかりである。彼らに多少共通するところが、優秀であっても融通が利かないところだったり、少し周囲を見回せないリーダー気質だったり、規範大好き人間だったりするので、他の大勢の生徒達が自然と生徒会室に近寄らなくなる原因でもあった。当然の事ながら、潤滑な学校運営というものを目指す彼らと、自由奔放をそのまま具現化させたかのような庄治の気が合うはずもない。――幼馴染で親友、この境遇がなければ智和自身、庄治のことを誤解したまま、不良と思って学校生活を送っていただろう事は想像できる。
庄治が両手を打ち鳴らした。大事な事を思い出した、という表情をして大きく頷いた。「俺、お前の事を誘いに来たんだよ! 一緒に帰ろうと思って!」
「一緒に?」怪訝に聞き返す。小学生の頃まで遡れば一緒に帰った時分もあったけれど、いまさら一緒に帰ろうと誘われるのもおかしな感じだった。それに今は、庄治は親友である智和と一緒に帰っていられるほど暇ではないはずなのだ。「なんだ、たった五日でもう品切れになったのか? これを機に気になる女子生徒へ声をかけて一緒に帰るんだとか言って、意気込んでたくせに」
切り裂き魔が現れた時から、「出来る限り固まって登下校するように」という指示が出ていた事は出ていたが、岩崎会長の死後はもっと厳密な、「いざとなったら自分達の身の安全を図れるように気を配りながら、個々固まって登下校するように」と指示が改められていた。能力の中には暗示といった精神に作用するものと、念動力のような物理的に作用するものがあり、指示はようするに、自分の身を守る事が難しい能力の生徒は攻撃性の高い生徒と一緒に登下校するように、と読み取る事も出来た。やむない時は能力を使って切り抜けろ、という事でもある。
庄治の能力は、対象に幻を見せる――、暗示に近いもので、使い方次第では十分に危機から逃げおおせる能力なのだろうが、当人は学校から直々にあったお達しをただただ好機と見ているようだった。精神系といえば確かに精神系の能力を有しているわけで、攻撃性の高い能力を持つ女子生徒を、身の安全と称して口説くにはちょうどいいらしい。
「ギブアップするには早すぎるんじゃないのか?」それとも相手に振られ続けて諦めがついたか、とからかい半分嘆息半分に庄治を見る。
庄治は顎を引き上げて鼻を鳴らすと、人差し指を智和へ勢いよく突きつけた。負け犬の態ではない。「今日は一番誘いたかった女の子を誘ったんだ! で、お前をその護衛役に任命してやろうと思ったんだよ!」ありがたく思え! とまではさすがに言わなかったが、勝ち誇った表情のほうは、言わない言葉よりもあざとい。
智和は首を傾げた。「護衛役?」