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第19話

「何言ってるんだ、君達はいわば当事者だよ?」わざとらしく驚いた表情を作って、メモ帳の男は肩をすくめた。「犯人が能力者なのは間違いないんだから、身内の犯行をどう思っているのかは新聞を読んでる人も気になるところじゃないか。それにこの道を通った人全員に聞いてるんだからさ、中には満天会の会員の人もいたかもしれない。加害者側の身内よりも、被害者側の身内のほうが辛い質問だと思うけど?」

 あざとすぎる挑発は逆に冷や水を浴びせられたような心地になる。低い沸点で怒りだす寸前に、我に返った気分だった。

 けれどそれはあくまでも智和に限った事で、そもそもはじめから沸点を過ぎて激昂していた庄治にはただただ火に注ぐ油にしかならなかったようだった。目に見えて怒気を孕んでいた空気が、ぞわり、と揺らぐのを肌で感じる。何かを思うより先に漠然と、庄治が怒り狂うな、とだけ分かった。頭の中で、パトカーにでも乗っていそうな赤色ランプがぐるぐると回りだしながら、これはまずい、とはっきり自覚するのと同時に、口を開こうとしていた。脳内で言葉を選ぶ間もなく、とにかく間に割って入らなければいけないと性急した気持ちで、足を踏み出していた。

 その靴先に違う影がひとつ、音のない動作で落ちた。「さっきの言い分、嘘ですね?」声がすぐ傍、気づけば隣でしていて、眼をやった智和の視界を物静かに横切って、悠里が彼らの前に出ていた。「この道を通った人全員に聞いているから柏木さんに質問したのも偶然、というのはその通りでしょうけど、ちょっと違いますよね?」

「何言ってるんだ?」メモ帳男はさっきと同じ言葉を発した。肩をすくめてみせるところまで正確にトレースしてから、「偶然なのにちょっと違うって、言葉の意味分かってる?」と訊ねる。

「はい。分かっています」悠里は静かに肯定すると、首を傾げた。「でも、この道って普通だったら取材とかにならないんじゃないですか? 人通りが全然ありませんし、なにしろ駅から遠いです」

「どこで取材しようとこっちの勝手だと思うんだけど」表情を険しくした男の中に嫌悪感とは別の、対等に聞こえている問答とは少しずれた焦りのようなものを智和が感じたのはこの時だった。半ば突っぱねる強さで言い切って、やってられないとばかりに大袈裟に首を横に振ってみせたメモ帳の男は、肩越しにカメラの男へ目をくれてから悠里を改めて見遣った。「そこの少年君が怒っているのはようするに、彼女の写真を新聞で使ってほしくないだけなんでしょ? だったらさ、覚書にでもしてあげようか? 勝手に使いませんって、名刺の裏にでも書いてあげるよ」これで手打ちだ。言葉尻は明確に締めくくっていて、悠里から視線を滑らせて庄治を見た。「これが一番妥当なところだと思わないか? こっちが彼女の写真を使ったって分かったら、その名刺を持って新聞社に押しかけてくればいいんだから」

 腹立たしさに顔を歪ませた庄治はすぐにでも提案をはねつける、と智和は思った。理性が動き出す余地を作るにはまだ、彼らの物言いは居丈高だった。

 けれど、その居丈高に返される返事は庄治の激昂ではなくて、さっきと変わらずに淡々とした悠里の声である。「その必要はありませんよ、全然」男達を見据えて言う言葉は断定的だった。自分が何より正しい事を確信していて、それを男たちも理解している事を知った上で、事実を隙間なく重ねていく。言い逃れを許さない声だった。「この人達はこの道で待ち伏せしていたんです。不特定多数の人間に取材していた、というのはおそらく嘘でしょう。この時間帯の前後にこの道を通る人間なんて、ほとんど限られているんじゃないですか?」最後の問いかけは男達へではなく、智和に向けられていた。

 貴方だって言い返せるでしょう。貴方だって反論したいでしょう? そんな事を一瞬、ひどく真剣な声で言われているような気がした。

 だから思わず、束の間考え込み、そうして気づく。「あ」閃いたついでに落ちたような声と一緒に瞬いた目の先で、さっきから次第に、嫌悪感とは違う何かで表情を険しくさせていた男達のそれがいっそう歪んでいくのが見える。面倒くさい事がもうひとつ増えたと言いたげな嫌悪感でひた隠しにされている。悠里の言葉に揺すられて、目に映る表へとこぼれて飛び散ったのは、動揺らしきものだった。実のところは対等ではなく、本当はやり込められているのだと暴かれるメモ帳の男は、揺らいだ眼球の戸惑いを瞼の下に押し込んで口を開いた。

