目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第18話

「本当にまさかの展開だよ、それって」好きだと言っても、頼りになる、仲間として、と前提が付くのは間違いない。

 智和が階段を下りて庄治の傍にくるまで、つと親友の視線は外れなかった。疑いの眼差しに対しての弁解は下手なことを言えばますます助長させかねないのは知っていたから、視線はそのまま放置して、智和は昇降口のほうに眼をやった。下りてきた階段から昇降口までは真っ直ぐな廊下で繋がっていて、今のこの時間帯は、帰宅部の生徒がのろのろと帰るにはかなり遅く、部活動に勤しんでいた生徒が帰るにも少し遅い。下校時間まであと少ししかないと慌てふためく生徒が駆け込んでくるにはちょうどいい時間なのだろうが、直線に延びた床を慌しく蹴り響かせる靴音も聞こえなかった。

「あ」と、声をあげる。最初は自分の声かと智和は思ったけれど、すぐに隣の庄治の声だと気づいた。昇降口の傍で物静かに佇んでいる彼女から目をそらして、庄治を見る。

 唖然としているような、意味が分からないとしきりに首を傾げるような、とにかくひたすら困惑しているに違いない顔をして、庄治は歩き出した。早足の靴音が切羽詰った庄治の心情そのままを放課後の空気に伝えていて、それに気づいた様子で工藤悠里が俯き加減に下げていた顔を持ち上げるのを智和は見た。おそらく智和自身、庄治とさほど変わらない表情をしていただろう。悠里の目が、近づいてくる庄治をとらえ、その後でそっと滑らせて階段の傍にまだいる智和へ向けられたところで、促されるような気分で歩き出していた。

「なあ、工藤ちゃん」先に悠里の傍に到着した庄治が淡々とした口調で訊ねていた。彼らしからぬ無感情な言い方は、努めて心情を表に出さないでいようと頑張っている証拠なのだろうが、聞き様によっては単にとても無愛想なものにしか感じられなかった。「柏木はどうしたんだ。トイレとか行ってるわけ?」

 だとしたら工藤さんに鞄ぐらいは預けていくんじゃないか、と後から追いついた智和は思うのだけれど、庄治が分かった上で質問しているのは察しがついていたので何も言わなかった。親友を落胆させるのはひとまず、工藤悠里が言ってくれるだろう、柏木留美がここにはいない理由だけでいいはずだと彼女を見遣る。

「つい五分ぐらい前ですけど、」廊下に設置されている時計を一瞥して、悠里は答えた。無意識に五分ぐらい前は何をしていただろうかと智和は頭をめぐらせて、庄治が柏木さんを誘ったのだと喜んでいた頃だろうなと思い出す。あの時心底喜びを表現していた親友は今、悠里が次に何を言い出すのか察しているのにとぼけた顔で、なのに真剣に、穴でも開けようとするかのような強さで彼女を見つめている。「ここで待っていたら、柏木さんのクラスメイトみたいな人達が数人やってきて、柏木さんといろいろ話してて」いろいろ、の中にはあまり気分のよくないものも含まれているのか、悠里は少し表情を曇らせた。

「つまり、その人達と柏木さんは一緒に帰った、って事?」そこで助け舟でも出すつもりで、智和が質問する。それ以外ないだろうな、とも思っていたので質問というよりは、確認する気持ちのほうが強かった。

「そんなぁ」と、嘆くように言ったのは庄治だ。悠里が頷くよりも首を横に振るよりも先に、途方にくれたような声を出す。

「柏木さんもとても申し訳なさそうだったんですけど、」悠里は体を小さくすぼめて呟くように言った。自分自身が申し訳なく思っているような声だった。「そのクラスメイトの人達が少し強引みたいで、断りきれなかったって感じでした。誰と一緒に帰るのかも話せなかったみたいですし、庄治君と宮野君には謝っておいてほしいって頼まれました」

 智和はため息をつく。「仕方ないな」としか言える言葉はないだろう。

 そのクラスメイト達が誰なのかは想像するほかないけれど、あまり親しい類の生徒でないのは悠里の話からでも十分察する事が出来る。というよりはきっと、「生徒会なんて入って生意気だ」と柏木と自分達との差異を見つけては嫌悪し見下してきた生徒達なのではないかとも思った。庄治も同じところまで思い至ったようで、とても残念そうにしかめていた顔のまま唇の両端に諦めた笑みを滲ませてため息をついていた。やっぱり教室で待っててもらったほうがよかったかな、と、自分の失敗を振り返るように目を細めている。

