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第20話

「でも、」おずおずと柏木が口を開く。「確かその規定って、通達された場合は明確な理由がない限りは組合も拒否できないって事になってませんでした……?」

 能力者と一般人の真なる共存、を謳いながらも現実問題として、譲歩せざるおえないままに日本に在住する能力者の保護と支援を主にする運営方針の組織と、共生の名の下にどちらの利害も蚊帳の外で平等を謳う組織は、同じ理念を持っていても同じようには歩めない。時には同じ道を進み、時には正反対の方向へと道を違えていく。能力者組合の保護と支援が手厚くなればなるほど、一般人との差異を生み出していくばかりだと能力者共生機関は勧告する。柏木が言っている事もそのひとつで、たとえば今回、岩崎会長の死について能力者はどんな事を思っているか取材したい、と正式な通達があれば、庄治が男達に対して反論したような理由では拒否できないようになっている。

「まあ、よく分からねぇけどさ」髪の毛をかき混ぜながら、庄治は目を細めた。小難しい単語や規定が飛び交っていくのを眺めているうちに、すっかり男達への怒りが沈んでしまった様子で、後に残る我に返ってからの白々しい居た堪れなさにぎこちない苦笑いを浮かべている。「ようするに、その、共生機関とかいうやつの規定で連中は柏木の写真を使えないって事だよな?」

「使ったのがばれたら訴えられるって事だよ。で、そのデメリットを考慮に入れたら、使おうとなんてしないのが普通だ」だとすればどうして、通達さえすれば合法的に行える取材をしなかったのか。と疑問は残る。秘密裏にしなければならない動機でもあったのだろうと推測して首を捻るのが精々で、どうにもすっきりしないところだった。

 悠里が物静かに眼差しを柏木へと滑らせる。「どんな事を聞かれたんですか?」

「あ、私、ほとんど何も聞かれていないんです」体を小さくはねさせて柏木は、少し上擦った声で応えた。ひとつ呼吸を、いきなり工藤悠里に話題を振られた戸惑いみたいなものを体の外へ追い出すように吐き出してから、首を横に振った。「歩いていたらいきなり声をかけられて、写真をとってもいいかみたいなことを言われて、何か言う前に写真を撮られていてそれで、」やめてください。いいんじゃないか。と分かりやすい問答をしはじめた頃にちょうど、智和達一行が通りかかったらしい。

「きっと他にも声をかけられた子はいるだろうから、他の生徒にも聞いてみたほうがいいかもしれないな」言ってから智和は思い出して、目を瞬かせて柏木を見た。「そういえばどうして柏木さん、ひとりでここにいたの? 工藤さんからはクラスメイトの子と一緒に帰ったって聞いたけど?」

「途中で別れたんです。その、寄り道しないかって話になって」柏木の口調は段々と重たげになっていき、表情のほうも次第に翳りを帯び始めた。気まずげな言い方は最後まで彼女の話の聞かなくても事の顛末を想像するには十分だったので、智和は庄治と顔を見合わせる。男たちに突っかかっていっていた時の鮮やかな怒りとは違う、沸々と湧き上がってくるようなそれを浮かべた庄治に、智和は小さく肩をすくめて同意したくなった。けれども当事者である柏木自身はといえば、もっぱら悪いのは自分だと縮こまって体を小さくさせている。

「一緒に帰ろうって誘ってもらったのに私、全然気の効いた話が出来なかったんです。それで多分、つまらない子だって思われたんじゃないかと」

「そうじゃないよ」ほとんど反射的に彼女の自己反省を否定していた。けれど、すぐさまに続けられる次の言葉は用意していなかったので、不自然な間が出来る。否定して、なのに根拠が続けられなくて、傍から見なくても見苦しい言い訳みたいな形に落ち着いてしまいそうで、智和は声の調子を上げた。「悪いのは柏木さんじゃない。こんな色々と問題が起こっている時に寄り道しようなんて考える人のほうが悪いんだ。それに多分、柏木さんがつまらない子とかじゃなくて、生徒会役員だから寄り道に付き合わせちゃ悪いって思ってたんだよ。その人達も」終わりの言い分はほとんどが嘘で、智和自身信じてはいなかった。本当は、わざと途中で別れたのだと思うし、柏木が男達に捕まって困るのも面白半分に楽しんでいたんじゃないか、とも邪推していた。