「馬鹿馬鹿しい!」と、男は言う。「言いがかりもたいがいにしてほしいものだね、こっちは良心から譲歩してあげたっていうのに!」君達は自分からその好機を逃したのだ、だからもう相手にしてやらない。露骨に自分たちの優位性を主張した言い様だった。動揺を晒した表情に塗りたくられた感情も一辺倒に、相対する悠里を見下している。

「譲歩なんてしてもらわなくても、貴方がたが彼女の写真を悪用すれば、能力者共生機関に被害届けを出せばいいだけの話です。分かってますよね?」対して、淡々とした口調を変える事もなく悠里は男達に質問した。当たり前に知っているに過ぎない常識を改めて確認するふうな言い方でもあった。「この時間のこの道で行きかう人に取材をしていただけ、って事情を聞きに来た調査員にも言えればいいんですけど。だって、大抵の調査員はきっと騙されてはくれませんよ? 言い訳にしては、穴だらけです」

 怯むように周囲の空気が揺らぐのを感じた。それはまるで、心中を精密に見透かされて思わず後退るのにも似ていて、男達が狼狽のあまりに自らの敗北を曝け出してしまったかのように智和には思えた。

 その直感が外れていないのは、メモ帳の男がやった肩をすくめる動作で分かった。ついさっきから、今のを含めて幾度目かのその所作は今までのものとは随分様相が違って見えていたのだ、聞き分けのない子供を諌める大人の余裕じみていた雰囲気は薄れ、今あるのは逆に、いたずらをしでかした子供がそれをどうとぼけようかと考えあぐねているような気配だった。時間稼ぎの間である。

 ――工藤悠里の言うとおり、彼らの言い分には穴があった。

 一番分かりやすいのは、さっきからこの言い争いの場を通り過ぎる人間が一人もいないという事だ。口論で塞がれている道を通りたくないと遠回りをしている通行人もいないとは限らないけれど、誰も通りかかる人間がいないというのは不自然な話だろう。ことに、新聞社のこの男達は取材をしていると主張していたのだから、それなりに人通りのある場所でなければ彼らがここにいる理由の根拠にさえならない。人通りの乏しい道で、通行人に取材する。時間だけを浪費しそうな状態をなぜ彼らは選んだのか? 答えは柏木であり、智和達自身だ。

「あー、分かった。分かったよ。まったく」降参したには違いないけれど、メモ帳の男の物言いはぞんざいだった。負けたのをどうにか口先だけで引き分けまで持ち込もうとしているような、単純に負け惜しみだと分かる言い方をして表情を心底不愉快そうにしかめる。「能力者共生機関に立ち入り調査されるなんて面倒はごめんだね」

「機関だって忙しいんですから、手間をかけさせないでください」悠里は淡々と言う。男達の敗北宣言に居丈高になる様子もなく、いたっていつも通りの彼女はその分だけ、何よりも正しい存在に見えた。男らをやり込めて白旗を振らせても、ざまあみろと哂いもしないのだから一瞬、この子は自分と本当に同い年の学生なのだろうかと怪訝に首を捻りそうになった。――庄治の激昂を止めるのは自分の役目、だと腹をくくっていた事もあって、半分ぐらいはその長年の役割を唐突に、しかもとても綺麗に鮮やかに横合いから掻っ攫われた気持ちにもなっている。

 惚れ惚れとする分だけなんとなく肩透かしを食らったような、複雑な思いを抱えたのを自覚しながら、悠里を見る。

 今にも舌打ちのひとつぐらいしそうな表情で悠里をねめつけながらも、メモ帳の男はこれ以上のことは何も言わずに靴音を甲高く鳴らして踵を翻した。カメラを抱える男もそれに続く。その背に、「お、おい! 写真ッ!」我に返ったような素っ頓狂な声を出して追いかけようとした庄治を、「待て庄治。写真のネガは返してもらわなくても、もう大丈夫だから」声で智和は引き止めてから、親友の襟首に手を伸ばした。案の定、制止するだけの声をあっさりと振り切って駆け出しかける庄治は途端、ひき蛙が潰れたような声を出して上半身をのけぞらせる。庄治が前に出ようとする反動で後ろに智和がひっぱった襟首の部分が、喉仏に食い込んだのだった。