「――じゃあ、帰ろうか」と、智和は言った。本当なら言いだしっぺの庄治が言うところなのだろうが、親友は自分の落ち度を反省するのでいっぱいいっぱいの様子だったので代わりに仕切ってふたりを促す。

 上履きを下履きに変えたところで悠里が幾分か怪訝そうな顔をして智和に質問してきた。「庄治君、大丈夫なんですか?」自分が何かいけない事でも言ったのではないだろうか、と不安げな色も帯びた口調だった。

「いつもの事だから大丈夫。放っておけばまた元気になるよ」言って、庄治を見遣る。親友がいのない薄情な言い方ではあったけれど、これはこれで智和なりの気遣いのつもりだった。庄治はいろんな人間に恋をして振られて、で落ち込んで、また元気になって恋をして、を何度も繰り返しているような男だから、建前のような心配はいらないんじゃないかといつの頃からか分かってきたのだ。

「そういうものですか?」友達ってそんな感じなんですか? と、暗に聞かれているような気がした。

「そういうものだよ」とりあえず、庄治と智和自身はそういう関係なのだと悠里を見やって頷いてから、もう一度庄治のほうへ目を向けた。さっきようやく上履きを下駄箱の中に放り込んでいた彼は、のろのろといつもの動作をコマ送りにした遅さで今は、下履きを昇降口の床に放り出しているところだった。時々、思い出したようにため息をついている。可哀想だな、と同情する一方で、庄治自身が誘ったはずのもうひとりの人間である工藤悠里はすぐ傍にいるのにその態度は悪い、とも思っていた。

 眉根を寄せてつと、ため息をつかせないためにはどうしたらいいだろうかと考えてから、思いついた事をひとつ庄治にむけて大声で叫んだ。

「早く行くぞ、庄治! 五分ぐらいならまだ早足で行けば、柏木さんに追いつけるかもしれないだろ」

 もちろん、柏木は誰かと一緒のはずなのだから、そうそうその輪の中に入っていけるわけもないし、庄治が強引に割って入ろうとでもしたなら引き止めるのは自然と智和の役目になるのだろう。けれどもとりあえず、実際に追いつけるかどうかは分からないし、通学路をちゃんと通っているかも分からない――寄り道でもしているかもしれないので、あまり深く考えず単純に、落ち込んでいる親友への発破として言っていた。

 俯き加減に靴を履いていた庄治が顔をあげてこっちを見る。きょとんと、本当に追いつけると思っているのか? とでも言いたげな半信半疑に丸くなった目を受け止めて、智和は頷く。

「とりあえず、ここでぐずぐずしてても距離は縮まらないだろ?」一応これだけが何よりはっきりした事実である。

 そんな親友の心情を察するでもなく、「そうだよな」と、若干いつもの調子に戻った口調で庄治は言った。

   * * *

 ――とまあ、あの時は適当に言ってはいたけれど、本当に柏木さんに追いついてしまうとは思ってもいなかったな。と、智和はぼんやりと反省していた。周囲に飛び交う怒号やら揶揄やら、ありとあらゆる人を貶して罵倒する言葉が耳に飛び込んでくるので両手で聞こえなくしてしまおうとも思うのだけれど、あれを止めるのはおそらく自分の役目なのだと半ば諦めもあって、諦観半分静観半分の気持ちで眺めていた。半眼にやる気なく細めた眼差しの先には、三人の男達がいて、うち一人は庄治であり、あとのふたりはまったく見知らぬ男だった。

「だから、カメラのフィルムをよこせって言ってんだよ!」さっきからずっと男達に向けている右手を苛立ち混じりに突き出して、庄治は思い切り顔をしかめていた。ふたりの男の片方、どう見ても一般家庭にはなさそうないかつい形をしたカメラを首からぶら下げている男が不愉快げに眉根をよせて首を横に振る。ますます表情を険しくさせて庄治が言い募ろうとしたところで、もうひとりの、こっちは手に収まる程度のメモ帳みたいなものを持った男が口を開いた。「だから、このカメラには他にも色んな写真が入っているから、その女の子ひとりの写真のために全部を駄目にするわけにはいかないんだって」さっきから何度目かになる問答を再び繰り返して、「お兄さん達はこれでご飯食べてるんだよ。君達みたいに暢気に国の支援で生活してるわけじゃないんだよ。分かったらさ、諦めてくれない?」これ見よがしな嘆息を地面に長々と吐いた。