 生徒会の会議に出ていた柏木を誘おうと思えば、庄治のようにずっと待っているか何かの理由で学校にいるしか方法はない。男達はこの道で通行人を取材している、と言っていた。学校帰りの生徒に狙いをつけてカメラを向けていたのは悠里が彼らをやり込めた論理で明らかだから、柏木を誘ったクラスメイトは男達の存在を知っていたのではないかと、智和は考えていた。待ち伏せして取材をする彼らの事を学校の教師の誰かに言おうとして戻ってきたところ、昇降口で柏木と出くわした彼らは、たちの悪い嫌がらせを思いついた――。

 誰かと一緒に帰りなさい、と言われているにも関わらず一人で下校して、その上新聞社の記者に絡まれていた。柏木を一人置いていったクラスメイトからすれば、笑いの種の一つぐらいにはなるのかもしれない。帰る友達も満足にいないんだ、とでも言えば失笑するネタにはなるだろう。

 単なる可能性のひとつとして考えているだけでこっちは、あまりいい気分にもならないけれど。巡らせていた考えの笑えなさに思わず落としていたため息は、柏木を励まそうとする分だけ明るく取り繕った言葉の暗がりも混ざりこんで、どんよりと湿っぽい。

「まあ、柏木としちゃ、ここで俺らに合流できたんだからいいんじゃない?」親友が落とす嘆息の上へ覆いかぶせる調子で、庄治が首を傾げた。「そんなさ、途中でどっか行っちゃったクラスメイトの事なんて気にしないでさ。最初から俺達と一緒に帰るはずだったんだし、別にいいじゃん」明け透けなくからりと笑ってから、智和を見遣る。お前も笑っとけとばかりに、満面の笑みにゆるむ顔の中で少しだけ真顔の色を残している目を向けられて、智和は頷いた。誤魔化すように自分で笑みを作ってから、もう一度頷く。

 これは本気で、庄治は柏木さんの事が好きなのかもしれない。と、笑いの形に固定した筋肉を意識しながら思った。

 柏木はいかにも恐縮したように体をすぼめる。「すいません、誘ってもらったのに断って。なのに一緒に帰ることになっちゃって」

「ここに柏木さん一人残していくほうが駄目だよ」言ってから、これは庄治が言うべき台詞だと遅ればせながらに気づいたけれど、途中で親友に放り投げるのもわざとらしすぎた。「――学校で先生にだって、何人かグループになって帰りなさいって言われているんだから、一人で帰ろうとしている生徒を生徒会長が放っておく事も出来ないだろう?」生徒会長なんだから、とは工藤悠里の面倒を見ろと半ば強制的に命令を下してきた時の恩田教師の言い方そのままだった。義務と使命感、動いている根拠はそれだけ、とも聞こえる存外薄情な言い方であるのは、言われた時に智和自身思った事だ。

 恩田のほうはそんなやぶからぼうな事を言った後で、美女と一緒にいることが教師公認なんていいだろ、と茶化していたけれど、もちろん今回はそこまでは絶対に言わない。フォローを自分で入れてしまったら次こそは、庄治の出番を完全に奪ってしまうのだろうから、自分でも無愛想すぎると呆れているぐらいの素っ気無さが一番いいように思えた。いい人の立ち位置を確保しながら庄治に花を持たせてやれるほど自分が要領のいい人間でない事は、十二分に分かりきっている事でもある。

 だから、助け舟を出す、という心情よりは、確実にとれるボールの軌跡を考えて放り投げる、というほうがかなり的確だった。このボールをとってくれないのならもう僕にはどうしようもないぞ、と内心で思いながら、想像では庄治の手のひらへ綺麗な放物線を描いて落下していく言葉を見送るつもりで、親友に目をやった。その目配り自体が合図であったみたいに、庄治は一回瞬きをしてから破顔する。

「俺は生徒会長じゃないけど、柏木の事は放っとけないなぁ」受け取りました。と、言葉尻に智和へ言ってくる。「もうさ、放っていっちゃった連中の事なんて気にしなくていいじゃん? なんだったら今からさ、俺達だけで寄り道してもいいんだし」