「落ち着け」こっちは前にたたらを踏みそうになるのを堪えて言う。「写真を連中が使う事は出来ないから」

「そんなのッ、分かんねぇだろ!」潰れた声音のままで庄治は叫ぶ。このまま襟首を離したら、Y字の道具で飛ばされたパチンコ玉みたいに勢いよく一直線に飛び出していくのは想像以前に目に見えていた。頭に血が上ったこの親友にどう説明するれば分かりやすく端的に伝わるだろうかと考えて、智和が何か結論に至るより前に、立ち去った男達を眺めていた悠里がくるりとこちらへ向き直った。

「彼らは約束を破ったんです。それがばれるような事は、彼らの利益に反しますから絶対にしないでしょう」と、悠里が言う。

 その言葉にしかめられた庄治の顔は、いきなり理解できるはずもない大学レベルの数式をそらんじられたような、途方にくれたものになっていた。そうしてから智和の手を振り解いて男達を追いかけようと前のめりに躍起になっていた力がふと弱まったのは、訳の分からない事をなんでもない口振りで言った悠里のほうを見遣り、質問したからだった。「その、約束ってなんだよ。利益って?」

「能力者共生機関が定めた、能力者を保護するための規定です」能力者共生機関、と名称が出てきた時点で庄治は首を傾げていた。日本でもニュースや新聞を見ればおのずと知識として入ってくる組織名ではあるけれど、その情報源自体が生活の外側にある親友からすれば聞き慣れない名前なのだろう。怪訝そうな表情を見ていると、勝手に混同してしまう前に能力者共生機関と能力者組合の違いを教えたほうがいいんじゃないかと小さな不安が芽生えだしてきて、智和は小声で口を挟んだ。

「能力者組合とは違うからな、庄治。別物だから」

 きょとんとした目が智和の前で一度二度と、瞬く。「あ。そうなのか?」

「能力者組合は日本にしかない組織だけど、能力者共生機関は世界規模だから。それでも組合は、能力者共生機関と上下関係にあるわけでもなくて、ほとんど独立した組織なんだけど」もっと細かく説明も出来るけれど、平たく言えばそういう事だ。日本では能力者組合のほうが幅を利かせているし、能力者共生機関自体は学校を運営するわけでも能力者支援するわけでもないので、直接関わってくるような事はあまりない。文字通りに「共生」を目指す機関であるから、過度な能力者の優遇も差別のひとつとして捉えている傾向があった――だからあの夕陽新聞社の男達も、まさかこんなところで、自分達の行動を能力者共生機関の規定が邪魔してくるとは思わなかっただろう。

 いや、そもそも規定を知っていて、それを武器に自分達を追い払える人間がいる事に想像が至らなかった、というべきか。あの状態で冷静に思い出せるほどに、工藤悠里にとっては馴染み深いものであるということだ。

「能力者が関わっているとされる事件において能力者に限定した取材をする時は、あらかじめその国の能力者組織に通達する事。そう、規定に明記されているんです」

「この道、学校の通学路だろう?」智和も促されれば、規定の詳細は思い出せる。けれど自分からそれを突破口に出来るかといえば答えは、いいえ、にしかならないのだ。「ここで取材をするっていうほうがおかしいんだ、人通りは全然ないからね。でも、学校の生徒を待ち伏せして取材している、なんて答えたら規定には反する。だから嘘をついたわけだけど、でも実際の状況を考えれば、ここを通るのは学校帰りのうちの生徒ばかりだろうし、能力者限定で取材をしているのと同じって事だよ」

 そして彼らにも自覚があった。分かっていたからこそ、悠里の主張に動揺してさっさと退却したのだろう。――能力者共生機関に加盟している日本国内で規定に違反した場合、その取材した人物の所属する組織は連座で罰則が適用される事になっている。能力者に関係する事件や事故の取材を一切禁止する、という内容のそれが真新しい情報を記事にして売りさばく事で利益を上げる彼らにとって死活問題になるのは明らかで、悠里の言った事は相手の頚動脈にナイフを突きつけている状態と大差なかった。生死を選べる、まさしくそういう事だ。


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