「も、もういいですよ、庄治先輩……ッ」柏木の声はほとんど縋り付くようなものになっている。自分がこの男達ふたりに捕まらなければよかったのだ、とありありとした申し訳なさに苛まれているのだろう。今にも泣き出してしまいそうなほどに震えている声音は、偶然智和達が男達に囲まれて困り果てている彼女を見つけて声をかけた瞬間の安堵しきって緩んだそれから、少しずつ次第に、戸惑う色を増していっている。事が大袈裟になるのなら自分の写真一枚ぐらい、と諦めているようでもあった。「放っておきましょうよ……ッ!」

「駄目だって。ちゃんと写真のネガを取り返しておかないと!」柏木の震える声にさえ、男達にむける怒声と大差ない強さで眼差しも言葉も返して、庄治は彼らへ向き直った。「こいつらが何に悪用するかなんて全然分からないんだからさ! 何かあった後じゃ遅いんだよ絶対!」決め付けてかかる暴言に、メモ帳の男が苦笑いして肩をすくめた。

 余裕は男達のほうがあった。傍目から見ていても頭に血が上っている庄治は彼らに軽くあしらわれていて、軽く靴先で蹴飛ばされてはその靴に飛び掛っていくような滑稽な感じだった。まともに相手にされていない事にも気づいていない親友は、さっきからカメラのネガの事ばかりを叫んでいる。

 メモ帳の男が煙たげに手を動かす。庄治の言葉を払いのけるような仕草をしてから智和達のほうを見た。

「これでもちゃんとした新聞社なんだよ、うち。名刺だってちゃんと渡したし」同意を求め向けられた眼差しに、柏木の肩が小さく震えた。表情を強張らせた彼女の胸の前で硬く握り合わされた手のひらの中に、しわくちゃになった紙切れみたいなものがあって、「柏木さん、見せて」声をかけてから智和はそれを抜き取る。表面に出来たしわのせいで軽く歪んだ文字面を目で追いかけた。

「――夕陽新聞社?」聞いた事はある。むしろ、知らないほうがおかしいぐらいに有名な新聞社の名前だ。

「そ、有名だろう?」有名である事がすべての行為の正当化に繋がっているとばかりにメモ帳の男は胸を張って言った、尋ねている素振りは口先だけで何もない。「岩崎会長の死についてここを通る人に質問していただけなんだよ。この女の子がたまたま通ったから質問して、で、写真を撮っただけなんだ。僕らは何も悪い事はしてないんだよ」

「だから、悪い事をしてないっていうんなら、さっさと柏木を撮った写真のネガをよこせよ!」庄治の手が、頑なにカメラを守ろうとする男のほうへ伸びる。

「駄目だって!」払いのけたのはメモ帳の男だった。カメラの男と庄治の間に険しい顔で仁王立ち、大仰に口を開く。「だから何度も言ってるだろ。このカメラのネガには他にも色んな写真が入ってて、それを駄目にするわけにはいかないんだよ。新聞に使うなって言うんなら使わない、それで手を打つ以外に方法はないよ」譲歩はないと言い切る言葉の端々には、うんざりした飽きてきた、と男の本音がちらりちらりと見え隠れしていた。ただ取材をしていただけなのにどうしてこんな目に合うんだ、とでも思っているのか、物言いは段々と投げやりなものになっている。「その子だって取材していいっていうから取材したんだし、そりゃ多少は強引だったかもしれないけど、その子だけが特別だったわけじゃないんだよ」ひらひら、とメモ帳を持った手を振った。ここに書いてある事は何も彼女の事だけじゃないというような態度だった。

 俯く柏木を見遣り、そうしてから男をねめつけて負けじと庄治は反論する。「特別じゃないっていっても、能力者組合の学校の生徒に満天会の会長が死んだ事について聞くなんて酷いとか思わねぇのかよ!」


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?