「先輩、さすがにそれは、」困り顔で柏木は智和にちらりと目を向けた。生徒会長である宮野智和がいる前で堂々と寄り道宣言をしていいのか、と戸惑っているふうにも、寄り道なんてこんな状況でしていいはずがないのに、と呆れているようでもあった。どっちにしてもさりげない後輩の眼差しが智和に、親友である庄治をたしなめるための言葉を求めているのは間違いなさそうで、上手な言葉の配球が出来ても、それを受け取った当の本人が勇み足すぎれば事はうまくいかないんだなとぼんやり思う。助けてほしがっている柏木の本心がどこにあるかはともかくとして、気の早い庄治に少しは落ち着けとフォローを入れるところではあるようだ。

「あのな、庄治」仮にも生徒会役員の女子生徒を、生徒会長の目の前で寄り道に誘う事はないんじゃないか?

 とでも、一応は冗談交じりに言おうとした智和の言葉を中途半端に押し黙らせたのは、通学鞄の中で振動をはじめた携帯電話だった。振動ではあるけれど、ほとんど音として耳に入ってくる。

「ちょっと、ごめん」断って鞄の中から携帯電話を取り出す。ディスプレイに表示されている名前を見た。

 弟。たった一文字の言葉を表示させながら、携帯電話は震えている。

「急用だったら先に行ってるけど?」と言う庄治の声に、智和はディスプレイから顔を上げて親友を見た。かち合った視線の先で、少しだけ眉根を寄せた庄治がいる。控えめに、おそらくは長い間ずっと生活していなければ分からないぐらいのささやかな差異で、心配して気遣っているのが分かる表情を親友はしている。させているのは自分だと、ディスプレイの一文字を見た瞬間に体中が軋むように強張ったのを庄治が目ざとく察したのだと理解した。誤魔化せやしないだろう。きっと今更取り繕っても、庄治の確信は変わらないだろうから。

 電話の一本、歩きながらだって話せるのに、庄治は先に行くというのだから。知りはしないけれど気づいているし、分かっている。

 一方で、詳しい事は知らなくても何かとても大事な事なのだろう、と思い至ったからこその庄治のその問いかけには、そんな表情の色は微塵もない。当たり前に平凡に、いつもの庄治らしい事を並べていた。「まあ、お前の一人だけだったら別に下校しても怒られないだろうし? 俺は工藤ちゃんと柏木で、両手で花で帰れるし?」おどけた口調で言う彼の眼はけれど、早く電話に出ろと告げている。軽々しい言葉に同じぐらいの他愛なさで返事をして、来た道を少しだけ戻って一人になってから通話ボタンを押せばいい。そんな事を、律儀なぐらいに心配してくれている。

 見ている親友の目に一度、智和は瞼を伏せた。頭を打つ代わりのつもりだった。

「悪い。後から追いつくから、先に行ってくれ」震え続ける携帯電話を持つ手を軽く持ち上げて、智和は苦笑いを浮かべた。「多分、急用なんだ。滅多にかかってこない人からの電話だから」庄治の気遣いに相槌を打つように応えてはいたけれど、今すぐにひとりになって出なければいけない電話だろうか、と自問する気持ちも心のどこかにはあった。このままなんでもない事として切り捨てて、庄治の気遣いに頭をさげて、一緒に帰ってしまうほうがいいんじゃないかとも、違う頭の隅ではふと過ぎっていた。

 でもそれが、露骨なほどの逃避なのは間違いない。弟、の文字を見た時に硬直した体とは違って頭のほうでは、絶対に聞かなければいけないことがひとつ、目のそらしようがない明るさで光っているのが分かる。先に行っていると言った庄治もおそらく、気づいている事だろう。だからこそわざわざ、こんな道端でひとりになれるように話を振ってくれたのだ。

「さっさと出ないと相手が切っちゃうかもしれないしなぁ」間延びした口調で言う庄治のそれは、智和に言っている、のではなくて、暗に柏木と悠里をせかす意味合いのものだった。わざとらしく靴底を大きく鳴らして踵を翻す、「じゃあ先行ってるからな、電話終わったら早く追いついて来いよ。何かあったら俺一人じゃ、ふたりとも守りきれないかもしないしなぁ」冗談半分にしては多少物騒な事を口先で言って笑いながら、歩き出す。


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